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2024年7月

梅雨が明けた。肌を刺すような陽の光が腕を走り抜けて、暑さに危なさが混じってきた。もう夏だ。コンビニでクーリッシュを買ったら帰り道でほどよく溶けて家に帰った時にちょうど食べやすくなる季節だ。一体何を言ってるんだ。


1,OSK日本歌劇団

京都、祇園四条にある南座で、OSK日本歌劇団さんの「レビュー in Kyoto」を観劇させていただいた。
南座に入る時は緊張する。かつての自分だったら絶対に足を踏み入れることのなかった場所。いつもより背筋が伸びる。20代半ばになった今でも、南座に入ると大人に近づいているんだなと感慨深くなる。そしてまた自分のことを好きになれるような気さえしてくる。
今まで南座では歌舞伎しか見たことがなかったから、南座だと歌劇がどのように演出されるのか楽しみだった。
OSK日本歌劇団という存在は知っていたけれど、舞台を観るのは初めてだった。
美しく、華やかだった。全ての客席にまで届く透き通った歌声に何度も鳥肌が立った。表情や視線、指先ひとつひとつの動作にまで惹かれて、開演してすぐに引き込まれた。トップスター役の楊琳さん、娘役トップスターの舞美りらさんを初めとした演者の方々。役者としてこの高い領域へ来るまで、一体どれだけの研鑽を、血の滲むような努力をしてこれたんだろうと思う。そう思うのと同時に、自分の中の甘さや弱さが浮いて見えてくる。人の前に立つということの意味を、人に見てもらうということの尊さと有り難みを持ち続けていきたい。
一流のものに触れるたびに、自分は三流だと思い知らされる。



2,笹井宏之賞

7/15締切の、笹井宏之賞に無事今年も応募が出来た。決めたことをやり切るということを目標に、今年も50首を生み出せたことを心の底から嬉しく思う。当たり前とされている「やり切る」ということができるようになったのも、自分が本当に変わりたいと願えたからだ。その願いが行動に変わり、結果という形に昇華されていくこの感覚を、これからもずっと大切にしていきたい。

先を行く歌人の歌集が本棚に増えた。現代短歌というものの美しさ、機敏さ、力を眼と心で受け止める。美しいものを生み出し、残し続けている歌人に憧れを持つと同時に、この人たちと同じ世界で戦うには、もっと文法的な技法や感情表現をさらに追求していく必要があるなと思う。
好きな短歌と出会った時の打ちのめされる感覚、心臓を突き刺していくような衝撃、身の毛を揺るがせるほどの畏怖。それらを全身で感じさせてくれる歌人の圧倒的な力が、モチベーションを高めてくれる。肩を並べて戦えるような領域に僕も行きたい。

歌会に入っているわけでもないし、歌人の知り合いが多くいるわけでもない。ただ孤独に自分と、言葉と向き合いながら生み出している。それが正しいことなのかどうかは、続けてみないとわからない。
でも僕は短歌が好きな人と話をしたい。そして打ちのめされたい。


3,27歳

7月27日に27歳になった。自分のことを若者と言っていいのかわからなくなってきたし、おじさんに片足突っ込んでいるような気がしてならない。一番は最近の若い子の会話についていけなくなったこと。
1997年7月27日。27歳。7ばっかりだな。

昨年の誕生日に書いた1ヶ月記録、その中で、自分宛に送った短歌があった。

優しさと気づかなかったあの頃の自分を両手で抱きしめる朝
君が成す事をこれから見ているよ 誰も座れない特等席で
僕が今流した涙の一粒を零さず作る心のみずうみ
楽園を壊してしまったあの夜の残ったものがお前の光だ
カーテンの隙間で産まれた陽の光 脳髄の裏に咲いたネモフィラ

1ヶ月記録 2023年7月より

このnoteを読みながら昨年の自分と今を比べたら、少しは成長出来たんじゃないかな。まだこれから僕がやりたいことには指一本触れられていないけれど、あの頃よりもきっと歩みを進められている気がする。



4,若者でなくなっていく寂しさ

昨年に応募した短歌の中でこんな一首を作った。

若者でなくなっていく寂しさを詰め込んだバトン 君に渡すよ

笹井宏之賞応募作

短歌の通り、若者だった自分から少しずつ離れていく感覚がある。心の中はいつまでも若者だけれど、心はどんどん大人に近づいていく。寂しさを感じながら、次世代を担う者たちに繋ぐ役割、そして育てる役割も僕にとってとても必要なことだと思う。

10年、20年、もっと先を生きている人から言わせれば、まだ27歳じゃないかと言われるかもしれないけれど、今の自分と未来をしっかり見つめておかないと、将来きっと苦しんで後悔している自分が思い浮かぶ。でもしっかり今を見つめていたとしても、僕はきっと後悔するんだろう。もうそういう性格だということはとうに分かりきっている。それでも、今までの選択を正解にして生きていかなきゃいけないとも思う。
いつ報われるかわからない自分の人生を、俯瞰で見守りながら生きていきたい。

SUPER BEAVERの「27」を聴く。27歳になった自分を大事に愛せるように、優しい人になれますように。
27歳の頃の母は、もう僕を育てていた。僕は母のような強い人になりたい。

ロックスターは死んだ まだ僕は生きてる
母が僕のことを産んだ 幾つのことだっけ
少しずつ追いついていく 少しずつ追い越していく
優しい人でいたいな 大人になったんだ

27/SUPER BEAVER

5,これからの僕へ

佐野夜として生きていながら、そして現実世界を生きる佐野夜としても、とても悔しいなと思うことが増えた。下に見られたり、舐められたり。表立ってこんなことを書く必要もないけれど、感情の抑圧が自分の体において良くないものになってきたから今こうしてここに書いている。
以前より見てもらう機会が増えてきたのは嬉しい。ただ一定数の人から無下に扱われることも増えた。僕はその人たちを見返したい。様々な原動力があるけれど、僕はそういった人たちの存在が原動力になると思っているし、そうしなければいけないほど悔しいと思っている。

この1ヶ月記録を未来の自分が、この記録を読んだ時に今の感情と、今惨めになっているという気持ちを忘れずにいてほしい。そして思い出して欲しい。いつか風に流されて忘れてしまう記憶に、これからもずっと、今の気持ちを死ぬまで根に持っていて欲しい。それは結果でしか見返せない。どれだけ今頑張っていると言っていようが過程なんてなんの意味もない。過程を認められるのは自分だけだし、一番は結果で見返すことだから。今はその人たちを受け入れようと思えないのなら、いつか受け入れられるようにお前は残さなきゃいけない。
そしてこれからは正直に生きて。お前がやりたいと思っていることはお前しかやれないし、お前がやりたいことは代わりに誰かがやってもお前に何も生まない。今やりたいと思っていることは今しか出来ないし、1年後にやりたいと思っても出来ない状態かもしれない。誰かが止めようとしても、やめたほうがいいと言われたとしても、お前がやりたいのならやれ。そしてお前が全ての責任を取れ。血を流して、恥をかけ。
誰もお前のことを救ってやれない、お前を救えるのはお前だけだ。見せるための文章じゃなく、お前の為に文章を書け。それを見てもらえ。誰かを追いかけるんじゃなくて、追われるような人間になってくれ。
27歳になった僕より。


26歳から27歳になるまで、自分にとって善悪両方とても大きなことが起きた。その渦中でものに対する見方も人に対する接し方も変わった。心境の変化に伴って、感じ方も考え方もかなり変わった26歳だった。
数年前に大きな病気を患った。痛みを乗り越えて、それでもここまで生き続けられたこと、個人的な節目となる27歳を迎えられたことを心から嬉しく思う。これからもしぶとく生きます。生きます。生きます。




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