30歳

午前1時40分。寝付くことができずMacBookを立ち上げて気怠さを覚えながら文字を打ち込んでいる。

来月私は無職になり、再来月には誕生日を迎え28歳になる。

あと数年で30歳。私の青年期もほんの数年で終わろうとしている。20代を総括するにはまだ早い。けれど、自身の人生の航路を決める猶予として残された時間が多いとは言えない。

村上春樹さんが小説を書き始めたのが29歳。デビューが30歳。又吉直樹さんが「火花」を書き上げ出版したのが35歳。滝口悠生さんがデビューしたのが29歳。自分の尊敬する作家の方々は30歳前後で作家としての人生を歩み始めた方が多い。

だからかどうかわからないが、自分は10代の終わり頃から30歳という年齢を大きな節目であろうとぼんやりと考え続けてきた。

ぼんやりしすぎてしまったのか、気づけば自身の年齢がその年に近づきつつあることに気づかなかった。いや、気づかないようにしていた。

言い訳をしながら様々な職を経験し、様々な分野の知識を摘んでいるうちに20代は過ぎ去ろうとしている。

この年になってみると、尊敬する作家の方々は作家になる前に20代としての自分としての身の上を築き上げているように感づる。村上春樹さんはジャズバーで身を立て、又吉さんはお笑い、滝口さんは輸入食品会社で勤務されていたらしい。
ひとまず食っていけるようになり、やはり小説を書きたいとどの方も思われたのだろう。現役で活躍されている方々と自身を比較することは何の意味もないのだけれど(区切りを決めて努力している方々にとっては重要なことなのであろうが)、やはり自身の心に深い影響を与えた作品の生みの親たる著者の人生というのは私にとって無視するには重すぎる。

これで食っていけるが、やはりやりたい。表現したい。そうした心持ちを持って作家となった方々の想いというのは、ありきたりだが凄まじいものであると昨今は考えるようになった。

思い返せば私の創作の言動力は人生への挫折そのものだ。学校生活がうまくいかない、恋愛がうまくいかない、就職がうまくいかない、仕事がうまくいかない。世間でうまく立ち振る舞えない、そんな気持ちが私をノートパソコンの前に座らせる。文字を打たせる。文を、物語を紡がせる。

しみじみ情けないと感づることが増えた。真摯に生きてこなかった報いなのだろう。やりたいことがないと言って資格を取ったり、アルバイトをだらだらとしていた日々が思い起こされる。

周囲には結婚し、子どもを持つ友達もちらほら見受けられるようになった。嫌であった仕事にやりがいを見つけたり、上手に受け流せる術を身につけ自身の足で世の中を渡っている。
不器用な人間も不器用なりに生きていく術を身につけ始めている。

今、私の心は白紙だ。自身がこれまでの人生で何を選び、何を選ばなかったのか。ポッカリと空いた時間で問いかける日々を過ごしている。老い過ぎず、されどもう若すぎず。中年ほど頼り甲斐はなく、青さに自惚れるほど若くもない。遅々として進まぬ人生を無邪気に社会や誰かのせいにできる年齢でもない。

自身の足で立ち上がるには遅すぎる。されど立ち上がらなければ進まぬどころか沈む一方の泥舟だ。泥舟を動かすには、泥をかき出し、帆の位置を見直し、潮目を読み、むやみやたらにオールを漕がず、風の力を信じてただすべきことをし、天に身を任せる他ない。

できるだけ心地よい風が吹くことを信じながら。




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