水曜どうでしょうキャラバン2022 に行ってきた。
「水曜どうでしょう」といえば、日本中でほとんど誰もが知っている番組のひとつだろう。
あの希代の名優、「大泉洋」を見出した番組でもあるし、本放送は終了したのに、いまだにぼちぼち新作が作られているという北海道の名物番組でもある。
その番組イベントが本州を巡業しているというので、うちのおくさんのお勧めもあって今年、はじめて参加させてもらった。
うちのおくさんは北海道出身で、私がその昔北海道で仕事をしていた期間に知り合ったので、当然ながら「どうでしょう」とともに時代を過ごしてきた。
私は大泉洋ちゃんと年齢は1つ違いだし、水曜どうでしょうの放送は1996年に始まったが、ちょうど私が関西の大学を卒業して北海道へ行ったのが1998年だったから、リアルタイムで「どうでしょう」を楽しんでいた世代ということになる。
2000年前後の、当時の北海道での「どうでしょう」は、昨今のようにコアなファンがカルト的に追いかけている番組というよりは、まだまだひよっこだった大泉洋ちゃんたちが学生のノリを交えながら好き勝ってやっている「おかしな深夜番組」だった。
HTBという地方ローカルの、それも深夜帯の番組なので、当然北海道民たちも「毎週食い入るように見る」番組ではなかった。たまにつけたら「どうでしょう」をやってて、ゲラゲラだら見をしながら、翌朝にはもう忘れてしまうような、そんな感じだったのである。
ところが、2000年をまたぐように、高校生などの若い世代から火がついて、「どうでしょう」を見る道民がどんどん増えていった。洋ちゃんだけでなく、”やすけん”や”シゲ”達を含めた「TEAM NACS」の人気もどんどん上がっていった。まだ”シゲ”が佐藤姓だった頃の話である。
その後、私が本州に帰ってくると、今度は本州で「どうでしょう」人気が爆発した。道を車で走っていると「どうでしょう」ステッカーをリアウインドウに貼っている車がやたら増えたのは、2000年から2010年頃にかけてだっただろうか。
関西ではサンテレビで「どうでしょうリターンズ・Classic」などが見られたし、なんと実はすでに放送網は全国制覇しているらしい。
それと同時に、大泉洋が北海道の大泉から、日本の大泉洋になってしまったのである!大出世だ。
余談だが、「大泉洋」という人は、何者なのだろうか。「俳優、役者」だという解釈もあるが、たいていの人はあまりそう思っていない。「芸人」の一種だと思っている人も多いだろうし、完全な誤解だが、中には「よしもとの人」と思い込んでいる人もいるかもしれない。
けれど、「タレント」という言葉も似合わない。「マルチタレント」なんてもってのほかだ。大泉洋は、大泉洋である。
日本にはこんな才能を持った人は、3人しかいなくて
「タモリ・所ジョージ・大泉洋」
だけである。タモさんのことを「何者か」と定義することは難しい。俳優でもないし、司会業でもない。タレントというには言葉が足りない。タモさんはタモさんだ。
所さんとておなじで、彼のことをミュージシャンだと理解している人がどれくらいいるだろう。所さんは所さんだ。
それから比較すると、ビートたけしさんは、まだ「監督業・お笑い芸人」という枠組みで語ることができる。
けれど、タモリ・所ジョージ・そして大泉洋だけは、”枠組み”のない人間なのである。
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さて、「どうでしょう」に戻ろう。水曜どうでしょうキャラバンは、かの番組のディレクターつまり監督であった藤村忠寿氏とカメラマンの嬉野雅道氏が、タッグを組んで全国をまわり、好き勝手にしゃべくりまくっているというイベントである。
大泉洋ちゃんもいなければ、ミスター鈴井も現れないのだが、だからこそ逆に、「ああ、これがどうでしょうなのだ」と再発見することができた。
始めて「水曜どうでしょうキャラバン」に参加して、気がついたことがたくさんある。
このイベント、どちらかと言えば地方の、田舎の、誰も知らなさそうな町や村の広場を借りてちょこっと開催されるのだが、4トントラックを横付けして、その荷台をステージにしてトークやライブが行われるというものだ。
たまたま、今回私たち家族が参加したのは、兵庫県加東市の会場だったので、広場に作り付けのステージでの公演だったが、他の会場は、ほとんどがトラックを囲むスタイルのようだ。
どうでしょうキャラバンは ゆるい。 ゆるい、ゆるすぎる。
説明できないくらい、ゆるい。
それがいい。まず、行ってもタイムテーブルみたいなものはないし、「これが催し物だ」というはっきりしたものはない。(何が演じられるのかのチラシすらない)
いちおう、オープニングセレモニーらしき挨拶があり、市長なんかもやってきて町のPR時間なんかはあるのだが、それ以外は、基本的には藤やんと嬉しーがベラベラしゃべっているだけだ。
その合間あいまに、藤やんが他でやっているイベントの告知やら、関係者の宣伝やら、今回持参されているグッズの紹介やら、協賛企業の商品案内などがバラバラと入る。
あるいは、会場の出し物、出店の紹介なんかもバラバラと入る。
だから、ずーっと、最初から最後までゆるいのだ。
その進行、流れを見ていて思ったのは「ラジオに似ている」ということだった。それもFMじゃなくてAMラジオだ。関西人にとってはおなじみの「ありがとう浜村淳です」のトークを、そのまま藤やんと嬉しーのコンビででやっているような、そういう時間感覚である。
もちろん、大きな時間枠みたいなものはあって、午前中はトーク、午後は参加アーチスト(それも身内みたいなものだが)のライブになっているのだが、少々、いやかなり時間がずれてもあまり気にしない。そして、その場にいるこっちもまったく気にならない不思議な時間であった。
午後のライブもかなりおかしい。私が参加した日は、古澤健・黒色すみれ・打首獄門同好会・樋口了一の各アーチストのライブだったのだが、みな「サウンドチェック」と称してゆるーく舞台上に上がってきては、ネタを披露する。チェックなんだか演奏なんだかよくわからない。
打首に至っては、ただのどうでしょうファンでは知らないかもしれない別番組でのヤスケンのものまねをしたり、やりたい放題である。
むしろサウンドチェックのほうが本編と同じくらい面白いというのは、いったいどういうステージなのだ。
まあ、それはそれとして、わかっちゃいるけど再発見できたのは、「水曜どうでしょう」の監督は「藤村忠寿」であり、サブディレクターは「嬉野雅道」なのだ、という事実である。
これは「どうでしょうキャラバン」に行かないと、意外にわからないかもしれない大きな事実だ。
「水曜どうでしょう」を見ていると、あの番組を”まわしている”のは大泉とミスターだと誰もが思う。「どうでしょう」を「どうでしょう」たらしめているのは、大泉だ、と大抵の人は思ってしまうだろう。
たしかに、それは番組の一側面であって、大泉洋という男が、それくらいものすごい才能を持った人間であることは間違いないのだけれど、それ以上に、
「あの映画の監督は、藤村忠寿だ」
ということを見失ってはいけないのだ。
ふつうに考えれば、どんな番組や映画も「監督」が一番にいて、「脚本」「カメラ」などのスタッフが布陣する。彼らが作品を作り、彼らの「味」が番組として映像に焼き付けられる。
その中における役者は、言い方は悪いけれど「駒」である。極論すれば、別の役者を当てて、入れ替えても監督は作品を作っちまえるくらいの腹と覚悟があるものだ。
だから、アホみたいにバカ笑いしながら視聴者である僕たち私たちは、「大泉はおもしろいな、ミスターはうまいな」と思っているけれど、本当は、「水曜どうでしょう」は藤村大監督の作品なのである。
それが、「どうでしょうキャラバン」に行けばわかる。あの空間全体が、あの会場全体が、そして来場者である私たち「駒」を含めて、出演者もみな「藤村色、嬉野色」に染められてしまうのだ。
それを、ひとことで言えば「ゆるい」になるだろうし、別のひとことで言えば「どうでしょう」になるということなのだ。
まるで「水曜どうでしょう」の中に入り込んでしまったような、そんな不思議な感覚になれるのが「どうでしょうキャラバン」の本質なのである。
だから、来場しているお客さんがみな、穏やかなのである。少なくとも、テレビに出ている人たちを見にこようとしている野次馬的なザワついた雰囲気はほとんどないし、ちっちゃな子供はうろうろしているし、ファンはみな行儀正しい。
グッズ販売などの列も、整然と穏やかに進んでいるし、我先に何かをする、みたいな雰囲気は微塵もないのだ。
これまた不可思議なワールドだ。もっとおかしなことを言わせてもらえば、そもそも会場設営の時から、来場者を「ボランティア」と称して募り、手伝わせるのである。
そしてまた、嬉々として朝早くから会場入りしてそれを手伝うファンがたくさんいるのだ。藤やん本人がトークでツッコんでいたが、「お客さんを働かせるイベント」なんて、そうそう他にはない。
だからやっぱり、「どうでしょうキャラバン」において、僕らはみな藤村監督の手の上で転がされる、「大泉洋とミスター」にさせられてしまうのである。
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とまあ、水曜どうでしょう色にすっかり染められてしまった私だが、帰りの車の中で、
「こんなイベントがあると紹介してくれてありがとう」
と妻に感謝の気持ちを述べた。
それくらい、素晴らしいイベントだったし、来場者全員を含めて、素晴らしい雰囲気だったことは間違いない。
ぜひ、来年、あるいは次回、あなたの町に「水曜どうでしょうキャラバン」がやってくることがあったら、ちょっとだけでも覗いてみてほしい。
ヒゲのダミ声が響いているだけのイベントだと思っていたら、そのうちきっとあなたの心がすっかり癒されるはずだから。
(おしまい)