新しいことの前提
それぞれの企業が工夫して
新しい事業に取り組んでいる。
これだけ変化が激しい世の中だと
常に種まきは必要である。
我々の社内にも『未来の種』というテーマがあって
プロジェクトになる前のものや
新しい顧客をどうつくっていくかというアイデアを
雑多に話し合う場のようなものがある。
この「雑多」というのが重要で
あまりにも計画的にギチギチに
固められたコミュニケーションからは
なかなか新たな芽が生まれてこない。
ときどき未来の種プロジェクトが
社内で動いているのかどうかも見えない時があるが
それはそれで熟成期間として捉えている。
メンバーの中から新しい種が芽生え
形にしていける人材が育つことを期待したい。
ところで先日、こんなコメントが聞こえてきた。
「過去にこだわらず、新しいことをやりましょうよ」
それには私は大賛成である。
新しいことをやることばかりが
正ではないとは思いつつ、
しかし新たなことにどんどんと
チャレンジをすることを推奨したい。
一方で「過去にこだわらない」ことと
「過去を理解しようとしない」ことは
別ものだと思っている。
つまり、過去を理解した上でこだわらないのと
初めから理解の努力を放棄することは別であると。
新しいことというからには、
対比概念として旧いものがある。
旧いものがあるから、
新しいものだと認識できる。
自分たちがやることが新しいことかどうかは、
旧いものをしっかりと理解しているから言えることであり、
さらには新しいものへと進化させられる
前提条件であると考える。
組織の中で、あるいは事業の中で
「新しいことをやりましょうよ」という時には
これまで脈々と培われてきた
旧いものを捉えられている必要がある。
歴史や背景や過去の流れを知ることが
これまでとは異なる視点で
新しい要素を加えて
発展させることができるのではないだろうか。
旧いものを知るコミュニケーションプロセスの中に
新しいものへのヒントが隠されている気がするのだ。