高橋善昭先生の思い出
高橋善昭先生が昨年亡くなっていたことを知った。
駿台予備学校を退職されたらしいことは聞いていたが、その後どうされているのかまったく存じあげず、いつのまにか20年ほどが過ぎていた。
高校2年からの3年間、人生の行き方を示してくれたのは駿台の講師たちであった。中学高校生活はそれなりに楽しんだけれども、自らの意思と選択で生きているとはいいがたく、こと勉強のおもしろさと意味には気づかずに終わったから、わたしにとって学び舎といえば駿台なのである。
伊藤和夫先生の授業を受けた最後の世代である。そのころ駿台英語科には奥井潔先生やいまも現役の大島保彦先生がおられ、高校とは比較にならないほど個性的で魅力的な授業が各講師によって展開されていた。英語にかぎらず駿台の各授業は、大学で足を踏み入れるであろう宏大な「知」の領域の覗き窓といった感があり、平板な日々に倦んでいたわたしの内面をおおいに刺激した。
大島先生の『東大入試問題に隠されたメッセージを読み解く』(産経新聞出版、2013年)にこんなことが書かれている。ーー「ここから先は入試には出ないでしょう。でも、とても大切なことです」という前置きをすると、パッと目が輝く生徒がいる。当時のわたしがまさにそうであったと思うし、駿台の校舎はわたしと同じように好奇心に満ちた生徒の活気で溢れていた。
高校3年の夏と冬に受けた高橋先生の「上級英解演習」は衝撃的だった。「正確な英文読解の基礎は、英文の正確な構造把握にある」とする駿台英語科伝統の「構文主義」のさらに先を行き、「この英文の形はどのようにできたか」にまで遡って解説していた。文の変形、情報の予告と展開の構造、比較文の2文合成など、文構造の成り立ちを解析してみせる明晰な論理は、わたしを魅了した。受験英語という小さな世界ではあるが、物事には仕組みがあり、それを成り立たせる規則とロジックがあることを知り、生きていく上での精神のバラストのようなものを得た気がしたのである。
先生自身が「これほど難しいものは大学入試には出ない」とおっしゃる英文自体の難しさに加えて、それまで触れたこともない英文構造解析の手法は、数ヶ月後に控えた入試で点を取るために即座に有効とは思われなかったが、勉強はおもしろいものだと気づかせてくれるのに充分であった。
高橋先生は教室で人生訓をたれたり、生々しい政治や社会のあれこれについて話すことはなかった。予備校講師にありがちな雑談もしなかった。求道者のようにただひたすら英文の構造を解析し、解釈と訳文の手本を時間の許す限り示しつづけたが、採られた英文は過去の入試問題にとどまらず、人生の航海に踏み出そうとする若者が読んでおくべきものをよく選んでおられたと思う。
核の脅威や戦争、産業化と自然破壊、科学技術の進歩と人類の幸福、人間の内面にある愛と憎悪など、生きる上で向き合わねばならないテーマが多く、30年を経たいま読んでもどれも古びていない。訳文も美事であった。構文を把握できても日本語に訳してみると意味がはっきりしないことが多く、解説を聞き、自分の拙い日本語と先生の訳例を対照させて行間の意味が次第に明らかになるにつれ、英文和訳という作業を越えてしばし考え込むこともあった。
テキストや参考書に採られた英文から明らかだが、先生は平和主義者であったと思う。後年、制作されたDVD講座「パーフェクト・イングリッシュⅠ」(1998年)の最後に採られた英文は、日本国憲法前文であった。授業で英語以外の話はされなかった先生なりのメッセージであったのかもしれない。
受験期わずか2年の付き合いを終えてわたしは希望の大学へと進学し、ここまでなんとか生きてきた。手元には教室で広げたテキストと先生の著作のいくつかが残り、いままた読みかえしている。何者にもならなかったけれども、奥井潔先生の仰るところの<workerの端くれ>にはなりました、とお礼を申し上げたい。
(散録2023年1月記)