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「エッセイ」私が愛した奇跡の名馬♥

暑い、とにかく暑い💦
毎日、安定して晴れている。普通、夏休みは晴天の方が子供達は大喜びなんだろうけど、2023年の夏の暑さは殺人級だ。
で、私は毎朝、エアコンの前を陣取りアイスコーヒーを飲みながらワイドショーを観ている。
何て非生産的な日々なんだ。
これではいけない!!何か考えよう…でも暑い💦
そうだ!!大好きなイケメンの事を考えよう。
(どうしたら、そういう思考回路になるのか…)
WBCでにわかファンになった大谷翔平選手は、毎日頑張っている!!アメリカは暑くないのか?
偉い!!
「silent」で、にわかファンになった目黒蓮くんは「トリリオンゲーム」で主演を張っている。
美しい!!しかも涼しげだ、偉い‼


ん?イケメン……
私は遠い遠い目になる。
それはまるで、初恋を想い出すような淡い心が震えるような気持ち…
その仔に出逢ったのは、彼が皇帝 シンボリルドルフの初産駒として注目を集めた1991円4月14日皐月賞だった。
「何?この綺麗な仔!」
私は他の馬が見えなくなる程、その美しいルックスに釘付けになった。
サラブレッドG1戦だから、もちろん他の馬も素晴らしい血統で美しかったに違いない。
しかし、彼の比ではなかった。
鹿毛で輝く馬体、バランスの良い小さな顔、長いたて髪、しかも、その額には白い流星…
パーフェクト‼
こんなに美しい馬が居るのか?

それが

「トウカイテイオー」

だった。
馬には素人だが、私のイケメンを観る眼は確かだった。
トウカイテイオーは今もJRA史上に残る元祖イケメン馬として君臨している。(さすがだ!私)
さて、レースの方だが、18番大外枠にも係わらず、彼は颯爽と一番でターフを駆け抜けた。
美しい!しかも強い!さすが皇帝の仔‼
名前もいいよね~、今の馬の名前は横文字の羅列でオバさんには覚えるのさえ大変だけど、「トウカイテイオー」!!実に覚え易い‼

あの日から私はトウカイテイオーの虜になった。
そう!馬は強いだけじゃダメ(sanngo持論ですので、気にしないで)美しくなきゃ‼

迎えた5月26日 東京優駿(現在の日本ダービー)G1 
またも大外 8枠20番 
しかし、彼は圧倒的一番人気に応えるように2着のレオダーバンに三馬身差を付けて圧勝した。これで無敗の二冠だ。

さぁ、次は父 シンボリルドルフが果たした無敗の三冠馬に向けて秋の菊花賞に挑む予定だった。
ところがレース直後に骨折が判明(泣)当時のNHKが普通のニュースに挙げた程だから、その人気の高さが分かると思う。
彼は六ヶ月、半年の療養を余儀なくされる。秋の菊花賞の優勝の夢は潰えた。
実際、日本ダービーで三馬身差を付けて勝った二着馬のレオダーバンが菊花賞を制しているのだから、余計に「あの時に走れていたら」
と思ってしまう。
しかし、人生にも馬生にも「たら」「れば」は、ない。


だがこれは「奇跡の名馬」と呼ばれるトウカイテイオーの悲劇の幕開けに過ぎなかった。
トウカイテイオーは、その年、それ以降のレースに参戦出来なかったにも係わらず、1991年の年度代表馬になった。


翌1992年 4月5日 騎手を安田騎手から岡部幸雄騎手に乗り換え、彼の姿は大阪にあった。産経大阪杯GⅢ
久しぶりに見る彼は、怪我で半年も療養していたとは思えない程、美しかった。

「勝って!頑張って!」

スポーツでテレビに向かって、私があんなにクッションを握り締めて応援するのは、トウカイテイオーとフィギュアスケートの羽生結弦選手くらいだ。
「転ばないで〜、着地して!」
(どれだけイケメン好きなんだ)

トウカイテイオーは、イブキマイカグラダイユーサク等の並み居る古馬を抑えてまたも勝った。
実は私は、これだけ好きだったのにトウカイテイオーに儲けさせてもらった事がない!!それは常に彼が一番人気だったからだ。
記録よりも記憶に残る馬、日本人の心を揺さぶる名馬だった。
次に迎えた春の天皇賞 彼にとっては未知となる3200メートル。 
メジロマックイーンを抑えて、またもトウカイテイオーは一番人気だった。トウカイテイオーには岡部幸雄騎手が、メジロマックイーンには武豊騎手が騎乗し「世紀の一騎打ち」と評された。
私は、いや日本中の競馬ファンが、ドキドキワクワクとGⅠ特有のファンファーレを待っていた。
メジロマックイーンも賢く顔が小さい綺麗な競走馬だが、そのスタミナから私には馬力を誇るアメ車のように思えた。それに比べてトウカイテイオーはフェラーリのフォルムを連想させる繊細なイタリア車と言った感じか…


………


しかし、この日初めて私は貴公子が馬群に沈んでいく姿を見た。

まさかの5着…惨敗!

芦毛のカマロの馬力は、すさまじかった。速い!!と言うより力強い!!3200メートルを走り切っても、まだメジロマックイーンにはスタミナが残っているように見えた。
「史上最強のステイヤー」
亡くなって数十年経った今も言われている。

「テイオー(号泣)」

それでも私はトウカイテイオーが一番好きだった。
しかし、このレース後にまたも骨折が判明(泣)
栄光と挫折の人生(馬生)だった。

骨折の治療と療養が終わり、秋の天皇賞では
電光掲示板に載らないくらいの惨敗を期す事になる。
「二度の骨折でトウカイテイオーは、もうダメじゃないか!?」
勝負の世界は厳しい。あれだけ父 シンボリルドルフを超える逸材と騒がれた名馬に翳りが差し始めた。
あぁ、トウカイテイオー!!


つづく





※緊急豚宣言様の素敵な画像をお借りしました。
ありがとうございました。

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