2024年1月 佐野夜として
最近、性欲がどこかに行ってしまった。たぶん性欲に足が生えて駆け出していったきり、もう帰ってこなくなったんだと思う。
性欲へ。
玄関の鍵、開けたままにしておくからいつでも帰ってきてください。待ってます。話し合いをしたいです。
1,継続は力なりという言葉
京都に移住してから2年目になっていた。気がつけばこの環境にも順応してきたし、不安と恐怖がごちゃ混ぜになっていた1年前の自分と比べればかなり成長したなと思う。
「現状維持は退歩の現れ」という言葉の通り、現状維持をしていても最後は落ちていくだけだ。何があったとしても常に前へ進もうとしなければいけない。悲しくても辛くても明日はくるものだから、明日の自分に期待しながら生きていく気持ちで日々生活を送っている。
何かを諦めるのは簡単なことだけれど、やり続けるというのは凄く難しい。しかし、続けていけばいくほど、精神的にも身体的にもひどく辛いものになる瞬間もある。周りの環境に適応していく為に、諦めるという手段を選ばなければいけないことも十分に理解しているけれど、諦めていいものなのかどうかは随時自分の心に聞いていかないと、あとにそれが後悔となって心を苦しめてしまう。僕はそれを何度も経験してきた。何かを始めてもすぐに諦めてきたし、京都に来る為に諦めてきたこともある。自分の心にも嘘をついて諦め、後悔に変わって苦しめてきた。
それが分かっていてもなお「佐野夜」として生き続けていく為には、諦めずに続けなきゃいけない。クリエイターとして、表現者として生きていく為にはやり続けなければならない。
いつ報われるのか。先が見えない暗い道を進むのは怖い、でも進み続けないとその先の光にも辿り着けない。継続は力なりという言葉を信じながら進む。
2,自分自身を見つめるということは、
自分自身を見つめるということは、心の奥底にある暗闇に、自らの意思で触れられるかどうかだ。
夢を追い続けること、それを周りに公言することは嘲笑の対象であった。「お前には無理。」「もっと現実見ろよ。」と。関係性が良かった友人や大人たちに言われることが多かった。夢の話をした途端に表情や態度が変わり始める人もいた。
「夢」とか、「やりたいこと」について、どれだけの大人に馬鹿にされただろうか。それは現実味のないことだからだろうか。夢を見てはいけないのだろうか。自分が良い未来を想像しているだけで貶される環境に居ていいのだろうか。次第に周りに公言することがなくなって、noteでしか書くことが出来なくなった。
このような精神で生きてきてもう7年が経つ。僕はいつか報われるだろうか。未来の自分は、僕のことをよく頑張った!感動した!と褒めてくれるだろうか。
なんだか最近、SNSの更新頻度が減ってしまったような気がする。なによりも、認められたい、見ていてほしい、などいった承認欲求的な何かがごそり抜け落ちてしまった。クリエイターとしてそれはどうなんだろうかとたまに考えてしまう。ずっとずっと昔は、いつか今の自分のようになりたいと思っていたけれど、なってしまったらそれはそれで凄く寂しいものだと実感する。ゆっくりと成熟した大人になっていく過程で、己の未熟さやスキルの無さを知っていく。ならもっとSNSで存在証明しなければいけないじゃないか!と自分に問うているのに、一向に行動へと繋げられない。
ゆっくりと死に向かっているような感覚、もっともっともっともっと生きている心地のある環境に身を置かなければいけない。まだこんなところで枯れてしまうことも、野たれ死んでいくわけにもいかない。
アメリカ民謡研究会を聞きまくっていたあの夜を取り戻したい。
そうか、人間という存在はいつだって回想してしまうものだ。過ぎ去ってしまったものを美しく感じてしまうものだ。だからこそきっと来年の僕も、再来年の僕も、今の自分を美しく思っているに違いない。
ゆっくりと心の奥底にある暗闇に、この手を伸ばしてゆく。
3,美波というシンガーソングライターが僕に与えた影響
美波というシンガーソングライターが居る。辛い時も、悲しい時も彼女の音楽と共に生きてきた。でもずっと美波を聴いてきた訳ではない。違うバンドのことも好きになったし、その日の感情によって様々なジャンルの音楽を聴いてきた。この世界に数多ある音楽の中でも一番に聴いてきたのは彼女の音楽で、幾度となく僕を救ってくれた。何よりも美波が好きだ。いつか、美波さんのことだけを書いたnoteを残したい。
何かに負けそうになる時、押し潰されそうになる時、仕事でも、好きなものや好きな人たちも、生活も、全てにおいて落ち込んで、抱え込んでしまう時がある。一過性のものでなく、ことあるごとに同じような、もしくはそれ以上の精神的なダメージを受ける。それでも明日は続く、それでも明日はやってくる。
SNSが楽しいものでなくなった時、SNSに殺されそうになった時。唯一の癒しだった空間が少しずつ剥がれ出していくのをゆっくりと眺めていて、ふと下に目を向けたら足場がなくなっていることに気づく。どうしようもなくなった時、何をどうすればいいか、どうやって生きようか、いや死のうか、でも怖いよな、と考えてしまう。散々何かに振り回されては何かに裏切り裏切られて、傷つけては傷つけられて、誰とも分かち合えなくなって、一緒にゴールを目指そうとしていた仲間も途中リタイヤしていなくなって、気づけば独りになっていた。
少しづつ消えかかっていた火を今でも絶やさずに燃やし続けていられたのは、美波と、美波の音楽があるからだ。彼女の音楽をずっと好きでい続けられるのは彼女が常に前へ前へ進んでいるからだ。ファンとしても、第三者目線として見てもそれがわかるからだ。同い年の美波、同世代の人間が、あらゆるビジネスやカルチャーが入れ混じって存在する「東京」という地で強く生きているのに、それを見て僕も頑張らない訳にはいかない。
まだまだ追いつけないし、そんな実力もスキルもない。でもいつか、いつか隣り合わせで肩を並べながら生きることができる日を夢見ている。だからまだまだこんなところで落ち込んでいられないし、立ち止まってもいられない。
4,佐野夜として生きてゆくために
誰かから与えてもらったものの方が多い僕の人生を、僕から誰かに与えられるような人生に変えていきたい。周りの大人に貶された数よりも、支えてもらった大人の数の方が圧倒的に多い。感謝の気持ちを忘れずに、いつか最高の形で還元していきたい。人は独りでは生きていけないから、必ず誰かの支えや応援が必要になる。僕もそうしてもらって今まで生きてきた。もっともっと応援されたいし、愛される人間になりたい。
僕は、今まで出会ってきた全ての人たちも、これから出会っていくであろう全ての人たちが、幸せにずっと生きて、幸せに死んでいってほしいと願っている。本当に心の底からそう願っている。そして、その全ての人たちの人生の中に、少しでも僕といた記憶や僕という存在がいてくれたら嬉しいし、そうなれるように強く生きていくよ。お前のおかげで元気が出たと、そう言ってもらえるように今を精一杯に生きるよ。全身全霊をかけて自分と向き合い、全ての存在も概念も生き物も人間も空気も花も、君も、あなたにも、僕は力を与えられるような人間になるよ。
「いつか」という言葉が本当になる日まで、僕は佐野夜として生きてゆくよ。