鹿島槍天狗尾根遭難を総括する(遭難)(原文)②
学習院大学山岳部 昭和34年卒 右川清夫
遭難当日の気象と行動
昭和30年12月30日
雪は相変わらず、降り続いているが、風雪が弱まってきた午前10時30分頃、元旦の登頂計画のため、荷揚げと、新人トレーニングを兼ねて4人は、鈴木廸明リーダーの「小谷テントキーパー頼むぞ」の一言を残してデポ地に向かった。 装備は、空(から)のザックにザイル、ライト、昼食一食分という軽装であった。
彼らが出発して間もなく、ものすごい地響きを伴った饗音が全山にこだまする。 まさかこの饗音が、今別れたばかりの4人を巻き込んだ雪崩とは、考えたくなかった。 (2015年7月25日の部室での座談会での小谷発言による)
終日続いた吹雪はブリザードとなったり、深々と降り積もったりしたが、夕方に速い雲の流れに、一瞬雲間から月がのぞくこともあった。 4人は帰ってこなかった。
小谷はしばしばにヤッホーを叫んだりライト信号を繰り返したが、猛吹雪に消され反応はなかった。 このようなラッセルが困難な状況にあって4人は当然雪洞を掘って避難しているだろうと想い、天幕に入るが激しい降雪に埋まってゆく天幕を守るため休みない雪との格闘を強いられる。
31日
前日同様の天候、戻ってこない4人の安否に小谷は気は焦ったが単独行動は慎まねばと言い聞かせ、天幕の除雪、4人が帰還の為にとコースの雪踏みをしながら帰還を待ちわびる。 「俺は取り残された」と思うことがあったと小谷は言う。 時折風雪がやや弱くなることもあり、日輪が透けて見えることもあった。
昭和31年1月1日(半晴れ)
朝、雲が激しく流れあたりが明るさを増し、強風雪は落ち着きを見せ出した。 視界が得られてきたため、意を決して午前8時、下山を始めるが積雪多量のため地形、風景は様変わりしており、加えて雪に潜って視界が狭く下山ルートの決定に迷ったと小谷談。
ラッセルに難行する中、雲かガスの切れ目におりしも第2クロワールに到着した登山者の数人を発見。 大声をかけながら第2クロワールに至る。
出会った熊本RCC、福岡山の会、の方々はどなたも、学習院の4名に出合っていないことを聴く。 小谷は不安におののきながらデポ地を探したが、5~6メートルに及ぶ積雪によって尾根の地形が全く変わってしまっているため発見できず、4人もここに到達していないだろうと想った。 森林限界辺りには新年登頂を望むパーテイ―の天幕数張りがあり、その人たちも学習院パーテイ―のことは知らなかった。 4人は遭難したのか、避難しているのか。 東京に連絡してよいものか、もう少し待つべきか。 事の重大性への悩みが生まれたと小谷は口ごもっている
これらの人たちによって、ラッセルされた林間のコースを転がるように下り、19時、二股小屋ベースハウスにたどり着いた。 ここでやはり大雪のために東尾根を撤退してきた小峰顕一率いる東尾根隊に会い、天狗尾根パーテーの4名が下山していないことを確認。 近くにある昭和電工の事務所より、東京へ急報。 救援の依頼と詳細打ち合わせのため、小峰と小谷は直ちに夜道を大町へ下山した。
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