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「創作大賞」探してください 3



「探してください」 3話

マスターに続いて智、美咲の順で美由紀にお焼香をする為に玄関の外で並んで居た。
庭とは呼べない狭い面積に砂利が敷き詰められていて、黒いハイヒールの踵が埋まった。
自分の番を待つ間、景子は身体が震えてくるのを感じていた。それがどんなに不謹慎な事かも景子自身は分かっている。
でも「顔」、顔を直撃して亡くなったって……
よほど酷い顔色をしていたのだろう。焼香を終えて外へ出て来た智が「大丈夫だから」と肩を叩いた。

景子の番が来た。
恐る恐る白い布団に近付いて、その中に眠る美由紀をそっと覗き見た。美由紀は左側頭部に巻かれた包帯以外、いつもの美由紀と何ら変わりなかった。いや、「死」のベールを纏った美由紀は、此の世に居た時よりも完成された陶器の人形のようなゾッとする美しさを増して横たわって居た。

「美由紀ちゃん、綺麗だよ」
景子は思わず口に出していた。
「ええ、傷は本当にこの包帯の下だけなんですよ。身体は綺麗なまま…」
冷静さを取り戻した美由紀の母が、言った。
「でもでも……」
それまで黙っていた妹の静羽が姉の包帯を撫でた。

「耳…お姉ちゃんの耳がないんです!!」
美由紀そっくりな眼が真っ直ぐに景子を見つめて来た。それは事故の夜に『探して』と景子の元を訪れた美由紀の瞳が、まるで乗り移ったかのようだった。

「仕方がないじゃないの」
美由紀の母が悟すように静羽の背中を擦る。
「お母さんは美由紀をこんなに綺麗にして返してもらっただけで、もう充分だから…」
美由紀の母の言葉は、景子には届かなかった。

「静羽ちゃん、耳が無いって…」
隣の台所に正座したまま啜り泣いていた柴田誠が「すみません、すみません」
拳を自分の腿に叩き付けながら更にしゃくり上げた。
「ブロック弊に衝突した時に…」
「あぁ〜」
景子は此処数日間のモヤモヤが解決されていくのを感じていた。立ち込めていた霧がゆっくりと晴れていくようだった。
景子は美由紀の家族と柴田に礼をするとその場を立ち去った。


『探して……私の……』

美由紀は失った耳を求めて浮遊している?!
霊感は全くない景子だが、あの夜の不思議な体験だけは信じる事が出来た。
(行こう!事故現場へ!)

智を引き止め、茂樹に事情を伝えるメールを送った。智の車で茂樹の勤める会社まで迎えに行くと
彼はもう門の所で待っていた。車のドアを開けて乗り込んで来た瞬間、口を開いた。

「よぉ〜、どうだった?美由紀んち?」
「おふくろさんも妹さんも泣いちゃって、見てられなかったよ……」
「そうだよなぁ…」
「俺、柴田君が可哀想でさ、俺なら立ち直れないかも」
「そうだよな……」
智と茂樹の会話が続いた。
「前方の車を避けられた!と思って声を掛けたら、美由紀だけがもう……」
景子は智が短い焼香の時間に柴田とそんな会話を交わしていた事に驚いた。柴田も誰かに聞いてもらいたかっただろう。自分の取った行動とその不可抗力なやるせなさを。

「何で美由紀の奴、窓を開けてたんだろうな…」
茂樹が疑問を呟いた。それには景子が答えた。
「あの娘は自然の風が好きだったから」
バイトに来る時も自転車を飛ばして「風を楽しんで来たんだ〜、景子ちゃん」とよく言っていた。
「じゃあ、シートベルトは?何故しなかったんだよ?」
「皆から貰った花束に傷を付けたくなかったんだって、両手で大切に大切に抱えてたって」
「………」
たったそれだけ、たったそれだけの事が重なって大切な大切な命を落としてしまった、美由紀。

「探しに行こう!」
沈黙を破ったのは茂樹だった。


事故現場には沢山の花束とジュースやお菓子が供えられていた。辺りは大分暗くなっていたが、智が車のライトで照らし茂樹は会社から借りて来たと言う懐中電灯を持っていた。
「探しに行きたい!!」
と懇願したのに何の準備もしなかったのは景子だけだった。おまけに喪服を着たままだ。
「此処だ!」
茂樹が指差したブロック弊の角に数センチの黒ずんだ跡があった。
「本当にこれだけで人って死んじゃうんだな……」
現場は既に警察の手に拠って綺麗に掃除されていた。道路上を懐中電灯で照らしても何もない。

「側溝の蓋を外すしかないな」
智が言った。
道路とブロック弊の間に側溝が流れていた。その上に規則正しく蓋が並べられている。蓋には四角の穴が、こちらも規則正しく開いていた。智は地面上にないなら、この穴から側溝へ落ちたのじゃないかと言っているのだ。
「外せるかな?」
「やるしか、ないだろ」
智と茂樹が車からバールのような物を持って来て、かなり古いコンクリートの蓋を持ち上げた。
「あ、これは!」
蓋の下は汚いドブ川で沢山の藻が生えていた。深さは浅いが流れが速かった。
「藻に絡んでくれてるといいんだけどな」
二人は蓋を持ち上げるのに使ったバールで、藻を切っていく。景子はその手元を懐中電灯で照らしていた。
探しても探しても美由紀のものらしき耳は出て来なかった。

「キャーーーーーー!!」
突然、景子が悲鳴を上げた。
よく肥った小動物が目だけを光らせ側溝から道路へ飛び乗り、逃げるように走って行った。
「な、何?今の?」
「ドブネズミだ。どうやら俺達、奴等の住処を荒らしちゃったらしい」
「マジか…ネズミ…」
「ネズミ…」
暫くの沈黙。

「景子ちゃん、諦めよう、多分、もう出ないと思う」
景子もそう思っていた。それにもう遅い、事故があったばかりの地で近所迷惑だろう。
「私も、そう思ってたの。言い出しっぺのくせに何の役にも立たなくて、ごめんなさい」
片付けを終え、智の運転で家路に着いた。


お通夜とお葬式に参列して、少し経った或る夜だった。
景子はまた、あのす〜、す〜と言う寝息を聞いた。
部屋はいつものように真っ暗だった。
「ごめんね、美由紀ちゃん探してあげられなくて」
寝息の方へ振り返り、景子の方から話し掛けた。不思議と怖さは感じない。
「ごめんね、ごめんね…」

今度は美由紀は顔だけではなく身体もしっかりと見えた。自分でアレンジしたと言うあの夜のワンピースを身に着け、ベッドサイドに立ち上がった。
頭に包帯も巻かれていない。あの夜のままの妖精のように美しい美由紀だった。
「あ、あったのね、美由紀ちゃん!」
きちんと左耳にピアスが光っていた。
ただ、その顔と身体は以前会いにきてくれた時とは違い、薄暗い光を放ち向こう側が透けて見えるようだった。
美由紀はフッと景子に微笑むと「バイバイ」と言うように手を振った。
そして徐々に薄く薄く透明になって、ふわりと宙に浮いたかと思うと消えた。
「さようなら、美由紀ちゃん」
今度こそ、本当の別れなのだと景子は感じていた。


あれから二度と美由紀は現れなかった。就職の為にアパートを引き払い帰省した景子は当時の皆とも疎遠になっていた。


「あ〜、もう、落ちないわね…」
新刊本の白い頁にこぼしたケチャップのシミは何度拭いても取れなかった。
あの日、白い包帯に薄っすらと滲んでいた美由紀の血をケチャップみたい!と密かに思った幼い景子は、もう居ない。景子の目元や頬にも十数年の歳月が薄っすらと刻まれていた。
風の噂でマスターは、あれから数年後に亡くなったと聞いた。美咲も昨年、長い闘病の末に亡くなったと家族からの葉書きが届いた。智と茂樹とは音信不通が続いたままだ。


その時、一匹の肥ったドブネズミが開け放たれた窓から入り込み、景子の背後に忍び寄っていた。

『探したよ』

ネズミは景子の頸動脈をめがけて大きくジャンプした。






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