算命学余話 #R89「似ている人」/バックナンバー
前回の余話#R88では、珍しく守護神の使い方を一例紹介しました。算命学における守護神という概念の存在は比較的広く知られているようですが、その用法については、天中殺に対する対処法ほどにも知られていないような印象があります。他の技法と同様、守護神の用法は多種多様であり、前回掲げた用例はほんの一部にすぎません。
宿命に守護神が見当たらないからといって慌てる必要がないことは前回述べましたが、守護神と逆の効果を持つ忌神というのも気に掛けるとすると、あれもこれも怖くなって人生が一歩も前に進まないという事態を招きかねません。天中殺だ、七殺だ、忌神だ何だと気にする人ほど、人生の貴重な時間を無駄な足踏みで浪費してしまうものです。そして、そんなことを気にせず生きている人に次々と追い抜かれてしまうのです。
本当に運勢を上げたいのなら、そんな命式の些細な瑕疵など蚊に刺されたくらいに考えて、日々の課題を全力でこなす日常を積み重ねた方が早道です。実際、命式は大したことないのに大きな業績を上げる人は沢山います。彼らは恐らく自分の命式など知らずに現実と向き合って真面目に生きることで、いつの間にか命式を充分消化して星を輝かせる結果となったのでしょう。つまり命式の良し悪しに頭を悩ませているヒマがあったら、自分の人生がどうすれば輝くかまず実践しろ、というのが算命学者の正直な助言です。
さて今回の余話のテーマは、「似ている」ことについてです。算命学は、お騒がせ星として名を馳せている調舒星と龍高星の人について、調舒星は調舒星を持っている人以外には全く理解されないし、龍高星は龍高星を持っている人以外には全く理解されない、と明言しています。どうですか、世の調舒星・龍高星の皆さん。自分が変人として評価されることに今更驚いたりはしないけど、たまに理解者に出会うと、まるで古い友人にでも出会ったかのような気分になりませんか。或いは調舒星・龍高星でない人でも、「この人、すごく気が合うなあ」と思う人に出会うことがありませんか。そういう気分になる相手は、恐らく宿命のどこかが自分と似ているのです。
命式には陰占と陽占と二通りありますから、ひと口に似ているといっても、陰占・陽占両方とも似ているというケースはそうはありません。また似ているといっても、例えば年干支が同じ人は、同じ年の生まれの人が全員該当しますから、かなり大振りな括りだということは判ると思います。つまり当てにならない。当てになるのは、もっと日干支寄りの方の一致です。
今回は、こうした「似ている/似ていない」にまつわる考え方について論じてみます。
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