見出し画像

ストグラにおける「お気持ち」問題を考える

※2024年5月4日:誤字脱字、一部表現を修正

この投稿が、ストグラで発生している「お気持ち」問題に疲弊し、心をすり減らしている関係者、特に配信者への癒しになることを願う。


ストグラとは?

グランセフトオートV(GTAV)というゲームに登場するロスサントスという架空の街で、配信者が演じる架空のキャラクターたちが過ごす社会での生活を配信して、配信者、視聴者双方が楽しむ、配信コンテンツである。以前、ストグラについて説明した投稿があるので、必要に応じて参考にして頂きたい。

お気持ち問題とは?

「お気持ち」とは、ストグラ視聴者による「配信者の望んでいない」言動のことである。以下の動画は、実際に発生した「お気持ち」の一例である。

「お気持ち」によって配信者を攻撃し、傷つけ、場合によってはストグラから退場させる事象が起きており、先日も人気のあったキャラクター(配信者)がストグラの街から去っている。

それに対して、ストグラ運営では、配信者に以下の注意文を配信の際に提示するように依頼している。さらに、ロールプレイに対する意見は、運営に送るようアナウンスしている。

「他視点を観てわかった情報をコメントしないで下さい。また、この配信の情報を他配信にコメントしないようにして下さい。」

各キャラクターのロスサントスでの生活が少しでもかつドラマティックであることを成立させるための施策であり、配信者間、配信者・視聴者間、視聴者間のトラブルを避けるためでもある。

実際に、配信者の演技に対して、SNSや配信プラットフォームで以下のような言動が発生している。

  • 配信者の演技に対して指示、命令、提案、批判をする

  • 配信者にそのキャラクターが知り得ない他のキャラクターの情報を提供する

  • 配信者への誹謗中傷

常識的に考えれば、映画やドラマで語られる架空の物語に対してそういった行為をすることに意味がないことは誰にでも分かることである。おそらく、視聴者の99%はそれを理解することができ、そういった「望まれない行為」はしない。残りの1%がそういった行為をする。

以下で、この「望まれない行為」について考えてみる。

ハラスメント

セクシャル・ハラスメントやパワー・ハラスメントなどの「ハラスメント」の認定は、ハラスメントされた側がそう感じたかどうかで決まる。ハラスメントをした側の認識は関係ない。「望まれない行為」は視聴者によるハラスメント行為と言える。

最近、ちくま新書のこの書籍を読んだ。

この書籍では、タイトルにある通り、「パワハラ」をテーマとしている。この「お気持ち」問題に通ずるところがあったので、いくつかその主張を取り上げてみる。おそらく、近年耳にする機会が増えた「カスハラ(カスタマー・ハラスメント)」と呼ばれるハラスメントも同様だろう。

本書では、パワハラをする人の特性として、以下の点を挙げている。

・未熟である
・自尊心が高い
・精神的に不安定
・感情知能が低い
・想像力が乏しい
・他者に対する期待水準が高い

津野香奈美著 『パワハラ上司を科学する』より

相手に対して以下のような言葉を使う人は、「パワハラ特性が高く危険」としている。

「〜すべき」
「〜なはず」
「当たり前」
「普通は〜」
「~は常識」

津野香奈美著 『パワハラ上司を科学する』より

また、以下のような警告もしている。

自分のもつ信念や価値観を人に押し付けることは避けるべき

津野香奈美著 『パワハラ上司を科学する』より

これらは、ストグラにおける「望まれない行為」をする視聴者にも該当するのではないだろうか。

さらに、世の中のパワハラより卑劣なのは、SNSや配信プラットフォームにおける匿名性という優位的な立場も利用(悪用)している点だ。

テクノロジーの功罪

電話の誕生は、遠方の人とのリアルタイムでの意思疎通を実現した。一方で、相手の都合を考えずに半強制的に、呼び出すという暴力的な状態も作り出した。企業は一方的に営業の電話をすることが可能になった(そしてそれは大抵の場合、不要なものである)。

インターネットも同様である。従来とは比較にならないほどの利便性を実現しながら、一方で新たな問題も発生させている。その事例はあげるまでもない。

XなどのSNSや配信プラットフォームにおける「コメント」は、一人の発信者と多数の受信者の意思疎通を実現した。と同時に、距離が近づき、擬似的な親密さや、互いに意思疎通ができるという幻想を作り出した。発信者の一方的な意見があたかも相手に受け入れられ、聞いてもらえる/聞いてもらっていると錯覚も生み出した。

「お気持ち」は、一見すると、元来人間がもっている他者への「おせっかい」などの自己中心的な欲求によるもので、SNSや配信プラットフォームなどが登場する前から存在していたかのようにも見える。だが、これは、匿名で一方的かつ手軽にリアルタイムに発信できるテクノロジーの登場によって発生したもので、従来には存在しなかった事象、新たな「おせっかい」だと考える。

どう対処するか?

先に取り上げた書籍では、パワハラへの対策が触れられている。「お気持ち」問題の対策に活用できそうな記載を取り上げる。

「行為者は、自分の言動が相手にどのようなダメージを与えているのか認識できていないからこそ、パワハラをしている」ことを前提として対応すべきです。「自分で気付いてもらう」という方法は真っ先に外すべき選択肢だと言えます。

津野香奈美著 『パワハラ上司を科学する』より

文書で注意を行う
ではどうすればいいのかと言うと、周囲が何らかの形で「それはパワハラである」「それは許されない行為である」と明確に指摘するしかありません。

津野香奈美著 『パワハラ上司を科学する』より

先に取り上げた特性をもつモンスターは自分がハラスメントをしていることに気づけず、「望まれない行為」を繰り返す。おそらく現時点では特効薬はない。自覚は期待できないため、認識させるための何らかのアクションが必要だろう。

そういったモンスターを擁護するつもりは一切ないが、案外、そういったモンスターを誕生させた原因は社会や当人が置かれている環境にある可能性もある

一方で、自分の心が壊れないようにすることも必要だ。格闘技ゲーム界のレジェンドである梅原大吾氏のこの動画の内容が参考になるかもしれない。ここに登場する、彼と同じような実践は容易ではない。ただ、この動画での彼のメンタルとの向き合い方、モンスターたちへの対処の仕方を説明する姿を見るだけで、配信者には少なからず励まされるものがあると感じる。

寛容であること

ストグラに参加する配信者たちは、演じることを生業としている訳ではない。うまく演じることができる人もいれば、そうでない人もいる。ストグラ用語で言えば「魂が貫通している」人もいる。

ストグラは、配信者たちがほぼ即興で行うドラマで、シナリオライターは存在せず、誰にも物語の未来はわからない。この物語を演じて作る側にも、高い技量が求められる。

それをみて楽しむ側にも、この物語がどんな不条理な内容であっても、コミックや小説や映画のように楽しむという、スタンスが要求される。視聴者は、テクノロジーによって、物語に対してあたかも介入できると思わせる環境に置かれているが、それができるから介入するというのは、あまりにも短絡的である。ストグラは一見すると誰でも気軽に鑑賞できるコンテンツのようだが、実は楽しむためのマナーや寛容さが必要な、大人向けの知的な配信コンテンツである。

以下に、ストグラにも参加している配信者である番田長助氏の発言の動画を引用する。おそらくストグラに登場する多くの配信者が思っていることを代弁している。

視聴者はどうあるべきか?

そんな中で視聴者ができることは、贔屓の配信者のキャラクターを応援したり、その物語での行動に喜怒哀楽を感じ、マナーを守ってリアクションすること。時には配信者のキャラクターが物語に大きな影響を与えるヘマをする時もあるかもしれない。それも「物語」であり、寛容な心で受け止めること。決して、「望まれない行為」をすることではない。

配信者のキャラクターが物語で不条理な状況におかれ、ストグラから去ることがある。それを引き起こしているのは他の配信者との演技によるものではなく、多くは「望まれない行為」をする視聴者の圧力によるものだろう。

視聴者は、この身近なテクノロジーによって、我々自身がこういったハラスメントを容易に起こせる立場、環境にあることを認識すべきだろう。

応援することは利他なのか?

リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』での主張を安直に転用するが、誰かを応援することは、その人に対する「利他的」な行為なのだろうか。応援なのだから、当然その対象を思っての行為であるように感じる。
ただ、その対象の誰かを利用して、自分が快適で、心地よく、満足できる状態であろうとする「利己的」な行為という見方もできるように思う。

推し活をはじめとする応援の多くは自分自身のために行われるものである。「望まれない行為」をする人と応援する人の境界線は、紙一重のようにも感じる。一歩間違えれば、いつでも誰でも「望まれない行為」をするモンスターになる。そして、残念なことに多くの場合、自分自身はそれを自覚することができない


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?