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算命学余話 #G25 「自殺相の周辺を考える」/バックナンバー

 前回の余話は、位相法について述べました。前座に掲げたムツゴロウさんの話の方を楽しく読んでくれた読者も多かったようですが、位相を変えることで自分の今までの見方が一変し、固定観念が覆されます。そこに新たな可能性や突破口が生じる、というテーマでした。行き詰まったら位相を変えて、別の角度から取り組めば、大抵の問題は片付くか、片付かないまでも停滞から脱することはできるでしょう。

 少し前に算命学余話#G21』で「自殺相と発狂相」を刷新したら、案の定普段より多くの読者が飛びついて読んでくれました。恐らく調舒星の人と龍高星の人が大半かと思いますが、彼らの意識を変えるか、少なくとも自殺や発狂に対する過度な怯えを緩和するのに役立つであろうことを期待して書きました。尤も、龍高星が己れの発狂相について怯えているかどうかは疑問です。知性星である龍高星は好奇心の方が先に立ってしまうので、怯えるどころか嬉々として狂気を心待ちにしている可能性大だからです。なのでこの際、龍高星は放っておきましょう。問題は調舒星です。
 自殺の問題がいつの世にもあったことは知られています。自殺は、ストレスが多いと言われる現代社会に限った現象ではなかった。ストレスなら近代以前の方がはるかに多かったことは想像に難くありません。生活水準一つを取っても、昔の人が日々味わった不便と非合理に比べれば、現代人の暮らしぶりは天国みたいなものです。とすると、自殺の原因はストレスではないということになります。どうです、位相が変わりましたか。或いはこの先を読めば、位相が変わりそうですか。
 というわけで今回の余話は、自殺相について算命学の考え方を掘り下げてみます。

 便利な現代社会には、自殺を思いとどまらせるために「いのちの電話」という相談ダイヤルが設けられています。自殺したくなったらここへ電話すると、係員が話を聞いてくれるというもので、話しているうちに気分が晴れて自殺したくなくなったり、相談員の説得で本人の意識の位相が変わったりすることが期待されています。
 ところがこの相談窓口は昨今人手不足で、電話をかけても通じないというクレームが来ているそうです。「お門違いだ」と私は鼻で笑いました。自殺したいのは本人が好きでやることですし、そもそも褒められた行為ではないので、クレームするには当たりません。放火犯がマッチの点きが悪いと言って、マッチメーカーにクレームを入れるようなものです。

 誰かにとめてもらうのを期待するのなら、それは自殺が目的なのではなく、誰かに構ってもらいたいという欲求に過ぎません。ならばそういう店舗へ相談なりサービスなりを求めるべきで、本当に自殺を考えている人に限られたダイヤルを譲るのが正しい行為です(相談やサービスが有料なのが嫌なのでしょうか。人様の手を煩わせるのにタダで済むと思っているなら、社会人としてこの先も他人の脚を引っ張るばかりなので、早めに死亡した方が世の為になりそうです)。
 これは大した病気でもない人が大げさに騒いで救急車を呼んだために、本当に救急車が必要な重病患者が命を落とすという不合理と、同じ構図です。そもそも「電話が通じない」とクレームを出せる元気があるのは、当人が死から遠い証拠です。本当に弱っている人はクレームなど出す気力も残っていないはずですから。
 当人は自殺したいのではなく、単にヒマなのです。間違えてはいけません。当人に必要なのはヒマを一緒に潰してくれるお友達を作る努力であって、自殺防止相談員ではない。お友達が欲しいのなら趣味のサークルでも探した方が早いですし、これなら忙しく働く他人様の迷惑にもなりません。便利な現代社会にはサークル募集の貼り紙が掲げてあるし、ネットで検索すればもっと出てくるでしょう。みんなやり方を間違っているんです。電話を掛けるより先にするべきは、賢くなることです。自殺という言葉を武器に人を脅す行為の愚かしさを認識できる、脳みそ作りから人生を再構築しましょう。

 笑い話に聞こえたかもしれませんが、最近、座間九人殺害事件の初公判が話題になって、事件当時の様子が蒸し返されました。被害者はいずれも自殺志願者で、犯人の供述ではその誰もが自殺を望んでいたのではなく、とめて欲しがっていたということでした。さもありなん。本当に自殺したい人など、そう多くはないのです。
 現代社会のストレスは、昔に比べて増えてはいない。増えたのは「構ってちゃん」だけです。私はこの事件の被害者には同情しません。算命学は、人間が年齢相応に成熟することが自然であると考えています。従って、いつまでも中身が幼稚なままで年齢だけ大人という人間が社会に増える事態は、この世に相応しくないという考えです。この世に相応しくない人間は、淘汰が早まります。つまり、「自殺という言葉を武器に人の気を引こうとする」幼稚な行為がゆえに、被害者らは淘汰されたのでした。その淘汰に加担したのが、たまたまこの犯人だったというだけのことです。

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