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有用性と至高性の解釈

有用性と至高性


コミュニケーションの仕事には正解がない。
だからこそ、他者との関わりの中で物事を決める時は
<有用性>が重要になる。

誰が正しいとか何が正しいとかではなく、
「何が有効か?」ということ。
特に課題解決が求められるビジネスの場において
効果を発揮する有用性。

その有用性も、
個人の生き方となると少し話は変わりそうだ。

有用性の対概念として至高性が位置付けられるらしく、
一杯のワインに自分の給料を全部使って
楽しんで飲む労働者の喩え話がある。

高額なワインを味わうことに
有用性があるかどうかは分からないが、
その人にとってはこの上なく幸せな生き方。
本人の関心に沿った幸せの優先順位。

人生の要素には有用性と至高性の両方が含まれている。
役に立つだけではドライになるし、
至福を味わうだけでは飽きてしまいそうだ。


契機による解釈の変容


有用性と至高性と聞いて
『アリとキリギリス』の寓話を思い出す。

この話には色々なエンディングとその解釈があり
国や時代背景によっても異なる。

私が小さいときに読んだ印象は、
アリが賢くて、キリギリスは怠け者というイメージ。

しかし、過去に自分が構築した解釈は一義的に留まるわけではない。
知識や経験、学びから解釈の仕方が随分と変わる。
私の場合は、娘の不登校が契機の一つ。

キリギリスの娘は勉強になかなか手がつけられず
ベッドから出られない時もあるが、
起きている時は自分の世界がある。
自分の関心ごとである音楽を一日中聴き、
家の中で自分のペースで楽しく踊っている。

「アリは、将来に備えてコツコツ真面目に有用性を維持し、
キリギリスは現実逃避をし、好き勝手に怠けている」という解釈がひとつ。

一方で
「キリギリスは他者の価値観に惑わされず
自分の関心に沿って至高性高く、
いま必要だと思う生き方を自ら選択している。」という解釈もある。

物事の解釈とは、つくづく自分勝手なものであると思う。

全く無縁だった「不登校」という社会課題が
いきなり自分の生き方に直結することで生まれる新たな解釈。

契機が自分の狭い視野を広げ
これまで見えていなかったことに気がつく。

異なる関心が、新たな解釈へと導く。
事実は変わらないが、解釈は変わる。

人には自分の関心に沿ったストーリーがあり、
そのストーリーを理解すると、自分の解釈も変わる。

解釈とは、かなり主観的である。
目の前で起きている出来事は、事実そのものではなく
出来事に解釈が加わっている。

個人の生き方も、組織内の関係性も、クライアントからの依頼も
それぞれの関心がどこにあり、そのストーリーはなんなのか?
解釈次第でコミュニケーションのあり方は変わる。

お互いが理解するための働きかけをする力が
我々のコミュニケーションに求められていると思う。

まずは歩み寄って、相手のストーリーに耳を傾けることから。

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