鹿島槍天狗尾根遭難を総括する(遭難)(原文)⑤
学習院大学山岳部 昭和34年卒 右川清夫
現場開発作業から遺体発見まで
6月12日、個人山行で鹿島槍頂上から天狗尾根を下った設楽美徳部員が、手を付けられないまま、自然露出しているデポを発見。 さらに森林限界付近で、1月の捜索時に紛失したピッケル1本を見つけるなど有力な手掛かりを得て、捜索はにわかに活発になり、遺体発見の糸口となった。 このピッケルについては、行方不明の部員が、デポに達していないで尾根から、荒沢側に転落し助けを求めて尾根筋に這い上がったのではないかと、想定された。 このため6月20日、天狗尾根の荒沢側斜面の徹底した捜索を40名で行った。
この隊の活動で、梅雨の中、大川沢の架橋工事から、天狗尾根登攀路の道付け工事ができた。 しかし、4人の発見には何の手掛かりもないままに、最終日を迎えた。
その6月25日、道付けの開発をさらに進め、マカリ沢に下る急斜面を横切り、まかり本谷へ到達。 沢内の偵察をした結果、本谷の大屈曲点(通称通称日蔭沢出会い上部約200m)の残雪上に露出した遺体を発見。 ヤッケに身を包んだ藤原荘一君が静かに横臥した姿だった。 ここに間違いなく初めてマカリ沢への転落事故であることが認識させられた。
発見場所は、天狗の鼻より約800mの狭隘なマカリ本谷のにごり尾根の支尾根が大きく屈曲したところで、S字状屈曲点と呼んでいたところだった。
天狗の鼻直下で発生した新雪表層雪崩に押し流されたに違いなく、藤原君の遺体が、デブリの上部にあったのは、雪崩が最初に突き当たる支尾根に乗り上げたためと思われ、残る3君の埋没もほぼ同地点と推測された。 1月の捜索から6月25日の藤原君の発見に至るまで一貫して同行捜索し、現地に詳しいガイド星野貢氏によると、発生現場の地形、雪崩の進行方向を見ると、12月30日の大雪崩はにごり尾根(2図参照)を大きく削っている。 1月6日に星野氏と同行したガイドの田中氏もはっきり底雪崩と分かった。 この雪崩は春に起きる地こすり雪崩と違って周囲の雪が柔らかいので雪崩の外側にいた藤原君は曲がり角の外壁に押し込まれた形になっていたと分析している。
残る3名の遺体は沢筋が雪崩の通路になっており、デブリは削られて下方へ持っていかれるとも考えられるが、時期の早かった頃の雪崩は雪渓上に出るよりも、下方に落ちる可能性もあり、沢の形より見て滝の連続のようだから滝壺に入っているかもしれず、土砂に埋もれている憂いも大いにある。
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