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#29 ルック・オブ・ラブ/レスリー・ゴーア

 1963年6月1日(私の誕生日)と6月8日。2週連続でビルボード1位に輝いた、レスリー・ゴーアの「涙のバースディ・パーティ(原題は「It‘s My Party」)のリリース時、彼女はまだ16歳だった。この曲を蹴落として、そのあと3週連続1位となるのが坂本九の「上を向いて歩こう/SUKIYAKI」である。

 ヘレン・メリル、エラ・フィッツジェラルド、そしてフランク・シナトラ。ジャズ界の大御所たちのアレンジ・プロデュースを手掛け30歳となっていたクインシー・ジョーンズは、マーキュリー・レコードの副社長に抜擢され、ポップミュージックシーンにも活躍の場を広げる。 
 その最初の成功がレスリー・ゴーアだった。ニューヨークはブルックリン生まれ。父親は有名な子ども服ブランドの経営者。要するに箱入り娘のお嬢様。若くして歌手を志しレッスンを続けていたレスリーの歌声が、アイドルスターを探していたクインシーの耳に止まる。テレビ番組「バットマン」でもキャットウーマンの手下役プッシーキャット役として出演し、人気は幅広い層に広がった。

 ロネッツやクリスタルズなどスペクター関連で台頭した、ジェフ・バリーとエリー・グリニッチは、ティーンポップの名曲を次々と生み出していた。前述の大ヒット曲「涙のバースディ・パーティ」をレスリーがレコーディングした、まさにその夜。クインシーが偶然出くわしたフィル・スペクターからクリスタルズで録音を済ませたことを聞き、踵を返して急いでスタジオへ戻り、テスト盤を100枚作らせラジオ局に配布。紙一重の差で、レスリー・ゴーア版が全米№1となるのである。

 スペクターとジェフ&エリーは昵懇の間柄であるので、「ルック・オブ・ラブ」で、仕返しされるかと思いきや、無事レスリーのレパートリーとして時代を超えることに成功した。二人のポップセンスが溢れんばかりに爆発した若さほとばしる名曲である。
 
 歌手志望だったエリー・グリニッチは、この曲のコーラスを喜々として担当し、初恋のみずみずしさを見事に表現した。レスリーの歌声も18歳にしてはつらつとした成熟さを湛え、芯の強さを見せつける。あくまで類推の域を出ないが、当初ジェフ&エリーはこの曲をグループに歌わせようとしたのではないだろうか。コーラスパートの豊潤さと洗練さは、ロネッツやクリスタルズで想像してみるとしっくりくるのである。でも、ソロシンガーであるレスリーがレコーディングすることになり、エリーがコーラスパートをやむなく担当した、そんな気がしてならない。

 イントロのエリー・グリニッチの♪ooh oohコーラス。これだけでわかる、「ルック・オブ・ラブ」の非凡さ。ドラムのフィルインも良い。どことなくウォール・オブ・サウンドを想起させるドラムの響きがたまらないのだ。クインシーが意識しないはずがない。

 大滝詠一は松田聖子のアルバム【風立ちぬ】で、この曲へのオマージュ「冬の妖精」を捧げている。2000年以降、レスリーはレズビアンであることを公表し、性的少数者の権利を守る活動を始める。アクティヴィストとして活躍する中、2015年、肺がんのため68歳でこの世を去る。昨今、LGBTやクィアを公言して活躍するアーティストが増えており、その堂々としたアティチュードに敬意を表するとともに、時にはレスリー・ゴーアのことも、思い出してほしいと願うのである。

★番組情報:レコードアワー
放送時間:毎週月曜 8:00~9:00
再放送情報は三角山放送局HPのタイムテーブルをご確認ください

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