noteを続けて気づいたら、2万PV(神保町の編集プロダクションの思い出)
2年前に始めたnote
2019年の5月、ちょうど2年前にnoteを始めました。僕は2018年末まで吉本興業でサラリーマンをやっていて、2019年6月に起業独立しました。
こんな会社をやっています。
起業の前後は試行錯誤で、何かしら発信していく必要を感じておりました。noteは自己紹介の意味合いや自分の抱えていた言語化しきれなかった思いを吐き出す場所と言えます。
僕は自己表現が苦手で、面と向かうとうまく自分の思いを伝えられないことが多く、大事な打ち合わせの前には自分のためにメモを作ったりもします。
そんな僕にとって、文章を書くことは多少は向いているかもしれなくて、気づけば2年、途中途切れ途切れになりながらも続けてくることができました。
noteがきっかけでお仕事の相談をいただくことも何度もありました。思った以上に多くの人の目に触れることができたことは皆さんに本当に感謝です。
文章は思いつくままに、書いています。10分くらい構想して、15分くらいで一気に書き上げて、残りの5分で校正してアップします。
文章を書くことを学んだ神保町の編集プロダクション
結構書くのが速い方だと思いますが、それは20代のころに1年だけ編集プロダクションに勤めていて、文章を書くスキルを学んだからです。
僕は新卒で勤めていた出版社を3年で辞め、なんとなく入った医学雑誌の印刷会社も1年で退職。もう一度しっかり編集業務を学びたいと思って、神保町にある小さな編集プロダクションに入社しました。
15年くらい前になります。当時は個人投資家の株式投資や投資信託などの資産運用に関する雑誌や書籍が人気で、その編集プロダクションもマネー系の記事の編集が得意な会社でした。
編集プロダクションといえば、激務でおなじみで、入社して早々にいくつか担当を任されて、毎日深夜まで原稿や図版の作成、入稿作業などに追われることとなりました。
急に打ち合わせへの帯同を社長に言われて、出先の出版社で全く知らないジャンルのライティングや記事の企画編集を言い渡されることは多々ありました。
毎日、深夜1時か2時くらいまでは働いていたと思います。終電もないので、ホームセンターで買った五千円くらいの安物の自転車で早稲田から40分くらいかけて通っていました。
編集プロダクションは下請けの弱い立場でもあり、結構タイトなスケジュールで納品を行っていました。無理難題も多く、それでも一定のクオリティの記事を書くことが必要とされている環境でした。
「速い」「うまい」「安い」。牛丼店のような記事の書き方でいつの間にか数をこなせるようになっていた気がします。さらに「わかりやすい」「面白い」といったことも意識できるようになっていました。
吉本興業の転職面接の思い出
ちょうど1年くらい働いた後、僕はネットの転職掲示板で、吉本興業が新しく漫画雑誌を創刊することを知り、試しに応募してみました。編集プロダクションで下請け仕事ばかりしていた僕にとっては、誰もが知る有名な会社に入社できるとは思いもせず、記念受験のような気軽な気持ちが良かったのか、運良く潜り込むことができました。しかも、11年半もお世話になることができたのです。
その編集プロダクションはその後、何年かして出版不況の荒波に揉まれてしまったのか、思い切って立ち上げた出版社としての別会社の経営がうまくいかなかったのか、廃業されたと聞いています。
noteを通して、たくさんの人に僕の記事を読んでもらえることができたのは、その編集プロダクションでの経験が生きている部分も多くあります。
人生はどんな出来事も知らない間に繋がっていたりします。苦しい経験も今はとても懐かしく思い出します。
僕のnoteを読んでくださった延べ2万人の皆さん、本当にありがとうございました!
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設立日: 2019年6月3日
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こんにちは、株式会社パンダビジョンの佐野と申します!サポートをご検討いただき本当にありがとうございます😭