大阪城
大の太閤びいきは大河ドラマ「おんな太閤記」から始まった。西田敏行氏が演じた快活な秀吉はそのまま、尊敬する偉人像として幼い胸に刻み付けられた。私が歴史に興味を持ち始めたことを喜んだ父は、山岡荘八、吉川英治…… 様々な『太閤記』を与えてくれた。裸一貫から太閤にまで上り詰め、天下統一を成し遂げた英雄…… 。
だが、史実に向き合うにつれて、出世欲の狂気から湧き出たどす黒いものが、少しずつ私の偉人の栄光を塗り潰し始めた。輝きの裏に厳然としてある暗黒の闇、影深き冷酷無情な天下人の顔。傷口を手で抑えても、止まらず吹き出す血のように…… 汚れた血は消えぬ血痕を残し、青史を汚した。豊臣秀次切腹事件、朝鮮出兵…… 狂気の沙汰の原由をどう解釈したらよいものか。
「春風や 藤吉郎のいるところ」と吉川英治が詠んだ如き明朗な藤吉郎への憧れは、「猛吹雪 太閤殿下のいるところ」と言わんばかりに、資史料の咆哮の前に凍り付いた。憧憬と幻滅が錯綜し、大阪を訪れど、太閤の権力の象徴たる城にはなかなか足が向かなかった。
あんな偽モン見る価値ないわ!大阪生まれの友が放った軽快な大阪弁も、追い討ちをかけるように、ずっと胸に刺さったままだった。
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秀吉が大阪城を築いた年齢を遥かに越えた。人の表の顔も裏の顔も、酸いも甘いもそれなりに噛み締め、人間臭さの魅力の中に潜む乱世の権力者の残忍さは、繰り返される残酷な歴史の中に、半ば諦念として落とし込まれた。
「秀頼のこと、くれぐれも頼み参らせ候」愛児への思いを残し、死ゆく狡猾な老猿も、結局、最期はただの人だった…… 。
冷たい春風が吹きすぎる。微かに大気が揺らいだ瞬間、幼き頃の憧れが頭をすうっと掠めた。
人間豊臣秀吉にふと会いたくなって、ふらり、太閤はんのお城を訪れた。
くすんだ白藍の空の下をとぼとぼ歩く。朝鮮から飛来した黄砂を連れて、気怠い花風が頬を撫でてゆく。
城周辺は、複合商業施設になっている。小洒落た店が軒を連ねる。
「歩いてお茶して、緑の中の城下町」…… 派手好きな太閤はんは、手緩いときっと笑うことだろう。
イベントの武者姿の若者たちが、疾風の如く駆け抜けてゆく。
春塵に、遠く霞んで見える天守閣。烟る風景の中、細めた目に映る勇姿は、「大坂夏の陣図屏風」の天守閣、消失したはずの太閤はんの城そのままである。
白壁と水浅葱の屋根は、カラッと乾いた方言飛び交う大阪の地によく似合い美しい。
現在の大阪城天守閣は、昭和六年に大阪市民の全額寄付により再建されたという。外観は五層建てだが、実際は八階建て。地上約五〇メートル、最上階展望台の回廊からは、天下人も眺めたであろう大阪のまちが見渡せる。東側には生駒山や信貴山の青い山影。当時は空気も澄み、山並みは近かったはずだ。勿論、整然と並び広がる城下町は露と消え、面影もない。代わりに、天下の台所たる大阪、日本の経済を支える高層ビル群に視界は遮られる。
城の形をした鉄骨鉄筋コンクリート造の内部は歴史博物館になっている。九百点を越える遺物からテーマ毎に入れ替わる文化財の展示。
ミラービジョンが描き出す太閤記。大阪夏の陣のパノラマビジョン、真田幸村隊と松平忠直隊の激闘の再現…… 技術を駆使し立体的に見せる展示の数々、内部を走るエレベーターに、新しもの好きだった太閤はんも満足していることであろう。
天守閣を支える天守台の石垣は、江戸幕府によって再興された時のもの。天守閣は、秀吉が築いた初代大阪城を模しているから、言うなれば、滅ぼされたと雖も、巨大で堅固な徳川の石垣の上に、今尚、豊臣の遺構は聳えていることになる。第二次世界大戦の戦火をも潜り抜けてきた五層の天守閣…… 屋根には金の鯱が燦然と輝き、最上階高欄下の外壁四面には、それぞれ二頭ずつの金の伏虎が睨みを効かせている。
豊太閤、ここにあり……今一度、天守閣を見上げ思う。花霞 白い太陽が眩しい。
*
伊丹空港から羽田空港に向け、飛行機は飛び立つ。
遠ざかる大阪のまち…… 上空から天下の城が見下ろせた。
「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」
天下人は露と消えても、秀吉の夢を越えて、大阪の町は発展を続けている。遠く小さくなりゆく、あの城を中心に……。
浪速が抱く夢は計り知れない。