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音の世界と音のない世界の狭間で

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聴覚障害のこと。わたしのきこえのことを、つらつらと。
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2021年7月の記事一覧

ヘロヘロなのに、気付いたら1,000字も言葉を綴っていた。

今日は、久しぶりの出張があったり、ものすごく耳を使ったりして疲れ果ててしまったので、いつもの2,000字近いnote更新はおやすみ。 ためになるお話からたくさん勉強できてとても充実した一日だったんだけど、「集中して聴く」に吸い取られるエネルギー量もそれに比例して消費してしまったみたいだ。 学生時代は90分講義を5コマ連続、そしてほぼ全ての講義を補聴器と文字通訳で受けていたというのに。今日は、4コマ分くらいの時間だったけど、びっくりするくらい疲れている。 ただひたすら講演

自意識過剰、万歳。 #tokyo2020

あの日、オリンピックの開会式を中継したテレビ画面に、手話通訳者のワイプ映像が映らなかった。 ピクトグラムの演出で沸き上がり、長嶋茂雄さんが聖火を持って走る感動に包まれたあの開会式の最中、複雑な気持ちを抱えた人たちが、確かに存在した。わたしたち聴覚障害者の中にも、複雑な思いをもった人が少なくないだろう。 わたしの記憶の中で一番古いオリンピックは、2000年のシドニーオリンピック。当時わたしは小学1年生で、担任の先生やクラスの友達が「オリンピックだ!」という話題についていきた

人形が、夢から目覚めない。

お風呂に入る時間が、1日の中で一番好きな時間だ。春夏秋冬温泉に行きたいし、自宅の湯船には、真夏だろうとお湯をはる。 春先に引っ越したばかりの知り合いの家に遊びに行ったら、引っ越して2週間くらい経つというのに「一度もお湯をはっていない」と言われて、本当にびっくりした。せっかく浴槽があるのに、そこにお湯をはらないという選択肢があるのか!そんなのもったいない!、そのままお湯をはって一番風呂にまであずかってきた。わたしのお風呂好きは、お節介な上に、図々しいにも程がある。 お風呂と

もう、マンゴーをカゴに入れるようなことはしないように。

最近どうも、男の人の声が、聴き取れない。 「もらえるものはもらっておこう」もほどほどに。に書いたように、今、新しい補聴器を借りて試聴していまして。気付いたら、この補聴器との生活も、そろそろ2ヶ月になる。 こんなに長い間借りても良いのか?!とも思いながら、3週に一度くらい音の調整をしてもらいながら、試聴を続けている。 補聴器を変えてみて、言葉が聴き取れる割合がグッと上がった。普通の音声での会話は大体60dBくらいと言われているんだけれど、この60dBで大体65%くらいの言

雑談の始まるタイミングが、分からない。

「さぁ、今から雑談をはじめましょう!」 なんて一声ではじまる雑談が、あるだろうか。雑談とは、さまざまな内容のことを気楽に話すことらしい。その気楽には、物事にこだわらないでという意味があるらしいから、たぶんその場所やはじめるタイミングにも大きなルールはない。 重要なことは全て会議の場だけで話題にされているのかというと、そうでもない。雑談の間に出てきたよもやも話が、案外仕事の中で大切なことだったりする。 がしかし、聴覚障害のあるわたしは、雑談の始まるタイミングが分からない。

耳マーク:たった30秒の、誰もが嫌な思いをしない「聞こえる優しさ」の世界

みなさんは、「耳マーク」なるものをご存知ですか? こんなマークで、バスの運転手席の近くや駅の窓口、役所の窓口なんかで見かけたことがあるかも!なんて思いだした方、大正解。 この「耳マーク」は 聞こえが不自由なことを表すと同時に、 聞こえない人・聞こえにくい人への配慮を表すマーク (一般社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会) を意味したもので、よく近くに「筆談できます」とか「手話できます」とか書いてあったりする。 そして、ここ最近はこのマークを起用したCMが、お茶

音の世界と音のない世界が、ほんのり明るくなって、青いピンが赤に変わった。

夏を前にやっと宣言が明けて、「今年こそは実家に帰省しよう。おじいちゃんが待っているんだ。」と帰省の予定を組んでいたら、またもや緊急事態宣言が発令されてしまったらしい。この夏も、おじいちゃんと一緒にお墓参りにはいけない。 そんなことを考えていたら急にショボンとしてしまっている今日このごろ。緊急事態と緊急事態の合間の、おそらく「緊急」ではないにしろ「蔓延防止」なんていう「これは緊急な事態ではないけど、平常ではないんだろうな」というそのタイミングに、ひっそりと友人に会った。 そ

「もらえるものはもらっておこう」もほどほどに。

外出したとき、ヒヤッとする瞬間ベスト3に 補聴器の電池がなくなりそう かつ 替えの電池を持っていないとき がランクインする。そして昨日、ついにそのトキがやってきてしまった。 先日「補聴器とiPhoneが、はじめてBluetoothで繋がった日のこと。」にも書いたんだけど、今わたしは新しい補聴器の試聴をしている。 眼鏡やコンタクトを装用して生活している人は、このnoteを読んでくださっている方々の中にも多いのではないかと思う。かくいうわたしも、眼鏡を小学2年生から、コン

補聴器とiPhoneが、はじめてBluetoothで繋がった日のこと 。

この日、zoomを退室した瞬間の余韻は、いつもの楽しさと疲労感ではなく、新しい気持ちだった。なんだかよく分からない温かさ、としか言い表す術がわからないんだけど、多分、わたしの心はとっても満たされていたんだと思う。 わたしには、聴覚障害がある。右耳は全く聴こえなくて、左耳に補聴器をして生活している。でも、その補聴器はナマの人の声を拾うために開発されたものであって、機械音にすこぶる弱い。 例えば、テレビとかラジオとかそんな類のものは、「音」としてはきこえるけれども「ことば」と

「選挙に行くか否か」は、深く話し合える友達の基準のひとつなのかもしれない。

苦しいとき、しんどいとき、環境ががらりと変わるとき……そんなちょっぴり誰かの肩にもたれかかりたいときに、ふと声を掛け合い集まる同期がいる 宣言も明けてオリパラ前の、世の中には大きな声では言えないけれど、でも会うとしたら今じゃない?と思ってしまうこのタイミング。わたしたちも、ひっそりと会おうよと声を掛け合っていた。 長い長い平日が終わった夜、グループLINEにポンっと 「日曜日、どうしよっか?  わたし、投票終わり次第合流できる。」 とメッセージを送ると 「それな、投