遠くのどこか、レバノンとか京都とか。
こうしてnoteを書き始めてはや3年目になるわけだけれども、遡ってみると
・はてブロ
・Facebook
・アメブロ
・mixi
・Yahooブログ……
とまぁ、中学2年生くらいからずっとオンラインがすぐそばにある生活をしているわけで。もう、ネットのない世界線でなんて生きていける気がしないなと思っている。
はじめてオンラインを介して友達ができたのは、九州の片隅でYahooブログを書いていた中学生の頃。
あの頃わたしは、(今思えば難聴も大きな要因だったのだろうけれども)友達関係にはものすごく悩んでいたし、平日夜21時まで休日も盆と正月だけのブラック部活に所属していてそのコミュニティのなかだけで生きていることにも息苦しさを感じていて。そんな思いをポロポロと、ブログに綴っていた。
毎日のようにブログを書いていると、それに対してコメントをくれる人が出てきて、そこで作られていく新しいコミュニティは、どこか別世界に連れて行ってくれるような気がして、わたしをワクワクさせた。
その中でも特に毎日のようにコメントをくれる子がいた。彼女もまたこの世界のどこかで同じように狭いコミュニティで生きることへの息苦しさを感じていて、姉妹の長女で、生徒会役員をしていた。共通項が見つかるたびに、わたしは彼女を近く感じるようになっていき、コメントだけでなく、電話や年賀状のやりとりをするようになった。
中学を卒業するタイミングでmixiが登場してからはYahooブログからも足が遠のいてしまったのだけれども、移りゆくSNSアカウントたちを共有しながら、社会人になった今でもお互いのLINEを知っているくらいに彼女との関係は細々と続いていっている。
そして、この春。社会も少しずつ落ち着いてきて、旅を再開するタイミングはきっと今なんだろうと腰を上げたわたしは、駅弁を買って新幹線に乗り込んだ。
ある程度同じ学力の人たちが集まる高校生活、さらに似た分野に興味のある人たちが集まる大学生活と集団が絞られていくなかで、ちょっとずつ息苦しさからも解放されてきたちょうどその頃、彼女と初対面した京都は鴨川のほとりで、わたしたちは数年ぶりに再会した。
朝陽が気持ち良く降り注ぐ店内で、レバノン料理を食べながら、ここ数年の近況を報告しあう。
レバノンという国がこの世界のどこかに存在するということはGoogleマップでも確認できる。
でも。あの頃のわたしたちにとって、互いの住む土地がどこか遠くの世界のように感じられたように、遠くのどこか、というくらいにしかイメージは及ばない。
今となっては、オンラインコミュニティやSNSでの出会いはわりと一般的になってきたけれども、10数年前は、ネットで出会った友達がいるなんてなんだか後ろめたい気持ちもあった。それでもわたしたちは、ネットがあったから繋がることができたわけだし、ネットのおかげで今もこうして数年に一度会うことができるのだ。ネットって、すごい。
わたしが今も変わらず、TwitterだのInstagramだのnoteだのとこうしてSNSに言葉を綴り、オンラインコミュニティにサードプレイスを見出しているのは、きっと昔から決まっていたことなんだろうな。インターネットは、わたしのライフラインなんだろうな。
そんなことを考えながら、この世界のどこか、レバノンのふわっと膨らんだピタパンにスモークチキンとファラフェルを挟んでパクリと口にした。
彼女はこの春、とっても美しいお嫁さんになったとのこと。おめでとうね。