『映画 刀剣乱舞』を踏まえて「とうらぶ」の世界を考察してみた

刀剣乱舞の図録やメディアミックスなどに出てくる

「物が語るゆえ物語」

という言葉から、刀剣乱舞というゲームを考えた審神者の絶望を語らせてほしい

筆者はゲームを始めて1年半(刀帳は何振かの打刀極以外は埋まっている)、アニメや映画、舞台、ミュージカルなど、各種メディアミックスもひと通り履修済みの審神者だ

結論から話すと、筆者は

歴史改変の担い手となるのは、時の政府や審神者の命を受けた「刀剣男士」ではないか

と恐れている

先月公開された『映画 刀剣乱舞』の内容にも大きく触れてしまっているので、未見の方はご注意を

「物が語るゆえ"物語"」

映画や舞台でも使われており、審神者には馴染みのある言葉だと思う
筆者は所持していないが、図録にも大きく記されているそうだ
この言葉の持つ矛盾が、気持ち悪くてならなかった

人の世の常識から考えれば「物」は「語らない」
「語る」のは専ら「人」であり、「物が語る」のではなく「物を語る」の方が自然である
だが、刀剣乱舞は刀剣を擬人化(あえてこの表現をとる)しているので、「物が語る」のもおかしなことではない

では、物(刀剣)が語る、「物語」とは何だろう
筆者は「歴史」と考える

自らが見聞きしたことや感じたこと、考えたことなどを誰かに語った、その内容(またはそれを書き留めたもの)が、私たちの言う「物語」であろう
刀剣たちの生きた数百年、千余年に見聞きしたことを彼らが語ったなら、その内容は私たち人の感覚で言う「歴史(の話)」に他ならないだろう

また

物が語る、ゆえに「物語」
であるなら

「物語」は物が語るもの
とも言えるだろう

ここに先の「物語」≒「歴史」を当てはめると、こうも考えられるだろう

「歴史」は物が語るものである

筆者はこれが、刀剣乱舞の歴史観である気がしてならない

単刀直入に言うならこうなる

物が語った歴史こそが、正しい歴史である


【物が語った歴史、とは?】

「物語」は、人が見聞きしたことや考えたことなどを語るところから来ている
よって、「物が語った歴史」は、「物が見聞きした歴史」と言えるだろう

「物が見聞きした歴史」
これこそが正しい歴史であると言いたいのではないか

【刀剣という存在】

時の政府が名刀、有名な人物の愛刀、広く使われた刀などから刀剣男士を顕現しているのは、それらはさまざまな「歴史」を見聞きする機会に恵まれていたからではないか

有名な武将などは、歴史のターニングポイントといえる場にいることが多い
有名な武将の愛刀であれば、そのターニングポイントとなる現場に、持ち主と共に居合わせたことが多いだろう

つまり、名刀や有名な人の愛刀は、

歴史のターニングポイントを目の当たりにする機会が多かった

と思われる


「物が歴史を見聞きする」
これにはいくつかのパターンがあると思う

①実際にその物が現場に在った(物自体が見聞きした歴史)

②物が前の主や人々の話から伝え聞いた(人を介在した、物が見聞きした歴史)

②は根本は人が語った歴史であり、純粋な「物が語った歴史」とは言えない
真に物が語ったと言えるのは、①だけだろう

しかし、1振の刀剣が知り得る①は、物であったがゆえにかなり限定される

物は自ら動くことはない
人などが持ち歩いたり動かすことで、ようやく外の世界を知ることができる存在だ

より多くの①を得るためには、より多くの刀剣の力を借りるのが近道だろう

しかし、刀剣達は長い年月を生きたことで、記憶があやふやな部分がある
①と②の境目などもあやふやな刀剣も多いだろう

それもあって、正しさの指針は「審神者」や「時の政府」に委ねられているのではないか

【ゲームのOP動画からわかること】

時計は先
時を遡る
歴史改変 
遡るのは 刀剣のみ
阻止する者たちは 望を託し
遠い昔に 送り込む

これから読み取れる確実な情報は

時を遡るのは刀剣のみ
=審神者や時の政府は、時を遡ることはできない

ということくらいだろう

おそらく阻止する者たちに審神者や政府が含まれており、
彼らは何らかの望を託し、刀剣を遠い昔に送り込んでいるのだろうが、
これは「阻止するもの」が何なのか、遠い昔に「何を」送り込むのかが明言されていない以上、確かとは言えない(「刀剣男士」ではなく「刀剣」という表記、言葉の正しいカットの位置が不明、これらも疑心暗鬼になる理由の一つだろう)

【『映画 刀剣乱舞』で起こったこと(※ネタバレ注意)】

大ヒット中の『映画 刀剣乱舞』
ここで起きた事件を思い出してみたい(まだ2度しか観に行けていないので、多少の記憶違いはご容赦を)

時の政府、審神者の命により、刀剣男士達が
「本能寺で織田信長が死ぬ歴史を守る」
ために出陣したが、時間遡行軍を討ちもらしてしまう(任務失敗)

その結果
「本能寺で織田信長は死なず、生き延びる歴史」
に改変されてしまった

そこで刀剣男士に与えられたのは
「織田信長の暗殺」
という指令

でも、最終的にこの本丸がとった行為は

「安土で織田信長が死ぬ歴史」
に導くこと

ここでひとつ、疑問が生じる

「本能寺で死ぬはずだった織田信長が安土で死ぬ、これは歴史改変とは言わないのか」

大きな流れが変わらなければ多少のことは問題ない、とも言えるだろう

しかし、映画での
三日月宗近が「安土で織田信長が死ぬ歴史を、物として見聞きしていた」
この描写だけはスルーできない

筆者は「物が語るゆえ物語」という言葉から考察し、「物が見聞きした歴史が正しい」という仮説を立てた
映画でもこの言葉は登場している
この仮説が正しいとしたら、

本当に正しい歴史は、安土で織田信長が死ぬ歴史であった

ということになってしまう

すると、審神者や時の政府の持つ歴史資料(彼らは時を遡ることができないため、彼らの知り得る歴史は各時代の資料から得たものが多いのだろう)は「誤った歴史資料(改変された資料)」であったが、彼らはそれを元に刀剣男士に時を遡らせて「歴史改変を防いでいた」

歴史改変を防ぐ、食い止めるって、どういうことだ?

時の政府の持つ歴史資料に誤りがあった場合、「正しい歴史」から見れば

刀剣男士は歴史を改変するものに他ならないではないか

それを証明するかのように「検非違使」は時間遡行軍も刀剣男士も攻撃する
検非違使の出現条件は、10回以上の同時代への進軍
時の政府のいう「歴史の改変」が進んでいるために刀剣男士が多く出陣せざるを得ず、それでも複数回の出陣により「歴史の改変」が正されつつある状態なのかもしれない
しかし、時の政府の歴史資料に誤りがあったと仮定すれば、「刀剣男士による歴史改変が、看過できないレベルにある」とも言えるだろう


映画ではっきりと示された

時の政府のいう歴史と、実際の歴史が異なることがある

は、本当に恐ろしい事実だと思う

人が遺した歴史資料は、塗り潰されたり、書き記す際に忖度があったり、思わず誇張気味に書いてしまったり、創作してしまっている部分が少なからずある(こともある)

しかし、時の政府の「歴史資料の調査」に誤りがあったとしても、それは「資料が何らかの理由で変えられていた」だけに過ぎない

だが、刀剣男士は「実際の時を遡ることができる存在」

「刀剣男士による歴史への介入」は、資料の上だけの話ではなく、実際の歴史に影響を及ぼす

つまり、

政府や審神者の選択次第では、
刀剣男士の「歴史を守る行為」は、「歴史改変の決定打」となる可能性がある

映画での出来事などを見ても、審神者や刀剣男士の戦いはそういった可能性を孕んだ行為であり、彼らが歴史改変の担い手になりかねない存在であることは、動かしようがないのではないかと感じてしまうのだ

【おわりに】

刀剣男士は物として数百年、千余年存在し、さまざまなことを見聞きした「正しい歴史のかけら」を持つ存在であるが、長く在るがゆえにその記憶にはあやふやな部分がある

そして、時の政府の顕現させる刀剣には、歴史上存在しないものもある
歴史上実在しない刀剣男士が顕現されたのは、そう書き残した「物語」などが遺っているからだろう

しかし、そうした刀剣も修行により実際の歴史や自分自身を見つめ、「自らが歴史に存在していない事実を知る」

「歴史」を守る戦いに「歴史上存在しない存在」が投入されたのは確かな事実

時の政府は、その刀剣が「歴史上には存在しない事実」を知っており、しかし何らかの目的があって戦いに投入したのか
はたまた「時の政府も知らなかった(存在していたと勘違いしていた)」のか

知っていたならどんな意図があったのか
知らなかった(勘違いしていた)なら、時の政府は何をもって正しいと考えていたのか
時の政府の正しさとは何か

審神者にとって時の政府は絶対
刀剣男士は主に忠誠を尽くし、主の命を遂行する
故に、時の政府の意向によっては、刀剣男士による歴史改変が起こり得る

審神者の、刀剣たちの戦いの正義は
歴史を守る戦いの真実は
いったいどこにあるのだろう

こうやってあれこれと考えを巡らせながら、
これからの「刀剣乱舞」というコンテンツに、
ファンとして、多少の恐怖を覚えはしても、それ以上に大きな期待を感じている


長々と書いてきたが、最後にひとつだけ叫びたいことがある
筆者の考察をわかってもらえなくとも、これだけは伝わってほしいと願う、事実がある
陳腐だが、本当に最後だから叫ばせてくれ

「刀剣乱舞はおもしろいぞ!」

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