足りないものはたくさんあった。それでも、それらを補う熱量があったんだ。
一年に一度、音のない世界の住人が集まる日。生まれて初めて「眼に入れても痛くない」と思うほどかわいがった子たちも、中学生になっていた。相変わらず、会った瞬間に笑みを浮かべて抱きついてきてくれた。
大学生の頃、週に一度音のない世界に住む子どもたちに勉強を教えるボランティアをしていた。日本語を母語としない手話者の子どもたちに、勉強を教える。どうやったら伝わるだろうかと、ありとあらゆる参考書を読み、教科書をコピーしてその日に備えた。
教室には、満面の笑みを浮かべて、なんなら補聴器の電源も落としてひたすら手話でいきいきと話をする子どもたち。学校で聞くことを頑張ってきて、お家でも音声でのコミュニケーションを頑張る子が多くいる。この教室にいる時間くらい、思いっきり音のない世界を楽しんだっていいじゃないか。最初はその手話を読み取ることに必死だったけれど、慣れてからは勉強だけでなく、彼らとのコミュニケーションも楽しんだ。
わたしの幼少期は、普通小学校に通ったこともあって、きこえない友達に出会うことなんて、ほとんどなかった。
手話は大学に入ってから覚えた。わたしにはとても便利なコミュニケーションツールだけど、いつまで経っても日本語も手話も中途半端。
だからこそ、いつまでもこの子たちの天使のような笑顔を守りたい。手話でいきいきと会話ができる場を、守りたい。
願わくば、彼らが大人になったとき、「きこえないから」とやりたいことを諦める世の中になって欲しくない。
そう思いながら、彼らとの時間を全力で楽しんだ。そして、彼らの可能性を一つでも増やすために、どう教えたら良いか試行錯誤を続けた。
文化祭のステージ発表。
彼らの発表を見ながら、あの日々が蘇ってくる。あどけない顔をしたあの子たちがたくましい顔でステージを彩っている。天使のような笑顔を見せながら。
その姿があまりにも嬉しくて、思わず涙が溢れた。
「やっぱり、あの子たちは特別。目に入れても痛くないほど、愛おしくてしょうがない」
そう呟いたら、一緒に行った友人がこう言った。
それね、技量とか足りないものはたくさんあったけど、足りない知識を補う熱量はあったね
発表後、彼らのもとを訪れると、キラキラした目をした女の子が2人
「sanmariがきてるー!」
と抱きついてきた。
一年に一回、この瞬間が嬉しくて。
このあと、校舎を巡りながら何度か遭遇して、そのたびに手話で彼らの近況を教えてもらうのが幸せで。毎年毎年足を運んでいる。
その日の夜、あの頃「てにをは」のプリントが出来なくてブーブー言っていたある女の子からラインがきた。
「遠方からわざわざきてくれてありがとう🥰」
相手を思いやって感謝ができるほど、大きくなったんだなぁ……と思うとまた感慨深くて。
来年、さらに成長した彼らに会えるのを楽しみに日々生活を送っていこう。
その中で、彼らが所属できるコミュニティが1つでも、彼らの言語を面白がってくれる人が1人でも増えるよう、わたしもがんばっていこう。