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百人百色#三羽さんの企画


Keiさんの絵を中心に書いてみました
Keiさんが納得されると
嬉しいのだけれど


明けぬれば 暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな


「夜明け前」


また夜が明けていく。
それは闇を引き裂くようだったり、立ち込めた厚い雲の切れ端に光の粒子を散りばめるようだったり、雨粒の輝きを透き通らせるようだったり、同じ朝のようで同じ朝は一つもない。
私の傍らで健人が長い睫毛の陰を白い頬の辺りに落として、静かに寝息を立てている。その姿を眺める数分の時間が、私は此の世界で一番幸福な時間だと思っている。

健人に出逢ったのは、まだ二十代前半の頃だった。あの頃の私には、怖いものなど何一つなかった。恋をして、その恋が終われば、次の新しい恋が私を待っていてくれると信じて疑わなかった。そこそこの会社で結婚までの腰掛け程度に働いて、それなりの男を捕まえて円満退社。子どもは一人か二人、その子が小学校に上がるようになったら、小遣い程度のパートに出て、夢は一戸建てのマイホーム。小さいけれど、安定した堅実な人生設計だと思っていた。
あの日、あのエレベーターで、貴方に出逢うその時までは。

その日は酷い雨が降っていた。季節外れの雷がビル街にこだまして、遅いランチに向かう私の足を急がせた。最上階にある社員食堂へ行こうと私がエレベーターに乗った時だった。ずぶ濡れの黒いコートを着た男が飛び込んできた。
髪からは大粒の雨の雫が滴り落ちている。
「何階ですか?」
そう言って振り向いた私に
「8階を」
ぶっきらぼうに言った彼の漆黒の髪の隙間からぎらぎらとした瞳が、私を刺すように見つめていた。
「はい」
慌てて視線を外し8の数字を押して、エレベーターが動き出したその瞬間だった。

ダーーンッ

地響きのような音がして真っ暗になるとエレベーターが、ガタンッと音を立てて急停止した。

「きゃー!!」
「危ないっ」
悲鳴を上げてよろけた私は、後からふわりと抱きすくめられた。
「落雷ですね。大丈夫、すぐに非常用発電が動くはずだから」
雨に湿った彼の身体からシンナーの匂いがした。
それが油絵の具の匂いだと気付くのは、少し後になってからだった。

そんな事があったことさえ忘れかけていた数カ月後、勤めていた会社のビルの一階で偶然に彼と再会した。その日の彼はずぶ濡れではなかったが、私の目にはきらきらと輝いて見えた。
一階のイベント会場で行われていた絵画の展示コーナーの前に彼は居心地悪そうに後ろ手を組んで立っていた。
立看板には「平成の浮世絵師 桐生 健人 個展」と書かれてあった。
「あっ、」
最初に声をあげたのは彼の方だった。
「あの時は、どうもありがとうございました」
お礼を言って立ち去ろうとした私の腕を彼の手がぐいっと掴んだ。

「二枚だけ貴女に観て欲しい」
「えっ?」
「いいから来て⋯」
腕を掴まれて強引に奥へ進んで行った先に、彼が言った二枚の絵が飾られていた。

「あっ」

「憂う人」

これは、あのエレベーターの中で振り返った私?!

「雨の日に出逢った女」


「こ、これって、私ですか?!」
「うん」
健人は、おどおどとした視線を私に向けた。
「どうかな?自信作なんだけど⋯」
「どうって、絵のことは分からないけど綺麗に描いてくれて⋯嬉しいです」
「ホント?じゃあ、キマりだな」
「キマりって?」
「あれから、ずっと君を探してたの。俺の絵のモデルになってくれないかな?」
「えっ⋯」
「いいじゃない?ダメ?」
この人の癖なのだろう。どんな時でも瞳を見つめて話しかけてくる。
新進気鋭の画家のモデル?⋯私に断る理由は見つからなかった。後にこの判断が私の人生設計を大きく狂わせるとは思ってもいなかった。

それから何枚か健人の絵のモデルを務めた。その殆どが裸婦で、その度に熱い抱擁の嵐にあって私は愛されていると実感した。同じように健人も愛を育んでいてくれる、そう信じて疑わなかった。



妊娠が分かった時、彼は泣いて喜んだ。
「この曲線を描かせてよ」
日増しに大きくなっていく私のお腹をキャンパスに収めるのだと言って、恥ずかしがる私の裸を何枚もスケッチした。
やがて健人によく似た長男が生まれたのを機に、私達は入籍した。
順風満帆だと思った私の人生が狂い始めたのは、その頃からだった。子どもを生むと健人は私を女として見なくなった。家の近くにアトリエと称してマンションを借りると昼間はモデルの女の子を連れて、其処に籠るようになった。
それが彼の仕事なのだから、仕方がないと割り切ろうと思った。夜になれば息子の顔を見るために帰って来るのだから。

「ママ、ただいま」
ママ?私の名前は真美だ。ママではない。

確かに私も三十歳を越えた。二十代の頃のような肌艶や曲線を彼に見せつけることは出来ない。
でも⋯
画家の妻になどならなければよかった。
私は私の女としての渇きを覚えながら、今日も「朝よ、来ないで」と健人の寝顔をただ見つめている。


「ママ、おはよう」



(1940字)

#なんのはなしですか

三羽さんの企画に参加させてください。
よろしくお願いします。


2000字に収めるのが難しかったです(苦笑)
Keiさんの絵を勝手に、一枚余分に使ってしまいました。Keiさんがご納得されないようでしたら、その部分はカットしますので、お知らせくださいね♡








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