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日記

皆さんは自分の最初の記憶を覚えていますか?

話は随分とんでしまうのだけれど、休職期間が終わって無職になった。なのでこれから日記を書いたとしてもそれは休職日記ではなくて無職日記となってしまうように思う。

先に経緯を話せば自分は「適応障害」らしい。
先日ニュースを見ていたら天皇陛下のお妃様つまり雅子皇后が長らく患っていたものと同じ診断名となる。「あっ、同じや」とニュースを見ながら思って、どこと比べてんねん、と頭の中でセルフでつっこんで、でもそんな困ってへんけどね、とわけわからん意地を張る。自分のことを忙しない人だと思った。

そういうわけなのでこのテキストを分類しようとすると、休職日記であると同時に無職日記であり、闘病日記であり転職日記ということになる。けれど実感としてはただの個人的な生活の記録に過ぎない。記録することによって、相手に何かを伝えようとかそうした類のものにはどうしてもなり得ない。あくまで日記なのだと思う。けれど、私のただの特質して書くべきことのない生活記録を読むことで誰かの日常が特別なものと感じられれば良いとも思う。何せ私は無職なので。

話は変わるけれど(そもそも初めから一貫して同じ話をしてはいないのだけれど)、少し前からTwitterで日記をつけている。私はフォロワーが多いわけでもなく少数の気のおけない友人と、インターネットのみでゆるく繋がっている少しの人々しか読んでいない日記だ。
それが非常に心地よい、自分の日常が誰かの日常に溶けていくような実感がある。それは私の勘違いかもしれないけれど、勘違いだとしても嬉しい勘違いだ。実際になんとなくお互いの存在は知っていたけれど、というインターネットの知り合いの方から挨拶くらいさせてもらえるというありがたいお話もいただいている。
日記を書いているときに頭にあるのがその人たちのことであったので、なお嬉しい。

個人的に日記をつけるという行為は手を伸ばす行為に似ていると感じる。自身の日常を曝け出すことによって、他者に共感を及ぼしたい、もしくは自分のことを知ってほしいという気持ちが少なからずある。けれど、それと同時に誰かの生活を生きている日々を深く知りたいという気持ちもある。日記をつけていると同じような出来事を体験した際に、あの人だったらどう思うだろうか、など実際の知り合いかどうかは関係なく様々な人物の思考の断片のようなものが頭をよぎる。誰かの記憶と自身の記憶が混濁するような心持ちで日記をつけている。もしかしたらそれは私の最初の記憶に関連しているのかもしれない。

幼い少年が必死に飛び跳ねドアノブに手を伸ばしている。

幼い少年とは私のことだ。ドアノブは床屋のドアノブだ。私は幼少時代住んでいた借家から数百メートル離れた床屋に、初めて1人で散髪に出かけている。
途中の公園にあるトーテムポールの薄ら笑いに怯えながら、隣りを通り過ぎてゆく自転車に乗った若い女性に母の影を感じながら、小さな右手で小銭入れを握りしめ、あのぐるぐる回る赤と青の螺旋まで駆け抜けてゆく。
今でもそうなのだけれど、多くの人がそうであるように、初めてのことというのが私にはとても恐ろしい。好奇心よりも恐れが勝る少年だった。
必死に外界の恐怖に立ち向かい、目的の床屋に到達したにも関わらずドアノブに手が届かない。私は1人では何もできないのかと焦りにも似た強迫観念が私を包む。右手に握る小銭入れを離してしまえばおそらく届いたのだろうけれど、母からしっかり握るように言いつけられている。
私は開かない扉の前で必死に手を伸ばしている。

その日は夏の特に暑い日だった。頭に被った母のカンカン帽が、飛び上がるたびにずれて視界を塞ぐ。

あっ、と気づいたときには遅かった。扉に頭を打ちつけ尻餅をついてしまう。私は塞がれた視界のなかでじっと目尻に力を込め、口を結び、何か大きな自分の中で湧き上がる感情に耐えている。

「どうしたの」と声が聞こえる。視界が晴れ、床屋のお姉さんが私を見つめている。

「栄光くん髪切りにきたの?」

お姉さんは笑っている。私は泣くことも笑うこともなく力強く頷いた。

これが私の初めの記憶だ。その後、心配になって様子を見にきた母(実は両親2人であとをつけていたらしい)の顔を見た瞬間に私は泣いてしまった。必死に不器用に、手を伸ばして笑われながらも散髪を終えた後は気持ちの良い風を頭皮で感じた。その風の心地よさを大人になった今でもよく覚えている。

先日、喫茶店で三島由紀夫の仮面の告白を読んでいたらそうした自身の最初の記憶がその後の自分に大きな影響をもたらしているといった描写があった。
おそらく自分もそうなのであろうと思った。不器用に手を伸ばしていると、誰かが笑ってくれるのではないかと私は自身の人生を通して期待している。一時期はそれを邪な感情だと卑下したこともあったし、馬鹿にされているのではないかと腹が立ったこともあった。けれど、日記をつけ不器用な日々を打ち明けているうちに、声をかけ、扉のそちら側から私を見つめて笑う誰かは、私の人生とって欠くことのできない存在であると感じるようになっていった。最初の記憶が私にとっての誰かと感情や記憶を分かち合う初体験だったことを思い出したのかもしれない。

私は今日も手を伸ばすように、日記をつけるだろう。


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