ぼくがマーケティングという悪魔と契約した理由
1つ言っておきますが、
人間の発信はすべて
「私が生きやすい世界はこんな感じです。」
という主張に過ぎません。
それを正論みたいな顔して強く主張するカマチョが多いので、
1つ1つ真正面からキャッチしちゃう豆腐メンタルも多いんですが、
そいつのアイデンティティの誇示に過ぎないので
合わないものはシカトして大丈夫です。
孤独な非モテは、オッサンが若い女と結婚したら批判するし、
ベンチャー企業の安月給は、上場企業の初任給を批判するし、
勉強が苦手なやつは、「勉強は得意なんだろうけど〜」とガリ勉を批判します。
それが《世界の正解》だったらそいつが耐えられないからですね。
だって、オッサンが若い女と結婚するのが《世界の正解》だったら、
孤独な非モテは自分が愛される可能性が低くなるじゃないですか。
だから、
「オレが世界から必要なくなっちまうだろ!」
とその心情を批判に変換して叫んでいるんです。
世の中の表現はすべてそうです。
ポジティブであれ、ネガティブであれ、
政治家のマニュフェストも、お涙ちょうだいコンテンツも
情報を切り売りするビジネスマンも、
フェミニストもレイシストもすべて
「私が世界からいなくならないための方法!」
「私が世界から必要とされる方法!」
をあの手この手で表現しているんです。
比較なんかし始めたら、あからさまでもう見るに耐えません。
「別にキーキー言ってるモンキーでもよくない?
ウホウホしてるゴリラよりもだいぶマシだろ!」
この人は『ウホウホしてるゴリラ』がいると個性が死ぬ。
だから モンキー>ゴリラ という構図をなんとか作りたがる。
比較はその人が恐れている対象
《世界の正解》にしたくない対象
ということですね。
瑣末な例ですが、批判的比較が混ざった表現は、
すべてこのモンキーと同等の主張です。
お分かりでしょうか。
だからこそ、人間の表現はすべて
「私はこんな感じの世界の"方が"生きやすいです。」
という主張に過ぎないのです。
つまり、自己実現社会で人間が最も恐れていることは、
アイデンティティの消失であり、
それが脅かされるような他人の日常を見ると、
死に近づく感覚を抱いてしまうということですね。
そして今やSNSによって様々な正解が垂れ流しされているので、
いろいろな生き様がぶつかり、ディスや炎上が絶えません。
「自分だけじゃない」という安堵も「こっちの方が良い」という比較も
根底では同じ感情で言ってることは変わらないんですね。
皆自分が世界から必要なくなる理由を消そう消そうと必死なのです。
もちろん悪いことばかりではありません。
それに共感する仲間や友人ができたり、本来的に自分が求めていた世界を正解に変えているインフルエンサーに出会えたりします。
そして個別化されたアイデンティティを刺激できれば、
商品はノーグダで売れるし、人はついてきます。
勝手に自爆するように相手を陥れることだって可能です。
複雑かのように見えて、本当に人間は単純なんですね。
全くいくつになっても人間は幼稚で、私という自己をいろんな物語や論理を立てて説明してますが、結局のところ、「ここにいるよ」としか言ってないんです。
「そばにいるね」って皆が言ってくれないから表現するんです。
いかにも人間らしいですね。
ほんとうに。
さて、こんなことを思っていると、
『心のリトル三連休くん』がこんなことを言い始めます。
ー お前はいつも安全地帯から批評してるだけの人間評論家だよな。研究者や宇宙人にでもなったつもりか?言ってることは正しいのかもしれないが、皆が必死に動いてるのを小馬鹿にしてる感じはなんでだ?それこそお前が何かを恐れて批判してるだけじゃないのか?はっきり言って、達観して評論してるお前よりも人間らしく生きてるやつの方がよっぽどマシだよ。
どう転んでも、お前も人間なんだよ。
たしかにそうだ。
比較はその人が恐れている対象。
《世界の正解》にしたくない対象。
こいつのいうように、俺は怖い。
《世界の正解》にしたくないことがある。
とんでもなく恐れて、そいつと直面しないように避けてきた。
どう転んでも、俺も人間。
俺が怖いのは…
将来の夢
子どもの頃、将来の夢は詐欺師になることだった。人を巧みに操り、簡単にお金を手に入れる、その姿を想像しながら悪びれもなく詐欺師という職業に憧れた。
中学生の時、親の転勤で中国に住んでいた。気軽に友達と遊ぶことが許されず、毎日が退屈で、そんな時は、中国のDVD屋で買える10元(当時は150円)の違法DVDが私の暇つぶしの相棒だった。日本で放送が終わったドラマは、違法という形で海を渡り、チャイナにやってくる。
ほとんどのドラマは一度見ればすぐに飽きてしまい、「また退屈な時間が戻ってくる」と憂鬱になる。だからすぐに次のDVDを求めてお店に向かうのが、私の放課後のルーティーンだった。
しかしある日、私の人生を大きく変える作品に出会った。
山下 智久主演の『クロサギ』という、詐欺師をテーマにしたドラマだ。
「また『クロサギ』見てるの?」
母親の驚嘆と失笑の混ざった声を今でも覚えている。20回以上も同じドラマを観る私の姿を見て、母はなんとなく違和感を覚えたのだろう。「テレビを見るときは部屋を明るくして離れて見てね」 そんな表示を無視して、テレビから離れず詐欺師のドラマを見続けた。
「これこそが俺の目指すべき道だ」
普通ならお花屋さんや野球選手に憧れる年頃に、私は詐欺師に心を奪われていた。
特に家庭が貧しかったわけでもなく、どうしても欲しいオモチャがあったわけでもない。ただ、詐欺師になることが自分の人生で重要な気がしてならなかった。
どこか物悲しい、どこか退屈なこの感情を埋められるかもしれない。
嫉妬
中学時代、塾に行く前には必ずアズマと遊んだ。アズマは超絶イケメンで、サッカー部のエース。学校中の女子が彼に夢中で、男子からも一目置かれる存在だった。彼はサッカー部の中でも偉そうな連中や、他クラスの可愛いマドンナたちとも仲が良く、先生からも好かれる、まさに学校のカリスマ的存在だった。
私と言えば、陸上部にいる不貞腐れたピエロ。後にそのことを勘づかれ、アズマは離れていくことになる。
私の通っていた中国の日本人学校では、サッカー部が絶対的なオピニオンリーダーだった。「サッカー部とそれ以外」という明確な線引きがあり、サッカー部から嫌われることは、まるで社会的死を意味するかのような雰囲気が漂っていた。
11クラスあった学年の学級委員は、すべてのクラスがサッカー部。立候補しない部員がいたり、他の部活動が務めることがあれば、「なぜなんだ」とサッカー部は怒っていた。
そんな支配的威光にビビりながらも、私は虎視眈々と彼らの陥落を策略した。「あいつらがいなければ学校の中心になれたはずだ」と存在を妬んでいたのだ。とんでもない嫉妬と自尊心が当時の自分にはあった。7年習っていたサッカーをやめ、中学から陸上部に入ったのもそれが理由だった。
私の計画は簡単だった。先生をイジって笑いを取り、暗いやつから明るいやつまでサッカー部以外と徒党を組むことだ。笑いの渦を作り、クラスを盛り上げ、「あいつらよりも俺が空気を作ってるんだぜ」とあの手この手で演出をした。学年末に発行される文集では、クラスの面白い人ランキングで1位を取った。
達成感も何もなかった。
計画は失敗に終わったからだ。
結局皆、サッカー部の意見に揺れ動かされるのは変わらなかった。私はただの「面白い奴」にしかなれなかったのだ。
その最たる理由は、不貞腐れたピエロだからだ。
「お前は一体誰なんだ。」
ある日、担任に呼び出され言われた。
ピエロ
「お前はクラスを盛り上げる面白いやつだよな。いつも爆笑の渦が生まれるきっかけはお前で、本当に助かってるよ。でもなんで学習発表会の練習にはダルそうに参加したり、先生のことを裏で小馬鹿にしたりするんだ?」
「あと何よりも気になってることは、自分が面白くないと感じることに関しては、お前は絶対に真顔を貫くことだよ。」
サッカー部の連中は、自我をストレートに表現し、時に偉そうに振る舞うが、根本的には悪い奴らではなかった。彼らは仲間を大切にし、チームのために努力していた。実際に私と仲良くしようとしてくれるサッカー部も多かった。「来年はサッカー部に入れよ」そう言われたこともあった。
しかし私は、自分の嫉妬のために周りを巻き込み、どこか他人を利用しようとする算段があった。自分が目立てないこと、自分のポジションを横取りする奴には真顔で睨みを利かせていた。
クラスを積極的に盛り上げる良いやつ、でもどこか不貞腐れて反抗的。
笑いというエサを投げ、俺の空気という支配に巻き込む。
この矛盾を孕んだ構造に担任は気づいていたらしい。
バレた。冷や汗をかきながら、「全部俺です。」とボソボソと言った。
余計な言い訳こそしなかったが、真意を語ることもしなかった。
私は詐欺師なんかじゃなくて、ただの不貞腐れたピエロだった。
次第にアズマとも遊ばなくなった。
最も実力を認めてくれたいた彼と人気者という客体としてしか見ていなかった私。
彼がどんな奴で何が好きか、正直何にも知らなかった。
空っぽの自分を大きく見せる詐欺計画は、失敗に終わったのだ。
盗作
アオキは身長が高く、サッカー部と付き合っている女子だった。特に目立つ存在というわけではなかったが、ある授業中の彼女の行動が私の心に強い印象を残した。
ある日、先生が授業を中断し、面白い話を披露しクラスを楽しませていた。私は皆を観察しながらツッコミどころを探し、さらなる笑いを提供しようと画策していた。すると、1人だけ妙な行為をしていた。アオキだ。彼女だけがノートに夢中で何かを書き続けていたのだ。その姿が何か特別な意味を持っているように思えて、気になって仕方がなかった。
授業が終わり、教室が少しずつ人で賑わっている中、私はアオキに話しかける機会を探った。友人たちとの話を切り上げ、彼女に近づき話しかけた。「アオキ、さっきの授業で内職してただろ。まだ期末テストの時期でもないのに真面目だよなあ」。真実を引き出すためには、それっぽい理由をまずは押し付ける。詐欺師から学んだことだ。
彼女は少し驚いた表情を浮かべながら、「あれはね、実は詩を書いてたの」と答えた。なんと、これは後で小馬鹿にできる材料が見つかったぞ。「へえ、詩なんて書くんだ。どんな感じの詩か見せてよ」とニヤニヤを隠しながら続けた。
「別に大したことじゃないけど」と前置きしつつも、ノートを取り出して見せてくれることになった。彼女がノートを開くと、詩がびっしりと書かれていた。どれどれと悪どい動機で読み始めたが、期待を裏切られることになった。その詩は単なる言葉以上の力を持ち、私の心に深く響いたのだ。
「これ、すげーな」心からの感想を伝えると、アオキは照れくさそうに微笑み「ありがとう。気持ちを表現するのが楽しくて」と答えた。言葉の創作は人を魅了するのか、なるほどと思った。
私は、自分でも詩を書いてみようと決心した。
後日、初めての作品を緊張しながらもアオキに見せてみた。彼女はその詩をじっくりと読み、温かい言葉で褒めてくれた。その言葉に勇気づけられ、私は詩を書くことにハマっていった。ノートには詩がどんどん増えていき、アオキ以外の人にも見せ褒められることが嬉しかった。
とはいえ、その詩の多くは『鋼の錬金術師』に出てくるエドワード・エルリックの言葉をパクったものばかりだった。いつかバレるのではないか、喜びとは裏腹にまた空っぽの自分がバレることに不安を感じていた。
ギター
ケンジはクラスでは目立たない、音楽の趣味が偏屈なやつだった。誰も知らない昔の音楽を聴いたりしている彼は、周囲から少し浮いている存在だった。しかし、私は彼が放つその独特の雰囲気に少しばかり羨ましさを感じていた。
ある日、ケンジの家に遊びに行く機会があった。彼の部屋に入ると、壁には古いレコードジャケットが並び、その片隅にギターが置かれているのを見つけた。好奇心が湧き上がり、「ちょっと弾いてみてくれよ」と頼んでみた。
ケンジは「そんなに上手くないよ」と言いながらもギターを手に取った。そして、静かに弦を弾き始めると、その音色は私の心に直接響いてきた。ギターの音が部屋中に広がり、彼の指の動きが生み出す旋律は、まるで時間を超えて昔の記憶を呼び覚ますようだった。
「すごいな、ケンジ。こんなにうまいなんて知らなかったよ」と感嘆の声を漏らすと、ケンジは少し照れながらも嬉しそうに微笑んだ。高揚感を覚えながら、これは利用できるかもしれないと脳が働いた。詩もそうだ、音楽もそうだ。人を魅了する創作こそが自分を大きく見せる最高の詐欺じゃないか。
そして、ふとしたひらめきが頭をよぎった。
「そうだ、ケンジ」と私は少し興奮気味に言った。「実は、最近詩を書いてるんだ。アオキに見せてもらったことがきっかけでさ。それで思ったんだけど、お前のギターの演奏に合わせて、俺の詩を読んでみたらどうかな?」
ケンジは驚いたように私を見つめたが、その目には興味が宿っていた。「面白そうだな、それ。やってみようか」と彼は応じた。
こうして、私たちは新たな試みを始めることになった。
詐欺計画2
ある日、学校で卒業イベントがあるという話を聞いた。なんでも卒業式の後に学年全員が集まってパーティを行い、立候補者が出し物を行うイベントらしい。これは絶好の機会じゃないか。
「俺たちで弾き語りライブをやってみないか?」と私はケンジに提案した。
ケンジは少し戸惑ったような表情を浮かべたが、ここは詐欺師の出番だ。「ケンジ、君の音楽は単なる趣味で終わらせるにはもったいないよ。君が大切にしてきた音楽の世界を、もっと多くの人に伝える絶好のチャンスが今ここにある。拙い演奏だったとしても、一つの芸術作品として皆の心に残るはずだ。何よりも君のギターが喜ぶんじゃないか。」
ケンジは少し黙り、やがて自信に満ちた笑みを浮かべて頷いた。「やろう、俺も誰かに披露したいと思ってた」
さらに、私はケンジに触発され、自分もギターを買って練習した。初めてギターを手にした日は、まるで新しい冒険が始まるような気持ちだった。発表会までの限られた時間で、ケンジにギターの基本を教えてもらいながら、放課後はすべて練習の時間に捧げた。
発表会当日、ステージに立つと、緊張が全身を包み込んだ。観客席には学年の生徒たちや先生たちだけでなく保護者たちが集まっていた。ケンジがギターを手に取り、最初の音を奏で始めると、その音色が私の緊張を和らげた。私も歌詞を心を込めて歌い上げた。出番の最後には、泣いて言葉に詰まって歌えなくなる演技もした。ちょうど卒業のタイミングだったので、そっちの方が盛り上がると思ったからだ。
パフォーマンスが終わると、会場は拍手に包まれた。ケンジと私は顔を見合わせ、満足感に浸った。
ライブが終わり、自分の席に戻り心地よい余韻に浸っていると、ふと視界に入ったのは学年のマドンナであるエトウだった。彼女は、他の観客たちとは一線を画す存在感で、その美しい姿を際立たせていた。
エトウが私の元へ向かってくるのが見えた。周りの雑音が次第に消え、彼女の存在だけが際立って感じられた。彼女が私の前に立つと、軽く笑みを浮かべながら話しかけてきた。
「ライブ、すごく良かったよ。」そう言うと、エトウは自然な動作で手を差し出し、私の手を優しく握った。その瞬間、周りの世界が静かに消えていき、彼女との握手が心に深く残る瞬間となった。彼女の表情とその言葉が、私の努力を認めてくれたことを実感させてくれ、安堵と喜びが入り混じった感覚に包まれた。
「やったな」とケンジが微笑みかけると、私も「うん、ありがとう」と答えた。その時には、サッカー部の連中のことは頭にすらなかった。
空っぽの自分を大きく見せる詐欺計画は、最後に成功を迎えたのだ。
しかし、これは呪いだったことに後から気づくことになる。
呪い
創作には、いったい何の意味があるのだろうか。
友だち以外褒めてくれない作品、お金にも繋がらない作品。
そんなものに、いったい何の意味があるんだろう。
中学を卒業し、高校ではアーティストを夢見て入学一ヶ月でクラスの連中とバンドを結成し、ケンジとも音楽活動を続けた。放課後には作詞作曲に没頭し、あの日の拍手喝采をもう一度浴びる日を夢見て、部屋にこもっては爆弾を作るように音楽に打ち込んだ。
新しい環境での挑戦にワクワクしながらも、自分の作品がどの程度のものなのか、周囲にどう受け入れられているのかを知りたくなっていた。創作に没頭する一方で、果たして自分の作り出したものが本当に良いのか、他の人と比べてどれほどの価値があるのかという不安が常に心の中にあったのだ。
そんな時に、CD持ち込みオーディションという機会を知り、これは自分の作品がどの程度のものなのかを確かめる絶好のチャンスだと考えた。意を決して、自分の作った曲を録音したCDを持参し、オーディション会場に足を運んだ。演奏はせず、CDを審査員の前で流すだけの形式だったが、それでも緊張と期待が入り混じっていた。
オーディションの日、会場には様々なアーティストたちが集まり、彼らの音楽が次々と流れていった。自分の番が来るまでの時間、私は他のアーティストたちの作品を見守っていた。どのアーティストも、独自のスタイルと技術を持ち、全く手を抜いていないのがわかった。
その中でも特に印象的だったのは、あるアーティストがプロデューサーから名刺を渡され、インディーズデビューのチャンスを得ていたことだ。その様子を見て、彼らのレベルが圧倒的で、いかに自分が未熟だったかを痛感した。
自分の番が来ることすら恥ずかしく思い、私は会場を後にした。
誰かが撃った銃弾が月を貫いた。
あの日の歓声は僕の呪いだった。
だから僕は音楽を辞めた。
退屈
夢の奴隷から解放され、また退屈な日々が始まった。
作品を作る意味も、コミュニティで歓声を浴びる努力も、なんの意味があるのかわからなくなった。
クラスで一番騒がしかったやつがクラスで一番静かになった。
無口で真顔を決め込んだら本当に誰も近寄ってこなくなった。
「ほらね、面白いこと言わないと誰も近寄ってこないじゃん」と、かつての自分に向けて皮肉を込めてつぶやいた。サッカー部の連中に対して抱いていた嫉妬が、現実として目の前に現れた。彼らはただそこにいるだけで注目を集めていた。
そのまんまでいける奴が憎かった。パッケージで勝負できるやつが嫌いだった。実力もないのに自己主張の強いやつを見下した。
「そうだ、私にとってエンタメやアートは、コミュニティで下剋上するための手段だったのだ」と創作自体が好きだったわけではないと悟った。
小さな頃から何度も学校が変わった。幼稚園を2回、小学校を3回、違う場所に移り住んできた。思い出を作る暇も、人と向き合う時間もないまま、次の土地へと移動した。
新しい学校に行くたび、コミュニティ内の暗黙のルールを理解し、誰がオピニオンリーダーなのかを把握し、バランスを取って上手に適応することが求められた。
それが新参者の生存戦略だった。私たち転勤族にとって重要なのは、思い出づくりに励むことではなく、幾つもの不文律の中で上手くやっていくことだった。
だから人間を観察する癖がついた。今がどんな空気で何が求められているのかがわかるようになった。人とお別れすることが当たり前になった。そこにいた証を残すための努力をすることが生き方になった。
でも、どれもこれも何の意味があったんだろう。
結局は、小さな組織でのチューニングが上手だっただけだ。
社会に対しては何にもできない。
エンタメもアートも意味を失った。
残ったのは退屈だけだった。
脱出計画
時間が経ち、時にはまた作品を作った。
社会人1年目でJTCを辞めてニートになった時、何かしなければという焦燥感に駆られてブログを始めた。noteを初めて書いたのもその頃で、7年前のことだ。
月に15万円ほど稼げるようになったが、次第に言いたいことがなくなり、ブログを辞めてしまった。コンプレックスが原動力の発信は、そのコンプレックスが解消された途端に色褪せる。よくメジャーデビューした瞬間につまらなくなるアーティストがいるが、彼らはチューニングが下手だったのではなく、単に言いたいことがなくなっただけなのだ。
そこからまた、コンプレックスが再び顔を出すたびに作品を作った。SNSやブログなどのアカウント数は合計で30を超えている。しかし、どれも同じだった。最初は新鮮で楽しいが、しばらくすると飽きが来て、再び退屈が顔を覗かせる。
詐欺師としての口のうまさや徒党を組む力、転校で培った人間や組織への観察力、そして状況を打開するためのコンテンツ。これらのスキルによって、会社の役職はみるみる上がっていった。クライアントを魅了し、チームをまとめ、上司に評価されることで、昇進の階段を駆け上がる日々。しかし、心の奥底で何かが欠けている感覚が拭えなかった。
「この成功も結局は小さなコミュニティでの歓声を浴びるための努力に過ぎない」過去に飽きた目標を達成しても、すぐにその達成感は薄れ、新たな虚無感が襲ってくる。新たな挑戦を探しては、再びその達成感に飽き、退屈を脱出する計画を練る無限ループに陥っていた。
そして、悪魔と出会った。
悪魔
マーケティングには、コンテンツの魅力を消す拝金主義的な嫌悪感があった。「作りたいものを作ることが正義だ。誰かに合わせて作ることやお金を目的にすることは悪だ」こんなエセクリエイター精神で遠ざけていた。
でもそれは違った。
人間に本質は届かない。欲しいものしか欲しがらない。わかりやすいものしか理解できない。自分だってそうだ。
この人間の性質を突破するためにマーケティングが存在する。
マーケティングとは、私の人生そのものだったのだ。
魅力的なコンテンツを創り、興味を引き、教育を通じてその価値を理解させる。それはまるで、人々に自分が作り出す世界の一部となってほしいと願いながら、自分自身を売り込むようなものだった。自分の存在を印象づけ、気づかせる。積極的に「私を見て!」と叫ぶのではなく、相手に「あなたが見たい!」と言わせること。
それこそが、私がこれまで何度も繰り返してきたことだった。転校を繰り返す中で、周囲の人々の心をつかむために、気を使い、観察し、適応し、自分を魅力的に見せる方法を学び続けてきた。エンタメやアートを通じて、自分の価値を示し、コミュニティでの地位を築こうとした。その全てが、実はマーケティングの基本と一致していたのだ。
サッカー部への恨みも同様だ。彼らは自然と存在感を放ち、周囲を惹きつける力を持っていた。その存在感は、まるでコンテンツを不要とした何の努力もなく周囲の注目を集めているようにみえた。それが私には、憎たらしく感じられた。
彼らがマーケティングを必要としない存在である、それこそが私にとっての憎しみの源だったのだ。
マーケティングが私の人生そのものだと気づいた瞬間、目の前がぱっと開けた。私がこれまで生きてきた中で、自分が何をしてきたのか、どんなことに心を砕いてきたのか、それが全てマーケティングだったのだと。
だから私はマーケティングという悪魔と契約をした。
ベンチャー企業のCMO(マーケティング責任者)となった。
マーケティング
今、コンテンツで勝負したいという欲求は正直に言って希薄化している。社会への恨みも、コミュニティへのコンプレックスも、私の中で認識できないレベルにしか存在していないためだ。歳を重ねるにつれて、それらの感情は次第に薄れていってしまった。
ただ、退屈とはまだ戦っている。おそらく、死ぬまでその戦いは続くのだろう。退屈という名の無音感、何かに熱中したいという欲求、それに対抗するための新しい挑戦を常に求めている自分がいる。
だからこそ、このマーケティングというスキルを通じて、私は新たな方法で退屈と戦っている。マーケティングは単なる商業的手法ではなく、私自身の創造性と挑戦心を引き出す手段となっている。相手の心を掴み、興味を引き、感動させるポテンシャルを持つこのスキルは、私にとっての新しい戦場であり、自己表現の最前線だ。
そして、マーケティングの力を使って、また下剋上に挑む意欲も燃やしている。自分の価値やメッセージを届け、世の中の常識や期待を覆すことに対する情熱は、今も変わらず持ち続けている。売れない商品や見過ごされがちな本質を届けるための戦いに、あなたが下剋上できるきっかけの提供に熱意を注いでいるのだ。
新しい視点やアプローチで物事を捉え、他者が気づかない魅力を引き出す。それが私にとっての挑戦であり、マーケティングを通じて実現したいことだ。退屈と戦う中で、下剋上の精神や創造的な挑戦を続けながら、世の中に新たな価値を提供し続けること。それが、私の人生における新たな目標であり、マーケティングを駆使して実現していくべき使命なのだ。
マーケティングは私の人生である。
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