算命学余話 #G23 「身中論と群衆心理」/バックナンバー
前回の余話#G22では、昨今の国際情勢に絡めて、集団の意思というものは集団構成員一人一人の意向を集めた概ねの総意であるという話を、算命学の視点から試みてみました。しかしあまり説明が上手くなかったと自分でも感じています。具体例をもっと挙げた方が良かったかもしれません。算命学学習者でない読者にも目を向けてほしいテーマであったこともあり、鑑定技術に役立つ内容としては不透明な書き方になってしまいました。今回の余話はそうした前回の不足点を補うべく、算命学の具体例を出して話を続けます。
算命学の基礎理論の一つに身強・身弱論があります。余話R番の『基礎編』で解説したので詳しくはそちらを再読下さい。ざっくり言えば、身強(みきょう)とはエネルギーの多い宿命のこと、身弱(みじゃく)とはエネルギーの少ない宿命のことですが、その中間が身中(みちゅう)です。
割合から言えば身中の人の方が身強や身弱より多いはずですが、算命学の鑑定において身中が注目されることは稀です。なぜなら身中は、というより集団の中間層というものは、集団の両端のどちらか勢いの強い方へなびくものだからです。つまり身強や身弱に比べて、身中は意思決定の意識が薄いか、意識があっても結局流される傾向にある。
こう聞くと、エネルギーの弱い身弱の方が流されやすいと思われるかもしれませんが、身弱は霊星優勢ですので、そもそも土俵が違います。霊星は精神世界では強靱ですから、精神に関わる土俵に立てば強星よりも威力があり、集団の大勢を率いることもあるのです。しかしこうした土俵にあっても、身中はやっぱり中間層であり、その意向は集団の大部分の進む方向へと流れるか、そういう傾向が強い。
前回の余話との繋がりが段々見えてきたでしょうか。ではこの先は、算命学者もあまり言及することのない身中にスポットを当てながら、集団や群衆がどう動いていくものなのか、人間についての考察を深めて参ります。
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