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革命を起こしたのは大西直宏/母父マルゼンスキー伝説
以前、藤田伸二元ジョッキーが「強い馬に乗っていれば誰でも勝てる」という発言をしていました。
本当なのでしょうか?
私の意見としては五分五分と思っています。
誰でも勝てる強い馬はいるが、いつもそうなるとは限らない。
藤田氏の現役時は、母父マルゼンスキーの全盛期と重なっています。
なので、彼はそういう気持ちが強いのかもしれません。
前回、ライスシャワーで説明したように90年代には、ある特別なネアルコ系の種牡馬を母父に持つ馬が活躍しました。
母父マルゼンスキーだった馬は、ライスシャワー、ウイニングチケット、ロイヤルタッチ兄弟、メジロブライト、ベイリー兄弟、スペシャルウィーク、プリモディーネ。
母父ブラッシンググルームだった馬は、ヤマニンゼファー、マヤノトップガン、テイエムオペラオー、レディパステル。
母父ノーザンダンサーだった馬は、ナリタブライアン、ビワハヤヒデ兄弟、ベガ、シルクマドンナ、タップダンスシチー。
母父ニジンスキーだった馬は、ダンスパートナー、ダンスインザダーク兄弟。
母父テスコボーイだった馬は、アイネスフウジン、イソノルーブル、ネーハイシーザー。
エンジンから違う、血統から違うので、乗れない騎手からしたらどうしようもなかったかもしれません。
しかし、それを覆した騎手がいました。
大西直宏元ジョッキーです。
藤田氏や武豊ジョッキーなどと違って、マイナーな騎手でした。年間勝利数が1桁ということもあったようです。
福島で競馬をしていた頃はよくお世話になっていました。
大西ジョッキーにも奇跡的にチャンスが訪れます。
サニーブライアンです。
中々、見所のある馬で見事に皐月賞出走にこぎつけます。
しかし、その前のトライアルレースで出負けして敗戦した事で大西ジョッキーは責任を求められます。
オーナーや調教師の優しさで再度、チャンスが与えられたのが皐月賞でした。
そして大西直宏ジョッキーはそれを見事にものにします。
大外18番からのスタートでしたが、あっさりと先手を取り、スローペースに持ち込みます。
途中、逃げを他馬に邪魔されたりしましたが、特に折り合いを欠くこともなく、3コーナーからペース上げていきます。
4コーナーでは2番手に3馬身くらい差をつけて直線に入ります。
ゴール前は後続馬に詰め寄られましたが、なんとか振り切り、見事1着で入線しました。
いくつかポイントがあるのですが、1つ目は、大外から逃げれた事です。
これは今でもそうですが、大外から逃げるのはかなり難しい事です。
大外だと最内に切れ込むまでのロスが大き過ぎます。
また、内枠の馬も外枠の馬に主導権を握られたくないので、先行して邪魔するはずです。
サニーブライアンの場合、二の脚と大西ジョッキーの気迫が凄くて、誰も邪魔できませんでした。
2つ目は1番人気のメジロブライトにあります。
1番人気だったメジロブライトは、脚質が追い込み脚質でした。
そのため出走している馬の多くが、追い込み警戒の中で競馬をすることになります。
なので、サニーブライアンが見事に逃げを決めても後ろに怖いメジロブライトがいるので動けなかったのです。
まんまとマイペースに持ち込みます。
このように書くと、何か偶然が重ねって皐月賞を勝ったかのように思われるかもしれませんが、大西ジョッキーは次のダービーも同じように勝ってしまいます。
ダービーではメジロブライトに加え、藤田ジョッキーの乗るシルクジャスティス、史上最強の逃げ馬サイレンススズカまでいたわけですが、大西サニーブライアンの逃げを止める事はできませんでした。
「もうこれはフロックでも何でもない」必然に起きる偶然なのです。
大西ジョッキーのようにインサイトして人馬一体になり、展開も味方につけることができれば、血統のカベを破ることなど容易いことなのです。
現在の競馬は特別なネアルコが消滅しているので、より展開や騎手の力を必要としています。
大西サニーブライアンの世界が今の競馬の世界観なのです。
以前、武豊ジョッキーが藤田元ジョッキーの発言に対して、苦言を呈していた事がありました。
ジョッキーの仕事はオーナーなどから良い関係を作って、いい馬に乗せてもらうまでも仕事なのだ。と言って藤田元ジョッキーの発言を批判しました。
しかし、最近は外国人ジョッキーが勝つレースが多くなり、それに対して彼らはいい馬に乗っているから当然だみたいな事を言っていました。
武さんダブスタですよ。