たのしい四景、至福のじかん|納涼四景〈下〉
納涼四景〈下〉
春風亭一之輔 麻のれん
柳亭市馬 寝床
〜仲入り
桃月庵白酒 付き馬
柳家権太楼 へっつい幽霊
国立劇場 小劇場
20220719
こちらは、マガジン『メモログ』の記事です。
『メモログ』は、自分のための感想覚書を蓄積するために作成したもので、ひとさまに読まれることを前提としていません。そのため、文章の体裁が整っていなかったり、構成がめちゃめちゃだったりします。
それから、ネタバレにも気持ち程度にしか配慮していませんし、基本ザル耳なので、内容が間違っていることもあります。
ご覧くださる奇特なかたは、どうかもろもろ悪しからずご了承ください。
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遅刻して開口一番の枝次さんには間に合わず。残念。
無事ご復帰された一之輔師匠からノンストップで、勢いのある会でした。とても楽しかった!
市馬師匠が代演の件で一之輔師匠を持ち上げたと思えば、仲入り後にそれを落としにかかる白酒師匠。正反対の方向からイジられる一之輔師匠、とってもオイシいな! それで爆笑が起こるあたり、言う側も言われる側もすごいし、なによりイジった両師匠の愛も感じて、にこにこしてしまった。
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一之輔師匠の「麻のれん」は初めて聴いた噺。
途中で展開がわかるので、杢市つぁんが予定調和にキレイにおさまっていくサゲが気持ちいいw
一回目のしくじりをきちんと反省して、二度は繰り返すまいと用心する杢市さんは、とってもえらい。えらいので、ちょっとおキヨさん、後ろからついてってあげてよ〜と思いつつ、その後の展開に「くるぞ、くるぞ……」と期待してしまったのは、なんというか、ごめんね!
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市馬師匠の「寝床」!
なんだか市馬師匠だと義太夫も限りなくお上手そうなんだがw
旦那の相手が前半は重蔵、後半は番頭さんに選手交代するのね!
重蔵ではちょっと力不足だったか……。
重蔵、旦那に何を聞かれても極力表情に出さないように頑張っていたのに、ひとり矢面に立たせられたときにポロポロ泣いていたのがかわいそうで笑っちゃった。がんばったね、重蔵!
対する番頭さんの如才なさったら!
おだての言葉が立板に水の調子ですらすら出てきて、みるみる旦那の気分があがっていくのが、とても可笑しい。長屋の連中が楽屋(?)にあいさつに来るのも、いいな。旦那がそりゃあ嬉しそうで、こんなの一気にやる気になっちゃうよね。すっかり芸人きどりで、かわいいな!
「寝床」は旦那の機嫌の変化に注意を奪われがちなのだけど(頭から湯気ピーピー大好き)、今日は旦那の相手をする人たちの対応術が三者三様で、それもすっごく楽しかった。
重蔵は番頭さんに比べたら未熟なものの、それでもやっぱり商売人で、本音をどうにか隠そうとするのに、かしらの本音ダダ漏れっぷりよ。とりあえず、かしらはお店の平和のためにちょっと黙っていようか、ね?
面白かったのが、旦那の演奏のようすを、「三味線は中山道、義太夫は東海道、敵討か大津で出くわす」(多分ちょいちょい違うw)と表現されていたこと。
以前、某三味線弾きさんが「義太夫の三味線は語りに“合わせて”いるわけではない」と仰っていたのを思い出して。太夫も三味線も、調和を目指しているわけではなくとも、全力で語り、演奏していると、これが不思議とまざり合っていく。
玄人同士はおのおの好きに歩んでいても、いつの間にか同道しているものなのに、素人だとそうはいかない。「寝床」の旦那の場合、好きに歩きだしたらそのままどっか行っちゃった感じが、この言葉に表れているようで可笑しかった。なんだったら東海道もちゃんと道なりに歩っているかあやしいし、大津で合流もたぶんできないんだろうなあ。笑
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仲入り後の白酒師匠は「付き馬」。浅草めぐりの道中はわりとサササーっと巻いていらした印象を受けたのだけど、以前もこうだったかしらん。
それにしても、若い衆の笑顔をあんなに見たがったあとに、あの仕打ち。「目を見て!」の目のうさんくささがMAXで、相変わらずサイテーで最高でした!
権太楼師匠の「へっつい幽霊」のしあわせ指数のたかさよ。
夢中になってるひとの姿って、たとえそれがどんなにばかでも、かわいいね。権太楼師匠の銀ちゃんは、それはアナタ勘当もされるでしょうね……と納得のぽやぽやっぷり。ツネツネの余韻だけで何時間も楽しめるの、逆にすごい。笑
とはいえ、好きなものに触れたあとって、その時間を反芻しているだけで十二分にしあわせになれるんだよね。ある程度なら、わたしもわかるぞ。銀ちゃんも、幽ちゃんも、現代のどこかの沼の住人のようで、なんだかとても既視感があったw
とにかく、皆おのおの、かってに末長く幸せになってほしいなって。思い返すに、かぎりなく平和な世界だったなァ。
(蛇足)
以前「お菊の皿」のアレンジで、“触れる”という要素が入ることにわたしは違和感を感じるな〜と書いたのだけれど、今日の「へっつい幽霊」でも幽ちゃんが銀ちゃんを「ツネツネ」していたので、わりとよくあるパターンなのかしら?
だとしたら、わたしの無知ゆえの違和感なので、必要なのは慣れなのかもしれないな(ちなみに、さわれる/さわれない、といったリアリズムとしての話ではないよ)。
とはいえ、人間から幽霊に、と、幽霊から人間に、では、やっぱり意味合いがちがうように思われるし、対象に抱く感情によっても必要性の有無は問われるようにも思ってしまうのだけれど。理屈っぽすぎるかしら。
わたしのなかで後日談として、「へっつい幽霊」の幽ちゃんにツネツネされた銀ちゃん、幽霊を見た恐怖と思い込みの霊障で、数日間は寝込んでいそうだなと、勝手に妄想を膨らませています。
終わり。
第7回メモログのメモ:まだ書いていない分があるので順番が前後してしまったけど、とりあえず今日のところはこれでよし。
どうしても言葉の内実や文字面に透けるものをみてしまう厄介な人間としては、noteのほうが心の安寧を得やすいなぁという感が強まってきた。あとはちゃんとしたタイトルのものと入り口分けられたら嬉しいんだけどな…。