「最後の握手」#手
確かあれは、昨年の晩夏の頃だったと思う。自分達の店が終わった後に相棒のミユが
「ちょっと飲んで帰らない?」
と私を誘った。
殆ど外へ飲みに出掛けない私達だが、一軒だけ行きつけの友人の店がある。久しぶりにママの顔を見たくなったのだろう。
「いいよ」
私は快諾した。
深夜遅くまでやっている居酒屋風スナックのカウンターに腰掛けると
「久しぶりだね」
隣の男性が声を掛けてきた。
「え?」
振り返ると以前はうちの常連さんだった◯◯さんが、笑っていた。
「行けなくなっちゃって、ごめんね」
「全然いいよ、気にしないで」
ごくごく普通の挨拶を交わして、私は愛想笑いで話を切り上げるつもりだった。ところが⋯
「実はさ⋯」
「なぁ〜に?改まっちゃって」
彼は思い詰めたような表情の後で、何かを振り切ったように自分の左脚を私に見せた。
「えっ⋯⋯」
思わず息を飲んでしまった。そこには膝から下が切断されてベージュのサポーターを巻いただけの彼の脚があった。
「どうしたの?」
「今年の初めに手術して切断したの。だから二階の店には行けなくなった」(この店は一階でバリアフリーだが私の店は二階にある)
「そんなの、気にしなくていいのに」
一度めの「気にしなくていい」と二度めの「気にしなくていい」は私の中で重みが違うものだった。
「事故で?」
文字で書くと相当不躾けな言葉だが、私は彼が失った左脚を撫でながら、口に出していた。
「ううん、若年性糖尿病」
「マジで?痛かったよね」
「手術の後、麻酔が切れてからはね」
「頑張っちゃったじゃん(笑)」
そんな会話をしたと思う。本当は目の当たりに切断された脚を見て、恥ずかしいが平静を装うのに必死だった。
こんな時、亡くなった主人ならただ
「がっはっは」
と笑って肩を組んだだろう。
その後、彼は水のように薄い焼酎を飲んで、カラオケを明るく歌いまくった。帰り際、タクシーの運転手に車椅子を押してもらいながら、振り返って私に言った。
「sanngoさん、必ず行くから」
「うん、ありがとう。でもいいよ。此処でまた会おうよ」
今思えば酷いことを言ってしまったのだと思う。でも、あの時はそう答えるしかないと思っていた。
だって電動車椅子で、うちの急な階段は昇れないと思ったから。
それから彼からは何度もメールが来たけど、タイミングが合わなくて、会うことは出来なかった。
それが昨年の年末、
「今から行ってもいい?」
突然、また彼からメールが届いた。
「うん、いいよ」
内心、不安で堪らなかったが、それだけ答えた。
「じゃあ、行くね」
それから数十分後、
「久しぶり〜」
明るく笑いながら彼は本当に現れた。
あれ?こんなに背が高かったっけ?
きょとんとしている私に
「義足出来たからさ」
そう言って、また笑った。
四十代半ばで片脚を失う事は、どんなに辛かっただろう。ここまで歩けるようになるには、かなりリハビリをしたのじゃないだろうか。
「約束、果たしたでしょ?」
「うん!」
私達は自然と堅い握手を交わしていた。
この先のことは分からない。
でも、こいつの意地っ張りは本物だと思った夜だった。
・
さて、タイトルの「最後の握手」だが、私達の握手は「これから」への握手だ。
この若年性糖尿病で思い出したドラマがあったのでご紹介したいと思う。⏬️
「コードブルー」での一場面。
人は「命」を守るために身体の一部を失わなければならない事もある。
くりすたるるさんの企画を読んだ時から、ずっと私は心の中で「握手」をしている。
繋いだ手は離さない。
「手」は私にとって「心」を表すものだと思っている。
るるさん、企画に反していたら、ごめんなさい。
もし、良かったらご査収ください。
忙しさにかまけて、コメ返が遅れています。
少し待ってくださいね♡
土曜日は昼間はお休み〜♪
じゃぬーん♪