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祖父を前にして、わたしはいつまでも小さな孫だった。
朝の8時頃には東京に帰らねばならない。だから、アサイチの新幹線を予約していた。
仙台駅までは、タクシーで行けばいい。
でも、どこへ連絡してもアサイチのタクシーの予約が取れない。仕方なく、あの通学路を通って最寄りの地下鉄駅まで向かうことにした。
さて、帰るか。まだ薄暗い外を見ながら意を決した。すると、祖父がいそいそと出かける準備を始めた。
「よし、行くか」
昨夜、あんなにも「オレは朝早いのは嫌だからな。送っていかないからな。」そう念押ししていた祖父。だからもちろん、ひとりで歩こうと思っていた。だというのに、一体どうしたのだろう。
駅までの道。
祖父がぽつぽつと話しかけてくる。
「このでっかいバック(スーツケース)は、飛行機で無料で預けられるのか?」
「タクシー、途中で捕まるといいな」
「家に着いたら、ちゃんと連絡よこせよ」
いちいちうるさいなぁなんて思いつつも、気にかけてくれているのが嬉しい。
「おじいちゃんにとってわたしは、いつまで経っても小さい孫のまんまなんだね」
そうわたしが呟くと
「そら、当たり前だろ」
と、祖父は笑った。
学生時代、寝坊したと言っては車で送ってもらい、雨が降った、雪が降った、バイトが朝番……定期いらないんじゃないかと錯覚するほど祖父の運転する車に頼りきっていた。
思い返せば、祖母の闘病中、はじめて2人で生活したときは、しょっちゅう喧嘩したっけ。炊けたご飯の炊飯器を開けるタイミングとかそんなくだらないことで。
でも、あのときのわたしたちは、同じ不安を抱えていて。その不安を見せ合わないように強がっていた。
祖母が亡くなると、2人で塞ぎ込んだ。何かにつけて祖母を思い出して、2人で泣いた。
2人で外に飲みに行ったり、うみの杜水族館に行ったり、そんなことをしながら悲しみを癒しあった。
同じ不安と悲しみを共有したし、もう家を出て東京で働いている。だからわたしは、もう大人になったと思っていた。
でも、祖父からしたら、わたしはまだまだ小さい孫のまんまだったのだ。
車の運転はもう危ないと毎日運転していた車を手放し、髪の毛も随分と白くなった。帰るたびに「おじいさんになっている!」と衝撃を受けているけれど、やっぱり、祖父からしたら、わたしはまだまだ小さい孫のまんまだったのだ。
そんなことを考えたら目の前が霞んできて、涙がポロポロと溢れてきた。
「もうすぐおばあちゃんのお誕生日だから、いろいろと思い出しちゃったよ」
なんて言い訳をしたけれど、祖父の温かさで胸がいっぱいだったんだ。
大通りに出ると、無事にタクシーを捕まえることができて、そこで祖父と別れた。
タクシーの中からのぞく祖父の姿は、小さい頃わたしを車で家まで送ってくれた祖父と比べて「おじいさん」になったけれどけれど、朝陽を浴びて、しゃんとして、ちょっぴり大きく見えた。
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