「備忘録」華岡青洲の妻
人は何かの任務を背負って生まれてくるのでしょうか。何かをやり遂げる為に、此の世に生を受けたのだとしたら、それは辛くて悲しい試練の旅路ですね。
私は田中好子と言う女優さんが好きでした。キャンディーズと言うアイドルグループの一員のスーちゃんの時代も知っていますが、あの頃はセンターに居た色っぽいお姉さんキャラのランちゃんが好きだったと記憶しています。
私にとってのスーちゃんは「田中好子」と言う美しくて可愛くて演技が上手な女優さんでした。
確か一番最初に女優としての彼女に感動したのは、井伏鱒二の「黒い雨」と言う映画だったと思います。テレビで放送されたのを観たのか、TSUTAYAで借りてきたのを観たのか忘れてしまったけれど、被爆者として苦しむヒロインを熱演されていました。
それで何故か、急に思い出したのです。
あぁ、あのドラマ観たいけど…観られないんだなって。
それが、タイトルに書いた「華岡青洲の妻」です。
有吉佐和子原作の「華岡青洲の妻」は、かなり前にNHKでドラマ化されたらしいのですが、私は観ていません。
華岡青洲は、世界初の「乳癌の全身麻酔手術」に成功した江戸時代の医師です。海外で全身麻酔による手術が成功したのが、その40年後ですから、彼の医学への貢献度をもっと日本は高く評価すべきではないか?と私は思っていました。
ところが……
華岡青洲が、この全身麻酔に成功する為には多くの犠牲があったのです。それを小説に描いたのが、有吉佐和子の「華岡青洲の妻」です。
華岡青洲は元の名を雲平といいます。
華岡雲平は1760年、紀州で医師の華岡直道と於継(おつぎ)の長男として生まれます。
現代では医師の家は裕福だと思われていますが、保険のなかった江戸時代、華岡家は貧しい暮らしぶりでした。それに華岡家には雲平以外にあと七人の子供が居たのです。いくら長男と言っても楽々と医学への道を歩めなかったようです。
父を説き伏せ、京都に医学の勉強へ出したのは雲平の妹 於勝(おかつ)だと言われています。於勝は生涯独身を通し機を織って、兄 雲平への仕送りを作ったそうですが、33歳で乳癌でこの世を去っています。
その時、既に医師として京都から帰って来ていた兄 雲平の心は、どんなに辛く口惜しかったことでしょう。自分を医師にさせてくれた妹の病気を治せなかったのですから。
やがて、雲平は「全身麻酔」で外科的手術が出来ないかと考え、研究と実験を繰り返すようになります。
あぁ、話が前後してしまいました。
雲平の母 於継は、とても美しい人だったそうです。この母親の役を演じたのが田中好子さんです。於継は雲平が京都在学中に近郷の娘 加恵を勝手に嫁に迎えてしまいます。加恵は幼い頃から美しい於継に憧れを抱いていましたが、雲平の顔も知らずに嫁入りをしたわけです。
最初、まだ雲平が京都から帰って来ない頃は、加恵は於継にとても可愛がられます。加恵もまた、憧れの於継の元で暮らせることに束の間の幸せを抱いていました。
さて、物語はここから急展開を始めます。雲平の帰郷と共に於継に嫁 加恵への嫉妬心が芽生えるのです。自分が望んでもらった嫁なのにです。それだけ深く長男である雲平を愛していたのでしょう。此処に焦点を合わせた有吉佐和子は、さすがだと思いました。
何故なら、雲平の「全身麻酔薬 通仙散」の人体実験の役目を二人が奪い合うのですから。
今までネズミや猫や犬で、実験を繰り返していた「通仙散」を実用化する為には「人体実験」は欠かせませんでした。今で言う「臨床試験」データですね。
その役目を姑と嫁が、二人で志願するのです。医学の発展の為だけでしょうか?それとも雲平に対する深い愛?
有吉佐和子はまるで見ていたかのように、この部分を「女の戦い」として描いています。
この身を犠牲にまでして勝ちたい、女の情念のようなものをひしひしと感じます。
こうして世界初の「全身麻酔薬 通仙散」は完成しするのですが、妻 加恵は副作用により両目の視力を失ってしまいます。後に母 於継は命を奪われます。
「犯罪の影に女あり」と言われますが、「新薬開発の為に女あり」だったのです。
妹 於勝、母 於継、妻 加恵の献身によって「通仙散」は出来上がったのです。
ここで私は、ほんの少しだけ違和感を覚えました。
いくら医学の進歩の為と言っても、華岡青洲と言う人は、あまりにも冷たいのではないかと…。
医師としては素晴らしいが、人としてどうなのか?
もう少し詳しく調べてみました。
華岡青洲は最初、自分へ「通仙散」を投与していたのだそうです。しかし「麻酔薬」です。眠ってしまって確かなデータを取る事が出来ませんでした(製薬会社のHPより)加恵の失明と母の死後、華岡青洲は再び、自からへ「通仙散」を投与して、この新薬を完成させます。まだ江戸時代の話です。
私が、このドラマを観たいと思ったのは、原作の良さは勿論ですが、それだけではありません。
皆さんが、ご存知のように田中好子さんは、このドラマと同じ乳癌で亡くなっています。この役を演じた時、既に闘病中でした。女優魂とは言え、この役を引き受けるのは、自分自身と重なってどんなに辛かったでしょう。
女達の献身に似た、どろどろとした闘いとその役に挑んだ田中好子さんの在りし日の美しい姿を私は観たいのです。