そして、いまのわたしがここにいる。【中米:パナマ】
ラテンな音楽が鳴り響く高速バスを降りると、そこには小さな学校と小さな商店があるだけの、小さな小さな町があった。
2年前の2月。わたしは、はじめて一人で飛行機に乗って海外へと飛び出した。行き先は、中米パナマ。経由地は、メキシコ。
大学で通年必修科目だった英語を評価もしてもらえず「I don’t understand you!」と課題をつき返されてあっさりと単位を落としたわたしは、無論 hola も gracias も知らなかった。
好きな人に「会いたい。おいでよ」そう言われたわたしは、自分の語学力なんてすっかり忘れてパスポートを申請し、航空券を購入し、成田空港から飛び立った。「来てくれさえすれば、こっちでの面倒は全て見る」そんな頼もしい言葉を言い放った彼を全面的に信じて、所持金は成田空港でわずか1万円分の日本円をUSドルに両替した分だけ。
いざ出国だと意気込んで臨んだ成田空港では、なぜかメキシコまでの航空券しか発券してもらえず。メキシコで一度入国して航空会社のカウンターへ行くよう指示される。なんてこった。英語もできないんだぞ!
案の定メキシコ行きの機内では入国書類の書き方が分からず、半泣きだった。パナマの入国カードの見本しか送ってもらってないもん。そう固まっていると、隣に座っていたメキシコ人ご夫妻に入国カードやらパスポートを奪われる。
これ、あかんやん。
呆然としていると、隣から全情報が入国カードに記載された状態で手元に戻ってきた。あれ。世界ってこんなに優しいのか。グーグル翻訳に頼りながら聴覚障害があることと感謝を伝える。騒音の激しい機内で、音声を聞き取るのは難しい。グーグル翻訳のたどたどしいスペイン語を読んだご夫妻は「そういうことね。だから、飲み物や食事のメニューを指差ししていたのね!」と納得していた。文明の利器ってすごい。ちょっと調子に乗ったわたしが、そこにいた。
入国審査では、パナマの入国デスクで提示するようにと彼から渡されたスペイン語のよく分かんない紙を差し出して、身振り手振りで聞こえないことを説明したらあっさりと入国できちゃった。その上、入国直後に大学で日本語を専攻しているというメヒコのインターン生と仲良くなって、全手続きを彼にお任せしてしまった。
聞こえないから、プライオリティーレーンを使いたい
※聴覚障害のあるわたしは搭乗口を凝視していないと搭乗のタイミングを逃しちゃうし、搭乗口が変更になってもわたしは放送を聞き取ることができない。アシストを事前に頼んで、存在感を示しておくの、大事。
そう伝えると、「他の人が見てわかりやすいから」みたいな理由で車椅子に乗せられる。いや、ね。わたしが使えないのは、耳。トイレにだって行きたいしウィンドーショッピングだってしたいのよ。なんてことをスペイン語はおろか英語でも伝えられないわたしは、案の定1時間半近く車椅子の上でおとなしくしていた。幸いだったのは、さっきのインターンのお兄ちゃんが、時間制限のかからない空港のWi-Fiをつないでくれたこと。
車椅子で搭乗した機内では、昔パナマに住んでいたことがあるというスペイン語がペラペラの日本人のお姉さんとその彼氏さんと隣になるという奇跡に恵まれ、パナマまでひたすらしゃべり続けた。日本語で。国際線で飲み物に迷ったらスプライトを頼むと良いよ。という謎のアドバイスをもらう。(その後5カ国近く旅をしたけれど、なぜかどの飛行機にもスプライトがのっていなくて、未だにあの助言を生かすことはできていない)
パナマの空港ではお姉さんがスペイン語で「この子、歩けるからわたしたちと入国デスクに行くわ」とすごい剣幕でまくしたててくれたおかげで車椅子に乗ることなく空港を歩いた。お姉さんは、めちゃくちゃカッコよかった。だって、いかにも「家族です」みたいな顔して入国デスクも3人で乗り込んだんだもん。入国カードに書いてあるホテル名、私だけ違うぞ。なんてビビっていたけれど、入国デスクのお兄さんはスマホで誰かとチャットしながら仕事をしていた。多分、入国カードのホテル名なんて見ちゃいない。
そんなミラクルにミラクルを重ねたようなはじめての海外まで一人旅。到着ロビーで心配して待っていたであろう彼は、日本人のお姉さまとお兄様さまに挟まれてニコニコ歩いてくるわたしを見て唖然としていた。なんなら、本当に所持金がわずかであることを確認した瞬間も、絶句して爆笑していた。(そして本当に面倒を見てくれたもんだから、わたしはおみやげ屋さん以外で財布を開くことがなかった。パナマの物価は分からずじまいである。)
それから1週間とちょっと。青い空の下船の通らないパナマ運河で日向ぼっこをして、カリブ海で生まれて初めてに海水浴をして海は見る分には綺麗だけどとってもしょっぱいことを思い知って、停電した夜の星空があんまりにも綺麗でちょっぴり泣いた。食べ物に困ったらサブウェイに行けばいいし、飲み物に困ったらカジノに行けばいい。現地の豆は、もれなくお腹を下す。有名な観光名所もいいけれど、結局は横に好きな人がいる、ただそれだけで世界はいいもんだなぁなんて思った。
そんなパナマから2年が過ぎちゃったんだって。グーグルフォトがご丁寧に「2年前の今日」なんて通知をくれるもんだから、思い出しちゃったよ。
あれから2年。パスポートを手にしたわたしは長期休暇があるとさらっと海外に飛び出すようになったし、買い物は案外クレカで済むことを知ったし、SIMカードを買えば、Wi-Fi難民にならないことを学んだ。スペイン語は、 hola と gracias くらいしか分かんないけど。
それでも、あのハチャメチャな海外まで一人旅がわたしの人生を大きく変えるきっかけになったことは間違いない、そう確信している。久しぶりに「ありがとう」とちゃんと伝えないとなぁ。伝えてきます。えへへ。