Twitterで建設的な議論するには?見解と嘆き、希望。Twitterは論理を理解する場ではなく、意見に感情的な賛否を寄せる場所なのか。
はじめに
建設的な議論ができるのか、という点について、私自身かなり疑心暗鬼になりましたので、その経緯と希望について書いていきます。
経緯
そう思うようになった経緯(詳細はリンク)は、「書き順の教育は今後必要か」という意見に対して「現状書き順を教えないと手書きの文書を読むのに大きな労力がかかるのでは」という観点で意見をしたところ、「将来的にデジタルになるのだから必要ないだろう」、と指摘されたことです。
なぜ、僕の意見が理解されなかったのか考えましたが、僕の説明が言葉足らずだったのでしょうか。いや、でも確かに僕の言葉遣いが悪かったのかもしれない。上から目線だ。これは確かに否定的に取られてもしかたないかもしれない。ただ、「書き順を覚えないときれいな字がかけない」という点に関して、賛否はあるかもしれませんが、僕は、これは間違っていないと思います。なぜなら、日本語を学んだばかりの外国人の筆跡をみたことがあるからです。控えめにいってひどいものです。もちろんこれをデータや研究結果をもとに示せればいいのだが。いやもしかしたら本当に書き順を教えなくてもきれいに素早く文字を書くことはできるかもしれない。。
また、Twitter上で議論する際の弊害として、140文字の制約というのは大きいのかもしれない。どうしても言葉を選ばず上から目線な文になってしまう。いやでもそれは書き方の能力だろう。いやそうだろうか。。
もう一点デメリットを上げるとすると、先の主張が見えなくなってしまい、論点が非常に分かりにくくなるという点です。この点については、逐次論点を確認しながらツイートする必要があると思います。この点についても、論点の把握と表現力が求められると思います。
希望
希望を見出すとすれば、先の点を感情に任せずに議論ができる人々がフォロアーになってくださることかなとは思います。それによって、私が示した争点に対して、意見をいただき、根拠をもった反論をしていただく。これに対してさらに反論が続くという、議論のあるべき姿が描けるのではないかと思うのです。また、そのような発信者ないしコミュニティーを探すというのも手だと思います。
また、私自身の表現能力が上がることかなと思います。つまり、Twitterを主としたSNSによる建設的な議論については、ある議論に対して真っ当だと思われる主張に関しては賛同がよせられ、間違っていると思われる主張については不賛同の声があがるということ、ということ自体は希望だと思います。
ただ、感情に従って賛否の声が上がっても建設的な議論には至らないかもしれません。また、私自身はそのような人望や能力が備わっているようには思わないし、ホリエモンや乙武さんのようなカリスマ性のある人であっても、真意が受け取られないということは多々あるのだろうと感じます。
やはりYoutubeLiveなどことなる方法を考えて、そちらでがんばるしかないのでしょうか。果たして自分にそのような素質・能力が備わっているのでしょうか、とくよくよと考えてしまいます。
さらにいうと、Twitterは見たくないものは見ない、という性質があると思います。こう思った経緯は、「安倍さんを私たちが選んだわけではない」という意見に対して、「いや、現状の民主主義制度は妥当であって、民主主義・立件主義の考え方から現状の選挙制度は最善だろう」と意見しました。これに対して、「国民ではなくて、一部の国民だ」という反論がでました。なので、「では、どのような民主主義制度が良いと思うか」と問うと、「ブロックします」となってしまった。悲しいが、確かに僕の言い方もよくなかったのかもしれません。最初に「確かに安倍さんは一部の国民によってえらばれたと思います、しかし、一部の国民に選ばれたという事実を私たちは受け入れるべきではないでしょうか」というべきだったのかもしれません。いやそれでも言葉足らずかもしれませんね。。
最後に
希望を述べるはずが、無理かなあという結論になってしまい、恐縮ですが、それでも上に述べたように希望はあると思います。私自身の表現能力向上により、そうした希望を具現化できればいいなとは思います。さらにTwitter上での素晴らしい表現者を探していきたいと思います。
建設的な議論というのは、やはり、私の目指すべきところだろうと考えます。この考えに賛同くださる方はTwitterをフォローいただけると幸いです。
記事は、以上です。私のくよくよに付き合っていただきありがとうございます。
よければ、コメントやTwitterをフォローしていただき、ご意見いただきたく思います。↓Twitterリンクです。ありがとうございます。