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「連載小説」姉さんの遺書10

前回までの話


     (マリーゴールドの章)
        花言葉「絶望」「嫉妬」「憎しみ」


それから一ヶ月程経った日

ざわざわと救急隊員が家の中に入って来た。サイレンの音を消してパトカーも到着したらしい。
ぞくぞくと家に侵入して来る知らない者達の中で、亮一は呆然と立ち尽くしていた。

ああ、自分で呼んだんだ…

亮一がいつものように仕事から戻るとリビングから焦げ臭い何かを燃やしたような匂いがした。暖炉の前に白いワンピースを着て横たわる妻の珠姫の姿を見つけた。急いで全ての窓を開け放して駆け寄ると、もう珠姫の息は無かった。
抱きかかえて
「珠姫、珠姫〜」
名前を呼んだ。
何が起こったのか分らなかった。

他人に踏み込まれたくなかった場所を多くの知らない者達が荒らしている、珠姫の亡骸を囲んで。

亮一は、その様子を生気の感じられない瞳でぼーっと見ていた。


珠姫を喪ってから数ヶ月が経った。
亮一の生活に諦めや妥協、惰性が芽生え始めた頃、背後に何か悪意を含む視線を感じるようになった。
コンビニで一人分の弁当を買う時、車に乗り込む時、気分転換に映画を観に行った時、ゆかりと食事を共にしている時…いつも誰かの視線がねっとりと貼り付いているような感覚。それは決して好意的な物ではない。

最初は気のせいかと思った。
次に失ったものが大き過ぎて、遂に自分も精神を病んだのか?と思い始めた。
しかし貼り付いた視線は亮一の中で実感を帯びてきた。
誰かに見張られている?
強迫観念に似た感情に襲われる日々を送るようになった。
まぁ、いい。これ以上失うものは何もない。
亮一の中でまた一つ、諦めが生まれた。


柴田 大悟は自分の興信所の机に向かい、自らかき集めた資料に目を通していた。
亮一の出勤時刻や帰宅時刻はもちろん、行きつけの店、植野ゆかりと会う頻度、食事や酒、音楽、映画、衣類に関する諸々の嗜好……

「そろそろ大丈夫だろう」

今回だけは失敗は許されない。
一度逢っただけの女、高柳 珠姫の思い詰めた表情と白井 康司の復讐に近い熱意に絆され、柴田は慎重に事を運んでいた。
何よりも心を揺さぶられた人が生命を絶っていた。
ポンポンとコビー用紙を机の上で揃えるとそれをA4の紙袋に収めた。
スマホを手に取って押しなれた名前にタッチした。数回の呼び出し音の後、電話は繋がった。
「もしもし、俺だ。麗奈、仕事だ」
「ラジャ〜、ボス。で、相手はどんな人?」
「電話では話せない。10時にいつものBARに来てくれ」
「探偵はBARに居るって?ふふっ、面白そうね」
「ふざけるな、俺は今回はクソ真面目だぞ」
「OK、ボス」

事務所の戸締まりを終えると柴田は、その足でBARに向かって歩き出していた。約束の時刻には、まだ充分な時間がある。酒でも飲まなければ麗奈の前で、自分の珠姫への想いを見透かされると思った。麗奈は男の感情を操るプロだ。だから男の気持ちを読む感覚にも長けていた。
繁華街の一つ裏の通り、2階のBARの扉を開けると落ち着いた六十絡みのマスターが
「いらっしゃるませ、今夜は早いご来店ですね」
穏やかに出迎えた。まだ客は誰も居ない。
「ジントニックをくれないか」
「かしこまりました」
マスターは柴田の好みも聞かずにタンカレーとトニックウォーターをバースプーンで軽くステアした。
カラカラと氷がグラスの中で小気味良い音を立ててから止まった。
鮮やかな一連の動きがバーテンダーとしての腕を魅せつける。プロのステアだ。
水滴が光るグラスが柴田の前に運ばれた。
俺もプロとしての仕事をしなきゃな…
何杯めかのグラスに手を掛けた時、麗奈が店に姿を現した。



つづく



麗奈はこの娘










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