「日記」 吐瀉物
土曜日の深夜、営業が終わってゴミを出していた時のことだった。
駐車場で7,8人の人達が、倒れている男を取り囲んでザワザワと騒いでいた。その中心に居る男はアスファルトに向かって、口から吐瀉物をまき散らしていた。
ぐぇっ、ぐぇっ、ぐぇっ
えづく度に背中がエビのように波打つ。
イモムシ?シャクトリムシって言うんだっけ?
あんな感じ。
吐き終えると、酢えた匂いがする帯びただしい黄色や茶色の流動物の中に自分の顔や髪を突っ込んでペタッと動かなくなる。
しばらくするとまた波が押し寄せてくるのだろう、男はえづく…
ぐぇっ、ぐぇっ、ぐぇっ…
ヘタッ
その繰り返し。
ゴミ出しをしていた私は、遠巻きにその様子を眺めていた。
車から降りて待っているお迎えのタクシー運転手の顔が渋い。事態に耐えきれなくなったのだろう。運転手は店主らしき男の元へ走り寄った。
「あれでは乗せられません」
そうだよな~
戻ってきた彼と目があった。
「大変ですね」
私がお愛想を言うと
「土曜日の稼ぎ時にさんざん待たされて、やってらんないっすよ~」
「そうですよね~」
愚痴を吐いて、急いで走り去って行った。
ちょうど巡回のパトカーが回って来たが、注意だけすると去って行った。
救急車呼んだ方がいいんじゃないの?
野次馬の後方に紛れた私は密かに思っているが、誰も、それらしき行動にはでない。どうも取り囲む周りの人達は吐瀉男の知り合いのようだ。
そのうち、店主と従業員らしき人が二人で、バケツを使って駐車場に水を掛け始めた。外水道まで走っては、何度も何度も繰り返し水を掛けている。
まぁ、ご近所がうるさいからなんだろうな。気持ちは分かる。
でも、そんなことをしている間に男は動かなくなった。
大丈夫?ヘタすると死んじゃうよ?
周囲の心配が伝わったのか、
「大丈夫です、大丈夫です」
従業員らしき白いTシャツに黒いスキニーのチャラい女が、両手を挙げて叫んでいる。女の表情の方が全然大丈夫じゃない。ちびまる子ちゃんなら、額から斜線が何本も描かれているって感じだ。
しかし、この全身ゲロまみれの男を誰が送って行くんだろう?
「ずっと泣いてたから、失恋らしいっすよ」
隣に立っていた人が聞こえるようにポツリと言った。
ふーん
見たところ三十代後半か四十代前半くらいかな?
もう若さで突っ走った恋とは言えない年代だ。
ゲロまみれになった男は、野次馬達の手で隅に置いてあったベンチの上に乗せられた。
よく見るとお腹が規則正しく上下しているから、息はしているらしい。
それだけ確認すると私は、その場を離れた。
これだけの人達が見守っていれば大丈夫だろう。
正しい失恋の仕方なんてないけれど、多分普段は地味で真面目そう感じの男が、失恋でこんなにも大騒ぎの中心になっている。
意識はなさそうだけど、君は今夜の主役だよ。
悲しみを内に秘めるのも、号泣して外へ発散するのも自由。
まぁ、暫くは友達の間では話題に上るだろうけど、それは仕方がない。
これだけ迷惑掛けてるんだからさ。
かなり、かっこ悪いけど
それも、かっこいいのかもよ。
斉藤和義の「ずっと好きだった」が、頭の中に流れた。
当たって砕けちゃったのか、
付き合ってて振られたのか、
知らないけど
思い出の欠片が輝く日がくるといいね、ゲロ男くん。
ねぇ、知ってる?
吐いて吐いて吐きまくって、何も出なくなると
最後に蛍光色の胃液が輝やいて出てくるの。