見出し画像

広瀬和生の「この落語を観た!」Vol.167

3月23日(土)
「芸歴40周年記念興行 立川談春独演会(昼の部)」
                 @有楽町朝日ホール


3月23日(土)昼の演目はこちら

立川談春『たらちね』
立川談春『宿屋の仇討』
  ~仲入り~
立川談春『たちきり』

上方落語の『宿屋仇』を東京に移した『宿屋の仇討』には三系統あり、筋立てはすべて同じだが宿屋や仇を狙う武士の名前などの固有名詞が異なる。ひとつは三代目小さんによる移植で、五代目小さんに受け継がれた。もうひとつは大阪の二代目桂三木助から『宿屋仇』を教わった八代目林家正蔵の型で、五代目春風亭柳朝に受け継がれたもの。三代目桂三木助も二代目桂三木助から『宿屋仇』を教わり、東京に持ち帰った。立川談志は三木助の型を継承、弟子の志の輔が若い頃にこれを得意ネタとして磨きを掛けた。談春も三代目三木助型で、江戸っ子三人組に独自の色を出している。

悲恋物語『たちきり』は談春の持ちネタの中でも特筆すべき十八番。現代の東京における『たちきり』は「談春の演目」と言っていいだろう。談春版『たちきり』における構成上の大きな特徴は、芸者の小糸に真剣に恋をした若旦那が「百日の蔵住まい」を余儀なくされてから五十日目に両親と番頭が会話をする場面を創作したこと。談春は一時期、ここまでを『たちきり(上)』とし、休憩を挟んで『たちきり(下)』に続ける、というやり方をしていたこともあるが、近年は区切らずそのまま続けている。

五十日目の場面の描き方はこれまで少しずつ変化してきている。今回は、まず母親が番頭に「今すぐ夫婦にしてやればいいじゃないか! 色街の女だっていうけど、あの子が本気で惚れてるんだ。どうして人を試すようなことをするの!? 何を守りたいの!? あの子を出してやっておくれ!」と食ってかかるが、番頭は「お気持ちはわかりますが、百日と言った以上、そこまでは我慢していただくほうがいいと思います」と答え、それまで黙っていた父に「どういたしますか」と尋ねる。番頭も父も、毎日何通も届く小糸からの手紙が果たして百日続くのか疑わしいと思いながら、そこに賭けたいという気持ちにもなっているという描き方。以前は「手紙が百日続いたら夫婦にさせてあげたい」と番頭が両親に訴える、という演出もあったが、今回はそこまで踏み込んだ言い方はしない。

百日目に蔵から出た若旦那が真っ先に父に会うと、父は「お前、変わったな! 一皮むけた。番頭、百日に意味はあったんだな」と感心し、母は八十日目に届いた“最後の手紙”を渡す。番頭は「やっぱり色街の女ですな。色々と学ばせていただきました」と言うが、そこに皮肉な調子は一切ない。若旦那は手紙を読むと「小糸を連れてきます!」と言い残して柳橋に向かう。その後ろ姿を見て、父は番頭に「連れてくるそうだよ」と呟き、「若旦那の真心が届くといいですね……」と応じる。

芸者置屋の女将は、花街の中では「おかあさん」と言われ、芸者は皆、女将を「おかあさん」と呼ぶ。そこに血縁関係はなくても、まるで本当の母親のような深い関係だという。だが談春の『たちきり』では、小糸は女将の実の子で、宴席は苦手ながら芸事が好きで、女将の子として立派な芸者になろうとしていた、という設定。女将は百日の蔵住まいをしていたと聞かされて、若旦那に“母として”事の顛末を話す。

今回の『たちきり』で驚いたのは、冒頭の定吉と若旦那の会話が今まで聞いたことのない内容だったこと。本来、ここで定吉は、集まった親戚が若旦那を殺そうと相談していたり番頭が若旦那を乞食にすると言っていることを伝えるだけだが、今回の談春の演出では、「番頭がそんなことを!?」と憤る若旦那に定吉が「乞食は嫌ですか?」と不思議そうに尋ねる。「当たり前だろ! お前、乞食が好きか!?」と言われた定吉は「好きじゃないけど、周りにいましたから」と言って極貧の家庭に育った自らの悲惨な生い立ちを、辛そうにではなくカラッと明るい口調で語り、「だから今は白いご飯が食べられて幸せです」と嬉しそうに言う。満足に食べられず七人兄弟のうち三人が亡くなる境遇の中で、幼い定吉が号泣する父に「どうしてこんなことになるの?」と尋ねると、父は「詮無いことなんだ」と言ったという。この、冒頭で出てきた「詮無いこと」というのが、実は今回のキーワードだった。

最後の場面、小糸の三味線から“黒髪”が流れる中「私は生涯、女房は持たない」と若旦那が言うと、女将は「よく言ってくださいました。でも、ここを出たら小糸のことは忘れてください」と言う。「誰も悪い人はいない。番頭さんは若旦那を一人前の商人にしたいと思い、お父さんお母さんは元の優しい若旦那に戻ってほしいと思い、小糸は若旦那に惚れた気持に偽ることができなかった。お店の誰かがうちに来てくれたり、うちの誰かがお店に行っていたら、こんなことにはならなかったでしょう。でもみんな、自分が正しいと思う道を選んだ。この娘には私がいます。償わなきゃいけないのは私なんです。若旦那は立派な商人になって、幸せになってください。それが一番の供養です」と言った女将は、「仕方がないんです……詮無いことなんです」と続け、「若旦那と小糸は、悪縁だったんです!」と涙ながらに言うと、“黒髪”が途絶える。

悲恋物語『たちきり』のあまりに切ない成行きに、談春は「悪縁」という言葉で説得力を持たせた。番頭は店を守ると共に若旦那の成長を促し、芸者であろうと真心があれば夫婦にしてやりたいと思っていた。両親はひたすら一人息子の幸せを願い、若旦那も小糸も互いを思い続けた。誰も悪くない。ただ「悪縁」だった……それが談春の『たちきり』だ。そして今回、そこに「詮無いこと」というワードが加わったことで、談春の『たちきり』はさらに深みを増した。これぞ談春の真骨頂、名演だ。

#広瀬和生 #立川談春 #たちきり #宿屋の仇討