広瀬和生の「この落語を観た!」Vol.158
1月13日(土)「立川談春独演会」@有楽町朝日ホール
広瀬和生「この落語を観た!」
1月13日(土)の演目はこちら。
立川談春『道灌』
立川談春『明烏』
~仲入り~
立川談春『鼠穴』
談春は2024年、芸歴40周年記念興行を有楽町朝日ホールで1月から10月まで毎月2回の昼夜公演を行なう。同日の昼夜は同一演目で、毎回談春が三席を披露、うち二席はネタ出しで、他一席「おたのしみ」となっている。その第1回が1月13日に行なわれ、僕は昼公演に足を運んだ。ネタ出しは『鼠穴』『明烏』の二席。まず談春は立川流で最初に教わる前座噺『道灌』を演じた。
談春の『明烏』は時次郎を絶妙に戯画化したドタバタ劇。しっかり描き分けた源兵衛と太助のやり取りが生き生きとして楽しく、時次郎は生真面目というより思い込みの激しい変人で、この“ヘンな奴”の言動に翻弄される源兵衛と太助にへの共感が笑いを生む。『明烏』は本来、「江戸の男は吉原の遊びが好き」という“常識”を前提に、「吉原を毛嫌いする変人」の振る舞いを笑う噺で、聴き手は“普通の男”である源兵衛と太助に共感する。だが吉原という“政府公認の遊廓”が消滅して久しい現代においては、むしろ「女郎を買うなんてあり得ない」と言う時次郎のほうに共感する。談志は『明烏』を「性の目覚めに対する恐怖」を描く噺と解釈して演じたが、談春は「時次郎はヘンな奴」という描き方にしたことで、『明烏』を現代に通じる滑稽噺として生まれ変わらせたと言える。
『鼠穴』はネタバレをタブーとすると語りにくい噺なので、結末については触れず、演出上の感心した点だけ記すことにする。まず、兄貴にもらったのが三文だったとわかった時の竹次郎の心理描写。談春は単純に「悔しさをバネに」ということで終わらせず、その夜の江戸に雪が降ったという独自の設定を絡めて、「亡き父が励ましてくれてる」と踏ん張る竹次郎に共感させた。
「三文で桟俵を買って差し(銭差し)を作って二十四文貯まったら俵を買って草鞋を作る」日々を送る竹次郎が何も食べずにいられるわけはないが、談春は「飢えることよりも銭がなくなることの恐怖が上回って必死に生きた」と説明、ギリギリ死なずに済む程度に食べていたのだと暗に示している。竹次郎が「江戸にはお節介が多いから」仕事を世話してもらえるようになったというのも納得がいく。そんな“お節介な江戸っ子”たちは竹次郎に所帯を持つように勧め、女房が可愛い娘を生んで竹次郎は“守るべき家族”を持って心に余裕が生まれ、人間的に丸くなった竹次郎に「大きな商いをしてみないか」と支援する人が現われ、回船業で成功して蔵を三戸前も持つ立派な商人になった……という経緯を説明したのも実にわかりやすい。
十年ぶりに兄と再会した晩の描き方も素晴らしい。兄がなぜ十年前に三文渡したのか、実は冒頭で兄を竹次郎が訪ねた場面に重要な伏線があった。深夜に訪れた弟が「泊まっていけ」と言うのを振りきって出ていき、それを見送った番頭が主人に「よろしいんですか」と尋ね、兄は「よろしいわけがねえ……」と呟く。このワンシーンが冒頭にあったからこそ、十年後に兄が明かす“真意”に説得力が出る。見事な演出だ。そこから先の展開に関しては具体的に触れずにおくが、前述の工夫に通じる「ディテールを疎かにしない」演出が随所に盛り込まれ、迫真の演技に聴き手は引き込まれ、一気にラストまで連れて行かれる。さすが談春!という迫力満点の名演だった。
次回の広瀬和生「この落語を観た!」もお楽しみに!
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