霊験あらたか
自分がその道を見つけたのは卯の花の咲く時分であった。 Eの停留所からでも帰ることができる。しかもM停留所からの距離とさして違わないという発見は大層自分を喜ばせた。
「道」から文を書き始めようとすると、私淑する梶井基次郎、彼の晩年の傑作「路上」を連想してしまって困る件。
自分がこの道を見つけたのは紅葉の始まる時分であった。飯田橋からでも行くことができる。しかも九段下からの距離とさしてちがわないという発見は大層自分を喜ばせた。なんてね、ごめん。
「あ、この道だったのね」
飯田橋駅を降りてお堀端を市ヶ谷方面に向かう。
法政大学沖縄文化研究所の主催する公開講座を聴講するために、何回か通った事のある道。右手にお堀。左手は小高い丘陵になっていて、法政大学とのちょうど中間あたりに、左に折れ上っていく、それほど広くない道がある。いつもなのかしら、警察官がバリケードを作っていて、そこを抜ける車を規制しているのがわかる。
「この坂の上に何があるんだろう」そう思いながら前回も通り過ぎたのだが、実はこの道を上っていくと、そう、靖国神社の北門近くへ行き着くのだ、とまあ左手に持ったスマホの、Googleマップ先生が教えてくれている。「決して怪しい者ではありませんからねぇ、呼び止めないでぇ」心の中で呟きながら坂を上がる。あごひげ中年の汚ねぇじじいが、少し大きめのバッグを持ってきょろきょろしながら靖国神社へ向かっている姿は「あの男やべえぞ職質!」など勘違いされてもおかしくない。何となれば男ならではの、あの変なオドオドとした警戒心とでもいおうか、そんな気持ちになってしまうのだ。混んだ山手線では必ず両手を吊革に掛けようとする意識と同じ気分ね。
いやが応にも(いやがうえにもとは意味が違うので気をつけてね)緊張感が漂う不思議な坂道をおおよそ10分歩けば、靖国神社の第二鳥居の横手に到着。
靖国神社の存在については、その歴史的背景について、私なりに多少は勉強をしてきたつもりだ。勉強の当初に於いては少なからず批判的な感想しか持ち得なかった。A級戦犯を合祀したことがそのすべてだった。一方でこの数年間、自分のライフワークとして太平洋戦争の特に後半、昭和18年以降の日本陸軍はどう戦って、またどう失敗したのかを組織論として勉強してきた中で、読む本、読む本、何十回となく「靖国」という言葉が登場するに至った。戦争では多くの日本兵が死んでいったが、靖国神社は死んでいった彼らの英霊が眠っているという事実。彼ら日本兵が、兵士として死を覚悟し得て、そして実際死んでいった、その「魂」の拠り所として、この靖国神社が存在しているのは間違いないようだ。
私はこう思った。
「そうだ、いい、とか、悪い、とかの判断は、今は保留しておこう。百聞は一見にしかず、まずは、行ってみるだ。見てみよう。んだ。んだ!」
第二鳥居の前にたつ。「下乗」(乗り物から降りること)なる制札が立てられている。
門の前を通り過ぎる一人の若い女性が、門中央で立ち止まり、シュッと背を伸ばしたあと、一礼をして立ち去って行く。
足を踏み入れ、奥に見える拝殿に進む。月曜日の午後だからなのか、境内は割と空いていてしーんと静まりかえっており、少しく緊張感もたらす。「撮影禁止じゃあないですよねぇ」キョロキョロ。撮影禁止と書かれていないことを見届けてから、人が疎らな今の時間は写真を撮るにはいいかもしれないと、3枚撮った。いや正確に言えば「そーっとシャッターを押させてもらった」
こうして靖国神社の歴史的背景や存在意義を、多少なりとも事前勉強してきたからなのだろうか、否、ただただ私が日本人だからなのだろう、なんだか私の知っている田舎の神社ではない、明らかに違う空気が漂っているのである。note上だからと誇張して表現しているのではない。単なる緊張感だけではない厳かな空気。
一言で言うと「誰かがいる」
拝殿前に近づくと、四人のグループが先に参拝していた。終わると一人の男性が数メートル下がり、カメラを構え、残った三人が拝殿を背にしてカメラに向かってポーズを作る。すると拝殿横で立哨していた係員が、彼らを厳しく諭した。
「参拝姿を後方から(写真を)撮るのは構いませんが、(ポーズつけて)記念写真を撮らないで下さい」
おっしゃる通りで、ここは観光施設ではないし、そんな空気でもない。彼ら三人は改めて参拝し、男性は斜め後方から写真を撮り直した様子。
彼らが去ったあと、私も参拝。頭をゆっくりと下げ、そして手を合わせる。
これまで読んできた多くの本の、随所に出てきた靖国神社とはまさにここで、そうして漂っているこの厳かな空気、この気持ちをなんて表せばいいのか、私はしばし考えてみた。
そこで確かに浮かんできたのが「霊験おごそか」いや何だか違う。何て言ったのだろう、思い出す。「あらさか」「おごさか」なんか違うな。
「霊験あらたか」またもやGoogle先生だ。
霊験あらたか「神仏の示す不思議な感応や御利益が著しいさま。灼かとも書く。霊験灼然(いやちこ)とも」
憶えたばかりの、この「霊験あらたか」な著しい感応を逃すまいと、早速脇の参集殿で御守を買い、間違い、授かり、すると何だかホッとして、つっかえが取れたような、溜飲を下げたような気分になった。でも巫女さんはありがとうございましたとは言わなかった。参拝なんとか、聞き直せば良かったな。もう一つ言葉を覚えられたのに。
私は、靖国神社を後にし一路東京駅へ向かい、小雨も来そうな曇天の夕方、自分の住む町へ向け、新幹線に乗車したのだった。。
後日、ネットで検索したいくつかのブログなどを読ませてもらったならば、境内にある「遊就館」という施設に行くと、また別の感想を持つ可能性ありとのご教示も書かれていて、近いうちに是非もう一回、参拝がてら見学してみよう。そこはやはり普通の日、しんとしてどこまでも静かな靖国神社がいい。でもね、山越え谷越え半日がかり、東京さ遠いべえ!!