2024年11月
すっかり寒くなった。擦り合わせる手のひらが、これは京都に引っ越したばかりの頃の寒さだよ、と教えてくれた。その影響か、京都に住んでから冬が好きになった。
見るものも、感じるものも、触れるもの全てが僕の中で埋め尽くされ、良悪全てを享受出来ている。あともう少し今を精一杯に生きよう、その後で折りたたんだ羽を存分に広げればいい。
1,トナカイ|松本慎一さんの展示
京阪丹波橋駅で近鉄特急に乗り換え、そこからはるばる2時間近く電車に揺られ四日市駅に着く。そこからタクシーでおよそ20分。三重県、四日市市にある『おやまだ文化の森』という施設の中で開かれていた、トナカイさんの「すべてのあなたの記憶」という展示に足を運んだ。
きっかけは、今お付き合いしている恋人が好きな写真家さんで、四日市でトナカイさんの展示があるから一緒に行かない?とお誘いしてもらったから。
おやまだ文化の森は、小学校から村役場、そして美術館という歴史の背景がある建物をリノベーションした複合施設。外観だけでなく、内装も昔の面影を残し営業されている。入り口を入るとドアというカフェがあり、中を進むとハンドメイドの衣服やインテリアが陳列されている。古い建物特有のギシギシと良い響きを鳴らす階段をゆっくりと上がる。広々とした空間にトナカイさんの作品が並べられてあった。
展示は、植物と動物を主軸に形成されていた。リバーサルフィルムのネガを用いた作品や、現像した写真を特殊なプロジェクターで壁に投影する作品など、様々な表現法があるのだなと感激した。全てが学びだった。
その中でも特に印象に残ったのは、青いバラと雲をフィルムカメラの多重露光で写した作品だった。苦しくなって息ができなくなるような、でも決して悲しいわけではなく、受け入れるという行為に近いような気がして、作品の前で立ち止まった途端にボロボロと涙が止まらなくなった。
花は植物であり、生命そのものである。生き続けることから離され、切花となったバラはいつか必ず枯れてしまう。そもそも僕たち人間も、枯れて死にゆくまでの最中を生きているに過ぎないのだと改めて実感した。
わたしは、人として真っ当に、潔く、強く、美しく生きて、ゆくゆくは死んでいきたい。それはこの花も同じだったと思う。今目の前で見ているこの花に、最高に美しく死んでやるから見てくれよ、と言われたような気がした。それもただ枯れていくのではなく、ある種トナカイさんに看取られていくような、一瞬を写した記憶の記録が縁取られ飾られていた。
多重に写された花の魂が空へ駆け上っているように見えた。地に根を張って生きていたはずの花が、本来共生することの出来ない空と雲の中で生きていた。花もきっと喜んでいるだろう。なにより形にして遺そうとするトナカイさんの感性に打ちのめされた。
一番左にある作品は、実際に撮影されたバラ。この姿がなによりも美しかった。トナカイさんが花と真摯に向き合い、もはや人として向き合っていたんじゃないかと、遺影のように飾られた姿を見てまた心を打たれてしまった。死を意識することで、生と向き合える。この作品の展示は、今を生きている僕にとって、死生観を含め大きな影響を与えることになった。
2,弱さ
思えば、僕はずっと自分のことで精一杯だった。自分の支柱となるものがグラついていて、その支柱を片手で支えながら片方の腕であれやこれやとやってきた。その結果全てが倒壊して、自分にのしかかる。何かを大切にしたいと思えば思うほど、自分の首を絞める。
誰かに手を差し伸べられる人間は、自分に余裕のある人間だ。お金、精神、フットワークの身軽さ。余裕といっても色々あるが、僕はどれも不安定だ。
数年前。色々あってお金を数社から借りた。大きな病気にかかったり、急な出費があったり、その日暮らしを繰り返して、精一杯に乗り越えてきた。
当時の仕事を辞めた後は返済が滞り、催促の電話と封筒がきた。スマートフォンには留守番電話と赤丸の通知マークが増えていた。受け入れられない現実から逃げるように、ギャンブルと酒に溺れた。加えて当時は女癖も悪かった。何をやっても上手くいかない、好きだったはずのカメラを持つ機会も減り、友人も少しづつ遠ざかっていた。それからコロナが始まり、ゆっくりと孤独を知覚していった。
京都に住み環境を変えてから、少しづつ自分と向き合えるようになった。当初は弱い自分を受け入れられなかったし、自分を否定して、自信を失っていた。それでも少しづつ積み重ねながら生きた。そんな自信満々と書けることではないが、当時抱えていたほとんどの負債を、12月で目処が立つところまでこれた。7年もかかってしまった。自分のことを好きになれそうな、スタートラインが見える場所に立てるまで。
3,誰と出会うか、出会わないか。
展示中、トナカイさんとお話することが出来た。僕の拙い言葉にしっかりと耳を傾けてくださり、とても親切に、丁寧にお話ししてくだった。トナカイさんと会話をしているだけで心が浄化されるような、例えるなら寺社仏閣に訪れた時のようなあの安寧感。低く落ち着いた声、トーン、所作、雰囲気全てが僕に安らぎを与えていた。
トナカイさんは、抱えていた心の蟠りをさらさらと溶かしてくれる、光のような人だった。表現者としての孤独を抱えながら生きてきた僕にとって、この人に巡り会うために生きてきたんだと直感で理解出来たし、もはや初めて会った気がしない、良い意味でフランクにお話することが出来た。
最近ネトフリで見終えたTBSドラマ「MIU404」の3話で、主人公の志摩を演じる星野源さんのセリフにこんな言葉があった。
4,行き先を変えるスイッチ
自分の中の何かが変化しようとしている瞬間、それに気づけることは大人になればなるほど減っていく。なぜなら、人生の中であらかた似たような経験をしてしまい、みるみるうちにセンサーが弱ってしまうから。子供の頃に初めて見た動物園のライオン、初めて見た都会の高いビル。初めてというものを生きていく中で何度も経験して、無意識下で何かと類似したものとして判断し、心の底に沈めてしまう。自分の中にある先入観や、固定概念によってさらに強固になった心のスイッチを、自分で見つけて押せる人は強い人だと思う。
僕は、正しい道を歩いているのだろうか。たまに後ろを振り向くと、本当にこれで良かったんだろうかと思うことがある。過ちを悔いても仕方がないけれど、その道中で巡り会えた幸せを一つづつ手で掬い、愛でていかなければいけないとも思っている。ただ、僕は弱いから、何度も後ろを振り返ってしまう。そんなことを言ってしまったら、これまで出会ってきた人たちに申し訳がない。僕が世界一の善人だとしても、僕が世界で一番のお金持ちだったとしても、僕はきっと同じことを繰り返してしまうだろう。
そんなことを抱えてばかりいた。
そして、トナカイさんと出会えた。三重まで足を運んだ先にあったのは、僕の行き先を変えるスイッチだった。
5,絶対的な信頼
後日、トナカイさんに撮影していただく機会があった。SNSで仕事の関係で京都に来ること、そして被写体募集をされていたのでお声をかけ、恋人と一緒に撮影していただけることになった。
撮ることは何十回としてきたのに、撮られる機会が全くなかった。撮られそうになったら遠ざけたり、断ったりしていた。なんせ自分のことを好きになれないものですから、あまり残したくなかった。
トナカイさんは不思議とそうならなかった。ありのままの自分を受け入れられたし、むしろトナカイさんには撮って欲しいと思った。今まで、一度も思ったことがなかったのに。
親しみのある街を歩いた。公園に入ったり、住宅街を抜けたり、良さそうな壁や植物があったら立ち止まって撮ったり。行動の一つ一つを、トナカイさんが構えるカメラに向かいながら学ばさせてもらった。
太陽が差す合間を待つ時間も、ゆったりとした風が僕と恋人の間を吹き抜けていく瞬間も、あの空間を流れていたもの全てが心地良かった。
僕がもしトナカイさんの立場だったとして、これだけ相手を安心させ、絶対的な信頼を与えてあげられるのだろうか。
プロの写真家として生きている人の姿を目の当たりにし、どれだけ自分が甘く、未熟かを思い知った。安心と信頼。どこにでもある会社のキャッチコピーのようだけど、やっぱり一番根元にあるのは『この人なら任せても大丈夫だ』という気持ちを相手に持ってもらえるかどうかなんだと思う。
優しくて、丁寧で、心の底から楽しかった。撮影が終わる最後の最後まで、沢山お話をしてくださった。とても貴重な経験でした。大きすぎる背中を眺めながら、トナカイさんのような大人になりたいな、と強く思いました。あたたかった。
今月の1ヶ月記録に書かせていただいた、トナカイ/松本慎一さんのSNSもぜひ見てみてください。とっても素敵な作品と素敵なツイートばかりなので、ぜひ。
Instagram: @tonakaii
X(旧Twitter): @tonakai
写真が上手いとか、下手とか、良い写真かそうでないか、とか。そんなことはどうだって良くて、一番大事なのは、パーソナルな部分なのかもしれない。これから僕は誰かと繋がっていくのだから、ありのままの自分を愛してもらえるように生きたい。写真家としても、歌人としても、佐野夜としても、すべての仕事においても、お前に任せると安心だよ、と言って信頼してもらえるように、12月も自分を磨きます。
SNSの更新も少なくなっていますが、今自分に出来ること、しなければいけないものに向き合っている最中です。逃げてばかりいた過去の自分の清算を、全力でしています。どうか、佐野夜をこれからも優しく見守ってくださると嬉しいです。
誰かに手を差し伸べられる人間になれるように、まず自分の手を自分で引っ張ります。また12月。