自分のことで忘れないようにしたいこと

ここのところしばらく自分のことを考えていて、考えるためにこの本を読んでいた。

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『自信が持てない人の心理学』加藤諦三 著

こちらを読んで、自信が持てるようになった!とかいうわけではないが、自分の中で気づいてとても納得したことがあった。それは、今まで何度も自分と向き合ってきたつもりだったが、正しく向き合えていなかったということだ。

どういうことかというと、私が今までこうなりたいとかこうありたいと思っていた自分は、全部他人から見た自分だった。人からこう見られたいという無意識な意識と、私はこういうふうになるべきなんだなれるはずだという思い込みにより、「なりたい自分」と「人からそう見られたい自分、人から期待されているであろう自分」を混同していた。私がずっと目指してしまっていたのは後者だった。

本にはどうしてそういうことが起こるのかということも書かれていたが、その内容は割愛する。

だからつまり、今までずっと間違った自分を目指してしまっていたので、その自分が実現することはなかった。できない、なれないと思うたびにつらかったし苦しかった。自分が本当に目指したい自分を目指してない、というかわかってないんだから、何かを達成できるはずもない。自分でも引くぐらい泣いてしまうこともあったし、何度も考えて同じところをループして結局何も解決しなくて、つらくて苦しいのを繰り返した。

noteに書こうと思ったのは、今回気づいたことよりも、このつらかった気持ちと苦しんだ経験を忘れないためだ。これは全ての人が経験すべき苦難ではない。例えば勉強や部活や仕事で困難にぶつかったけれども努力や工夫をして乗り越えた、というような経験とは違う。そういったことは自分と正しく向き合っていることが前提であり、自分がなりたい自分になる過程で起こることだと思う。子どもは全員こんな私みたいな思いをしながら育っていくべきじゃない。

決して自分ばかりが苦労をしてきたと言いたいわけではない。正しく起こる困難であってもつらいのは同じだし、皆それぞれ苦労があるはずだ。しかしそれが私の場合は間違った方向からのつらさだったし、同じような人も抱えるべきでないつらさを抱えていると思ったのだ。

だから私は、今の状態を克服できたとして、時間が経ったらつらかった記憶が薄れて、自分と正しく向き合った時にぶつかる困難なことと混同してしまいそう、成功体験として自分が認識してしまいそうだから忘れないために書くことにした。もちろん乗り越えたいし、乗り越えることは自分にとって良いことだが、こんな経験をすることがそもそも良いことではない。その認識を勘違いしないようにしたい。

長くなったが、正しく自分と向き合えないまま生きてきてしまったと気づいたことは、少し絶望感もあるが、間違いなく一歩進んだのだと思う。今までずっと抜け出せなかったループから抜け出せそうかもしれない。同じ著者の他の著作も読みたい。そしてまた感じたことがあれば書きたいと思う。

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