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時事問題を扱うことは割と疲れる。哲学的な議論をしたい。#雑記



1か月ほど前に退職してから、時事問題に関して情報発信を続けてきた。


しかし、時事問題について考察することは割と疲れな、と感じることに気が付いた。


なぜ疲れるのか。個人の価値観と手段について。



なぜ時事問題について考察することは疲れるのか。


それは、事実を事実として捉えなければ、その善悪を論じることができないからだ。事実ではないことを事実として捉えてしまっては、議論の前提が崩れてしまい、善悪を論じることすらできないし、導き出した結論でさえ、誤った事実認識に基づいているため誤った結論になる場合があるのだ。


つまり、時事問題の善悪を論じるには、まず、情報収集を徹底する必要がある。


この情報収集が、意外と大変なのである。


これは私のしたいことか、と考えた。


正しい情報を収集して提示することが私のしたいことなのか、と考えた。


答えはノーに近い。


私がしたいことは、より根源的な哲学的・形而上学的な議論であって情報収集をすること自体に大きな価値を見出すわけではない。


例えば、SNSでの「誹謗中傷」をどう防ぐか、ということよりも、「誹謗中傷」の言葉の意味やなぜ誹謗中傷は不正なのか、という議論がしたいのだ。


だから、時事問題を正面から扱うことは自分には向いていないのかもしれないと感じるのだ。


まとめ


大した話ではなかったかもしれないが、私の考えを明確に言語化したかったので、この記事を書いた。


皆様も、「自分のしたいこと」と「していること」がなぜ乖離してしまうのか、じっくりと考えてみてはいかがだろうか。


私自身も、この記事を書きながら、「情報収集に時間を割く必要はないな」と感じた一方、「もっと哲学的な話をしていこう」と思ったところである。


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