マッチ売れた少女 #灯火物語杯 創作
少女は震える指でマッチを手にしていた。
空から雪が舞い降り、少女のヒザでじわりと溶けた。針が降ってきてるみたいだった。路地裏の片隅で寒さと飢えと戦う少女に、表通りからにぎやかな声が聞こえてくる。子どもたちの楽しそうな笑い声と、その後ろにジングルベル。赤や黄色の電飾の残りカスが、ほんのりと路地裏の壁を照らしていた。
今夜はこの路地裏で過ごすしかない。少女にはもう行くところもなければ、思い返したい美しい思い出も、夢も希望もなかった。ほんのわずかな希望もことごとくひねりつぶされてきた人生。いつか「私があなたのお母さんよ」なんて誰かが迎えに来てくれないかと思っていたけど、そんな人はついぞ現れなかった。
道端で拾ったマッチが、今の彼女を温めることのできるたった一つの命綱だった。
寒さで震える手で、1本目に火を灯す。
炎の中に映し出される、絵本みたいに幸せな光景。温かくて、笑顔が溢れていて、おいしそうなご馳走が食卓に……ふっと暗闇が戻ってきた。マッチが見せてくれるのはほんの数秒の夢。こんなもの見せられたって腹も心も満たされない。
それでも。
少女は2本目のマッチに火を灯す。手元がほんのり温かく、眩しい。
ふと、電飾の残りカスが消えて、壁が真っ暗になった。見上げると、そこには白い髭をたくわえたおじいさん。
おじいさんは少女に目線を合わせるようにしゃがむと、マッチの炎を共に見つめた。白く長い髭と、ふわふわの眉毛。そして目尻に…涙。
「…悲しいの?」少女は聞いた。
「悲しいんじゃない。さびしいんじゃ。」おじいさんは答えた。
「君さえ良ければ、そのマッチをわしに譲ってくれんかの?」
おじいさんは懐から白い包みを取り出した。
「いいけど、別に。拾ったものだし」
少女はマッチをおじいさんに手渡した。
おじいさんは白い包みを少女に渡すと、大事に大事にマッチを撫でさすりながら路地裏から去っていった。
この布を膝に巻いたら少しは寒さをしのげるかもしれないと思い、少女は包みを開いた。中には、小切手が入っていた。その額ーーー50億円。
少女はガバッと立ち上がり、震える手で小切手を見つめた。偽物かもしれない。だけど、もしかしたら?……また淡い期待を抱いてしまった。ひねり潰されたら、立ち直るのに時間がかかるというのに。
それでも。
少女は小切手を握りしめて銀行に向かった。
それは間違いなく本物の、50億円分の小切手だった。
たった一晩で少女の人生は180度変わった。街中が見渡せるほどの高級ホテルにふかふかのベッド。電話一本で部屋にご馳走を運んでくるボーイ。1人で食べるのがつまらなくて一緒に食べてくれる人を探したら、顔面の整った男たちがすぐにやってきて少女を取り囲んだ。
一言お腹がすいたと呟けば、目の前いっぱいにご馳走が並ぶ。
飽きたといえばヘリコプターが少女のもとへと馳せ参じた。
行く予定もない国に別荘を購入し、ついでに島を買った。
これまで失われたものを取り戻すように、少女は金を使った。1年間、狂ったように。
そして1年後のクリスマスイブーーー
少女はまたあの路地裏にいた。虚空を見上げ、白い息を吐いた。
「なーんも、残ってねー……」
金を使えば使うほど、周りに人が溢れた。そして金が減るごとに、人も減っていった。繋ぎ止めるためにさらに金を使った。みるみるうちに金は消えていった。
「あのじいさん、どうしたかな。」
1年前を思い出す。おじいさんは、あの時さびしいと言った。50億円を少女にほいっと渡し、美しく儚く消えるマッチを大切そうに持って帰ったあのおじいさん。
もう、少女にはマッチすら手元に残っていない。
ふと目の前が暗くなり、目の前には……
「あの時のじいさんじゃん。」
おじいさんは、微笑みながら少女に近寄った。
「探したぞ。」
「金返せって?もうねーよ」
「そうじゃない。君を探してたんじゃ。これを見てくれんかの?」
おじいさんは懐からスマホを取り出した。
「わし、ユーチューバーになったんじゃ。」
画面にはおじいさんと、それからマッチが映っている。
『こんにちは!60歳ユーチューバーの三太さんじゃ!今日もこの不思議なマッチで素敵な夢をあなたに見せるぞ。』
画面の中でおじいさんがマッチをすると、炎の中には去年と同じ、絵本みたいに温かい家庭の食卓と笑い声。
『この炎をろうそくに移すと、もっと長い夢が見られるんじゃよ!』画面の中でおじいさんがろうそくに炎をうつす。見るに堪えない幸せな光景が、画面越しにこちらを攻撃してくる。
「じいさん、まだ60なの?こんなもん、見たくねーよ」
少女はスマホから目を背けた。
「まぁまぁ、そう言わんと見ておくれよ。この次の動画は、君に見て欲しかったんじゃ。」
『こんにちはー!!60歳ユーチューバ―の三太さんじゃ!この不思議なマッチはな、理想の見たいものだけじゃなくて、思い出や探し物も見せてくれるんじゃ。 ご覧ください。どうぞ!』
おじいさんがマッチをすると炎の中にはかわいらしい女の子。女の子は少しずつ成長し、今の少女と同じ位の年齢になった。そして何やら……若い頃のおじいさんらしき人と言い争っている。それから、少しの間炎はゆらゆらと揺れるばかり。次に炎の中に現れたのは、手紙だった。
『父さんへ。家を飛び出したきり音信不通にしてごめんなさい。実は私には、娘がいます。でも、私には育てられなくて、手放してしまいました。今どこでどうしているかも分かりません。どうか、私のかわりに、あの子を見つけて幸せにしてあげて欲しい。名前は……』
おじいさんは動画を閉じると少女に向き合った。
「わしが君の本当のおじいさんじゃ。迎えに来たぞ、サン。」
「……は?」
少女はこれまでの人生と1年前のこと、そしてこの1年を思い出していた。
「何年も孫娘を探していたんだが、手がかりがなくての…。諦めかけていた。もう、生きてさえいないんじゃないかと思っておった。1年前は君が本当の孫だということを知らずに、君の持っていたマッチの炎に魅せられた。この炎があれば、孫娘を見つけられるんじゃないか、そのチカラがこの炎にはあるんじゃないかと思ったんじゃ。」
少女は何の言葉も出てこない。少女のほうこそ、ずっとずっと探してた。「私があなたの本当の……」と誰かが迎えに来る日を。
「わしの思った通りじゃった。炎は孫娘を映し出した。まさかあの時、路地裏にいた子だったとは…。ユーチューブを始めたのも、君がわしを見つけてくれないかと願ってのことじゃ。」
つらかった。虚しかった。さびしかった。もう、おじいさんを真正面から見つめ返すことはできない。そんなに自分はきれいじゃない。おじいさんに返せるお金も残っていない。
「今さらおせーよ…」
「……遅くなってすまなかった。よく、頑張ったの。心配はいらないぞ。わし、このユーチューブがバズって相当稼いどるんじゃ。」
三太のおじいさんは、少女にウインクした。
「わしと一緒にユーチューバーになるのはどうじゃ?2人合わせて三太サンチャンネルじゃ!」
「……なにそれ。ばかみたい」サンは笑った。
「でも、さびしくはないじゃろ?」三太は聞いた。
サンが上を向いて立ち上がると、雪が降り始めた。冷たいのに、その粒が着地した場所が熱かった。
白い吐息は電飾のカス色に染まってから空に消えた。
(本文約3100文字)