遊覧船にゆられて
大人になるまで船に乗るという機会があまりなかった。
子供の頃から乗り物自体に興味がなく。電車だとか車だとか飛行機だとか、好きな周りの男の子たちを眺めながら『ただの乗り物だろ』と思っているタイプの少年だった。
時が経ち大人になって、否が応でも移動手段で様々な乗り物に乗らざるを得なくなり『人を運ぶ乗り物』というものに面白みを抱けるようになってきた。
乗り物というのは不思議なものだ。
乗っている間に、例え寝ていたとしても自分をここではないどこかに運んでくれる。
『イマココワタシ』が中心の世界の中で、その外側の世界を見せてくれる。
そういうことが面白いのだと大人になって気づいた。
そんな乗り物の中でも特に私が好むのは船だ。その中でも遊覧船が特別に良い。
大きく移動するわけではない、観光地の湖を一周するような奴。さっきと言ってることが全く違うじゃないかと思われるかもしれないけれど、大きく移動しないという点で遊覧船は特別な乗り物なのだ。
まず目的地がない。船に乗るそれ自体が目的になっている。
ただ乗っている。けれど、陸から見ている風景とは明らかに違うその土地の姿が見えてくる。山が大きく聳え立っている。けれど、その山とは水で隔てられている。陸とは全く違う風が吹き、通り過ぎてゆくその背後から小さな波ができる。
雨が降れば世界と自分とが如何に地続きなのかを思い知らされ、晴れていれば世界をより鮮やかに感じさせてくれる。
水というものでこの星が生かされているという実感が湖にはあり、遊覧船はその中を走ることによって私にこの星の豊かさをほんの少し教えてくれる。
遊覧船はそんな大袈裟な感慨まで抱かせてくれる乗り物だ。
何がそう思わせるのだろう。
たぶんそれは視点の違いだ。人生のほとんどを陸で生きる私に、ゆるやかに進む遊覧船の時間がそれ以外の世界を感じさせてくれるのだ。船から見る陸はすぐ行けるのに別の世界のように感じる。山はより高く、人はより他人として、空はより青々と、そして時間はよりゆるやかに。穏やかなひと時が遊覧船の中では流れている。
でも決して普段の現実とかけ離れていたりはしない。
そんな世界とのちょうど良い距離を遊覧船は与えてくれているのかもしれない。