「国民的議論」とは一体何か。私の思う国民的議論の条件とは。


はじめに


「国民的議論」という言葉が報道などで出てくることがあります。しかし、実はこの言葉には明確な定義はありません。なぜなら、国会議員や政治家たちの話し合いは、国民を代表する人々の議論ではあるけれども、それは「政治的議論」であって「国民的」というのはおかしいし、では、Twitterなどのネットの中での議論(時に罵り合いになる)が「国民的議論」と呼べるかというとそれもあやしい。そこで、どのような条件が当てはまれば「国民的議論」といえるかというのを考えればよいと思う。


では、一体、「国民的議論」と呼べる条件というのは何なのか。意見聴衆会と全国紙の世論調査という観点から考えていくと、その条件というのが見えてくる。


意見聴衆会とは


「国民的議論」というワードをネットで調べてみると、「意見聴取会」なるものがキーワードとして出てきた。これは、行政が政策を決めるときに、利害関係者や専門家などの第三者などを集めて意見を聞き取るための会合、のことを指す。


最近の実例を調べると、2020年4月6日に原発処理水に関する意見聴衆会が開かれている。以下は、河北新報の社説である。


東京電力福島第1原発にたまり続ける汚染処理水をどう処分するかを巡り、政府が関係者の意見を聴取する会合を重ねている。新型コロナウイルスの感染拡大後はテレビ会議となり、地元の出席者からは「意見が伝わりにくい」と不満が漏れる。このままでは地元の住民らが望む「国民的議論」に発展するとは到底思えない。https://www.kahoku.co.jp/editorial/20200517_01.html


福島県内の漁業関係者や首長が原発の処理水処理について、政府関係者に対して意見をしたということだ。しかし、上記の聴衆会では、「国民的議論」にはならない、というのが社説の内容であり、まさにその通りではないかと思う。一部の利害関係者の意見が政府に提示されただけでは国民的議論にはならない。その一方、政府に対して国民の意見が正式に述べられたという点においては、国民的議論の一端ではあるといえるだろう。


このように意見聴衆会が国民的議論の条件の一つになると考えられるが、意見聴衆会を開いても「国民的議論」にならない場合もある。では、どのような条件で国民的議論といえるようになるのだろうか。


マスコミの報道と世論調査


どのような条件で国民的議論といえるか。これは、私の考えになってしまうが、マスコミが意見聴衆会や専門家会議などの内容を国民に報道し国民の中で政策の争点がしっかり認知されている状態というのが条件ではないかと思う。


例えば、「新型コロナウイルスの緊急事態宣言」については、マスコミがしきりに発信し、発出の是非がしっかりと国民に認知されたと思う。そして、その基準は、全国世論調査の内容に含まれているかということだと思う。例えば、読売新聞が4月11~12日に実施した全国世論調査を見てみよう。


読売新聞社が11~12日に実施した全国世論調査で、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、政府が東京都や大阪府などに緊急事態宣言を発令したタイミングが「遅すぎた」は81%に上った。https://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20200413-OYT1T50144/


このように、大手新聞社が世論調査をした内容については、「国民的議論」あったといっていいように思う。しかし、難しいところは、NHKは憲法に関する意識調査を5月7日に行ってはいるものの、「新型コロナウイルス」や「検察庁法改正案」などに関する世論調査は5月22日現在まで実施していない。


NHKの世論調査についてどう考えるかは難しいところではあるが、少なくとも全国紙である五大紙朝日新聞毎日新聞日経新聞産経新聞読売新聞)で、新型コロナウイルスに対する政府の対応について世論調査を行っている(日経新聞以外の4社は「緊急事態宣言の発出時期」についての世論調査も行っている)。


ここで、9月入学についての世論調査をみてみよう。5月22日現在、9月入学についての世論調査は、NHK読売新聞日経新聞産経新聞、で行われており、毎日新聞、朝日新聞においては筆者の調べた限りでは見つからなかった。これが今後、朝日・毎日の両新聞で世論調査が行われれば、国民的議論が行われているといえるのではないでしょうか。


さらには、検察庁法改正についての世論調査は、5月22日現在、朝日新聞NHK日経新聞読売新聞産経新聞で行われており、毎日新聞では行われていなかった。


世論調査という点に関しては、五大紙が世論調査を行っていると国民的関心は高いと考えられるし、十分に国民に論点が認知されていると考えてよいのではないか。


まとめ


国民的議論というのは、曖昧な言葉であって明確に定義づけるということは難しいだろう。この条件を満たせば国民的議論が行われた、といいきれるような条件はないように思う。


しかし、ある政策決定に関して、意見聴衆会が開かれ、大手新聞紙によって世論調査が行われていれば、おおかた国民的議論がされているといってよいのではないでしょうか。もちろん、これはあくまで筆者の考えであって、明確に定義づけられるわけではない。しかし、意見聴衆会が開かれることで国民の意見が行政に届き、全国的な世論調査が行われることで、国民の問題意識は高まる。このように、政策に関する国民の関心意識が高まることで、国民的議論が高まったといえるのではないでしょうか。


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鈴木寛太|思考の基礎を「読解力」と「議論」から
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