広瀬和生の「この落語を観た!」vol.108
12月12日(月)
「恵比寿ルルティモ寄席 2022 supported by 渋谷道玄坂寄席」@恵比寿ガーデンホール
広瀬和生「この落語を観た!」
12月12日の演目はこちら。
柳亭市松『牛ほめ』
三遊亭兼好『妾馬』
橘家文蔵『飴売り卯助』
~仲入り~
春風亭一之輔『新聞記事』
桃月庵白酒『富久』
僕がプロデュースする年末恒例の豪華な落語会。演目もすべて僕が決めている。例年、大ネタばかりが並ぶ傾向にあるのだが、たまには一之輔に軽い爆笑系の演目で暴れてもらおうと『新聞記事』をリクエスト。「いいですねえ~」とノリノリだった一之輔だが、開口一番の前座の後のトップバッターを予定していたのに開演時間が迫っても楽屋入りしていない。既に楽屋入りしている文蔵、白酒、兼好らは「もう来るでしょう」と落ち着いている。実際、忙しい噺家がギリギリに楽屋入りするのはよくあること。1週間前に確認のメールも送り、「了解です」と返信もあったから大丈夫、と思いつつ一抹の不安がよぎる。というのも、一之輔ファンはよく知っているように、この少し前の時期、一之輔はマクラで「落語会ダブルブッキングの顛末」をさかんに語っており、遂には『諸般の事情』という演題まで付いたほど。「まさか」と思いつつ、携帯に電話してみた。すると一之輔は普通に電話に出たので、「恵比寿ルルティモ寄席、大丈夫ですか?」と訊くと「大丈夫です。宜しくお願いします」との答え。「今どこですか?」「家ですけど……え? 今日ですか!?」「今日です」「今から行きます!」 楽屋に戻って「一之輔さん、家にいました。忘れてたみたいで。今から来ます」と言うと「じゃあ、俺が最初に行きますよ」と白酒。「いやいや『富久』でトリですから」と、兼好に最初に出てもらった。
楽屋入りした一之輔が言うには「手帳に“ルルティモ”って書いた跡があるのに何故か消えてて」とか。この日、上野鈴本演芸場昼の部の主任を務めた一之輔は、楽屋を出ると池袋のマッサージ店で身体をほぐし、コンビニで買い物をして家に帰り、「晩御飯は鍋だよ」と聞いて「いいねえ」と言って部屋着に着替えようとした時に僕からの電話が入ったのだという。7時開演で6時55分。この顛末、一之輔がパーソナリティを務めるラジオ番組『SUNDAY FLICKERS』でも語られていたそうだ(笑)。兼好は高座に上がると「ホントはここに一之輔くんが上がるはずだったんですが、彼、まだ家で晩御飯食べてます」と事情を説明。「きっと今回『新聞記事』という軽い噺なのでやる気がないんでしょう」と毒を吐いて場内の笑いを誘ってから『妾馬』のマクラに入っていった。
兼好の『妾馬』は2021年に“蔵出し”された演目。この年の4月に僕がプロデュースする「代官山落語夜咄」に出演した兼好が、僕とのトークで「以前は好きではなかった噺でも、年齢を重ねて改めて興味を持つことがある」と言って、例に挙げたのが『妾馬』だった。そこで半年後の「代官山」で『妾馬』を演じてもらったところ、期待どおりの逸品だった。その後も兼好は『妾馬』を何度か高座に掛け、得意演目のひとつとなっている。殿様の前ですっかり酔った八五郎が、「早くに親父が死んで、ずっと妹を守ってきた自分には人を見る目がある、殿様がいい人だよ、俺にはわかる」と言った後、女手ひとつ働きづめで兄妹を育てた母に初孫を見せてやってくれと頼み、「おつるは小さい頃から二人で生きてきた可愛い妹、いつも『アンちゃんは悪くない』って庇ってくれた、たった一人の味方なんです。大事にしてください」と頭を下げる場面が印象的だ。
橘家文蔵が演じた『飴売り卯助』は松本清張の連作短編集『無宿人別帳』の中の一篇「左の腕」を、師匠である二代目橘家文蔵が清張の許しを得て落語化した作品。当代文蔵は師匠が残したノートと録音を基に再構成、2019年暮れにネタおろしした。今や堂々たる“文蔵十八番”で、寄席でトリを取る時にネタ出しすることもある人気演目だ。その道では名の知られた大親分だった過去をひた隠しにして飴売り稼業で生きてきた卯助が、娘の奉公先に強盗が入ったと聞いて本性を表わして賊どもを一蹴、卯助を脅して娘を自分のものにしようとしていたチンピラがそれを見て恐れおののく“立場逆転”のカタルシスは格別だ。45分を超す人情時代劇、心地好い余韻を残して仲入りとなった。
仲入り後の出番で登場した一之輔は事の顛末を語って笑いを呼んだ後、ハジケた『新聞記事』で爆笑させた。一之輔の『新聞記事』の破壊力はまさに別格。隠居からの受け売り小咄を披露しようとして失敗するというだけなのにここまで可笑しいのは、全編独自の台詞で暴走していくから。とりわけこの日は出番を忘れて遅れてきたというアクシデントによって「ご機嫌で家に帰ったのに電話で呼び出されて『新聞記事』みたいなバカバカしい噺のためにわざわざ来た」という状況の可笑しさが相乗効果を呼び、会場全体が一種のゾーンに入って爆笑の渦を生んだのだった。
トリの白酒は「一之輔もちゃんと最初に来てれば今ごろ家で鍋をつついてたのに、もう今から帰っても鍋は残ってないでしょうね。私だったら『新聞記事』のためには来ませんよ」と一之輔をイジって笑いを呼び、「私は代わりに最初に出ようと足袋履いて準備してたのに、赤毛の人が『兼好、行け!』と決めちゃったから、あとはもう弁当食うしかないわけですよ。なんか『一之輔が遅れてもお前はトリだから関係ねえだろ』みたいに扱われて……『ワンチームだろ?』と兼好さんに言ってみたりして」等々、一之輔不在の楽屋での状況を語ってから『富久』へ。
白酒の『富久』は基本的には古今亭の型で、久蔵の住まいは浅草三間町、椙森神社の千両富の「鶴の千五百番」を買う。久蔵を呼び止めてくじを売るのは「古川の旦那」で、酒でしくじったのは「石町の旦那」と、そこは十代目馬生と同じ。白酒の『富久』はカラッとしていて全体的に滑稽噺テイストが強く、実に楽しい。鳶頭の家でお宮の中の札を発見する場面、たいていの演者は久蔵に泣き声で「あったー!」と言わせるが、白酒の場合は「アーッヒャッヒャッヒャ! あったーっ!」と大ハシャギで喜ぶ。浮き沈みの激しい芸人の開き直った人生を笑い飛ばす、爽快な『富久』でお開きとなった。
次回の広瀬和生「この落語を観た!」もお楽しみに!
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