みなとく散歩「三田」編
2024年9月7日10:00-11:30
三田の今とむかしを知るお散歩コース
三田とは・・
・港区ほぼ中央に位置し学生や外国人の姿も多く見かける活気のあるエリア
・田町・三田周辺での大規模な再開発で数多くのビルが建築されている
・新たなスタートアップの集積地として注目度の高いエリア
①赤羽橋駅 赤羽橋口
赤羽橋は港区を流れる古川に架かる橋の名前。
地名の由来は、昔からこの周辺の土地は赤土が多かったため、赤埴(あかはに)が転訛したなどの説もある。
歌川広重の名所江戸百景にも登場し、そこには増上寺の五重塔と、長い塀で囲まれた久留米藩有馬家(21万石)の上屋敷が描かれている。
・赤羽橋から見た東京タワー
東京都港区は東京タワー(高さ333メートル)が美しく見える「眺望点」5カ所を指定し、視界に入る建築物の規制を行っている。赤羽橋はその眺望点の一つ。
他の眺望点には御成門交差点、増上寺参道、区立芝公園、プリンスパークタワーがある。
・東京都済生会中央病院
1911年、明治天皇が内閣総理大臣桂太郎に命じ恩賜財団済生会が創立。
1915年、「恩賜財団済生会芝病院」開設。初代院長は北里柴三郎。新1000円札の顔の人。
・綱の手引き坂
綱坂と同様に『渡辺綱(わたなべのつな)』にまつわる名称。
『渡辺綱』は、羅生門の鬼退治で有名な、平安時代の勇士源頼光の四天王の一人であり、この付近に生まれたという伝説がある。但し実際の生誕地は武蔵国足立郡箕田村(みだむら=現・埼玉県鴻巣市箕田)といわれ、箕田(みだ)が三田(みた)と誤解を生んだというのが真相のよう。
また、渡辺という名字ならば節分の豆まきが必要ないというユニークな伝承もある。
・都立三田高校
1923年、東京府第六高等女学校として開校。
1950年、東京都立三田高校と改称し男女共学、夜間定時制並置の新制高等学校に改組された。
ちなみにデヴィ婦人は定時制課程に在籍していた。(2008年に閉課)
ここは九州久留米藩有馬家の上屋敷跡であり、化け猫の怪談話がある。
江戸時代、屋敷内で狂犬に追われた猫を助けた腰元お滝が当主の側室に召し上げられると、古株の侍女たちがそれを妬み、陰湿なイジメでいびる。耐えかねたお滝は自害するが、その侍女たちも化け猫に殺される。最後は有馬氏のお抱え力士の小野川が命を懸けて退治するというお話。
三田高校内に塚、隣接する赤羽小学校内に碑がある。
・三田ガーデンヒルズ
日本一高級な低層マンション。2023年2月から販売開始。
13~14階建て、もっとも価格の高い分譲棟の坪単価は約2000万円、平均価格は4億円前後。一番広い部屋(376平米・4LDK)の価格は、これまでの分譲マンション最高価格55億円(『パークマンション檜町公園』)を超えると言われている。
・綱町三井倶楽部
1913年、三井家の迎賓館として鹿鳴館の設計者として知られるジョサイア・コンドル博士の設計によって建てられた。
戦後は米軍将校クラブとして使用されていたが、返還後は復旧整備を施し三井グループ企業による会員制倶楽部として再生し今日に至っている。
②イタリア大使館
松平隠岐守中屋敷跡で、大石主税ら10人が切腹した場所として碑が建てられている。大使館の建物手前の庭園や池は往時のままと伝えられている。
・三田綱町パークマンション
日本初の最高級マンション。三井不動産が分譲、鹿島建設と三井建設が施工した。1970年に分譲開始。東棟・西棟の2棟建て総戸数は160戸。最高階数19階は当時ほとんど例がなく、現在のタワーマンションの先駆けと言える。
分譲当時の価格は最も高い住戸で3158万円。平均の坪単価71万円。現在は坪単価では430万円前後で中古市場に出ており、1億6000万円程度の価格となっている。すでに築51年となっているが、現状でも価格上昇が見られる。
・ラーメン次郎 三田本店
創業者山田拓美総帥の一杯が楽しめるのはここだけ。
以下は社訓。
①清く正しく美しく、散歩に読書にニコニコ貯金、週末は釣り、ゴルフ、写経
②世のため人のため社会のため
③Love and Peace and Togetherness
④ごめんなさい、ひとこと言えるその勇気
⑤味の乱れは心の乱れ、心の乱れは家庭の乱れ、家庭の乱れは社会の乱れ、社会の乱れは国の乱れ、国の乱れは宇宙の乱れ
⑥ニンニク入れますか?
→⑥のみオリジナルとのこと。
③玉鳳寺
1599年、八丁堀に開創された曹洞宗のお寺。
1635年、江戸城拡張工事の立退きに伴い現在地に移転。
多くのお寺が立ち並ぶ幽霊坂の途中にあり、第20代総理大臣・高橋是清より寄進された立派な山門が特徴的。
左手に「おしろい地蔵」として有名な「御化粧延命地蔵尊(おけしょうえんめいじぞうそん)」が祀られており、おしろいを塗って祈願すると美肌効果があるという。
江戸時代、泥にまみれた地蔵を和尚さんがお寺できれいに洗い、傷ついた部分におしろいを塗って手当をしたところ、自身の顔のアザが消えたという話が残されている。
④亀塚
直径3.0m高さ4mの円形の塚。周辺地域から古代の住居群や貝塚が発見されている。また亀塚の頂部には1750年、上野国沼田城主土岐頼おきによって建てられた亀山碑がある。
詩文に秀でた大名と言われた頼おきは、この地が更級日記の竹芝寺伝説の故地であることや、塚の頂部の酒壺に出入りする亀を神と崇めていたが一夜の風雨で酒壺の亀が石になったという伝説に興味を持ち、この碑を建立したと考えられる。
⑤済海寺
1859年、フランスの初代在日総領事ベルクールがここに最初の公使館を置いた。
⑥元和キリシタン遺跡
1623年、キリシタン50人が殉教したと推定される場所。1612年の禁教令以降、潜伏キリシタンに対する弾圧というと長崎を思い浮かべるが、江戸でも激しい弾圧があり約2000人が殉教している。
⑦蟻鱒鳶ル(ありますとんびる)
”三田のガウディ”こと岡啓輔さんが自力で建てているRC造(鉄筋コンクリート)の建築。2005年着工で今現在も建築中。
名前の由来は、「ここにあります」という肯定的な意味とシェラトンやヒルトンのような有名ホテルにあやかる意味もあり、さらに陸海空3種の動物、最後のルは岡さんが尊敬する建築家ル・コルビジェから拝借したそうで、アーティストの友人が名付けてくれたそう。「自力でビルを建てる男」という本が出版されているのと、2023年にはサッポロより数量限定で蟻鱒鳶ール(ありますとんびーる)が発売されている。
・在日クウェート国大使館
1970年代、万博をきっかけとして海外での活動が中心となった丹下健三が日本国内に残した数少ない建築。
2本の太いコア・シャフトによって支えられた上層部と下層部との2つの大きなボリュームで構成されるダイナミックな造形で、上層部は大使公邸、下層部は大使館の事務室として用いられ、機能的にも明快な分離が図られている。
⑧慶應義塾大学
1858年、福沢諭吉により開塾。
福澤諭吉が25歳の頃、藩命により江戸築地鉄砲洲の中津藩中屋敷内(現在の東京都中央区明石町、聖路加国際病院のあたり)に蘭学塾を開く。これが慶應義塾の起源となる。その後移転を繰り返し、1871年に現在地である三田に移転した。
最後は生協食堂の冷梅おろしうどんでしめ。
皆さん本日も暑い中お疲れさまでした。
みなとく散歩「三田」編 マップ
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