「私はインドに縁が無い」
2月9日の朝7時。
成田空港近くのホテルでこのnoteを書いています。
11:30初のエア・インディア、デリーに向けて出発。
非営利型株式会社Saniwaで始めて企画したインドリトリートに同行します。
今回のインドは自分の中で少しばかり趣が違います。
自分の中でっていうのがミソな気がしています。
なんたって
「インドに縁が無い」
インド旅なのですから。
インドにまみれていた半生
今までどんな具合でインドと関わってきたのか。
3歳の頃から、母が古典ヨガを始める。原風景に、雪山で瞑想するインド人のオジサンがいる。
高校三年間、インド大好きな先生にお世話に。インドスライドなどもことあるごとに見させてもらう。
大学1年生の春、初の海外にインドを1ヶ月旅。
大学を編入する間の1年間、実家でバイト。ちょうどそのタイミングで近所にインド人ご夫婦と仲良くなり、ヒンディ語と文化を習う。
3年次編入で文化人類学を専攻。卒業論文はインドからの移民について。
ちなみに学生時代何度かインドを訪れる。
2006年からインドへ移住。
2020年のコロナによって帰国
と、まぁまぁインドと縁のある方ではないかと思います。
「さかもっちゃんはインドに縁がないですね」
去年の8月に初めて言われました。
「インドに縁が無い」
と。
こう言われたというと何人かに
「嫌な気がしなかったのですか?」
と言われました。
でも、僕は衝撃から、嬉しい気持ちになったのです。
しかもすーっごく。
最も求めていた、必要としていた言葉だったかも知れません。
なぜか。
上記のような経歴を持つと、人と会ったときに会話は
「なんでインドだったんですか?」
から始まります。
(時に、またかよー、とか思ってました。すんません)
勝手に背負い込んできた
そしてその期待にどこか応えるように生きてきました。
そしてそれを勝手に重たく感じて、インドを遠ざけようとしたこともありました。
どちらも勝手に背負い込んで、執着してたのは自分だったのです。
そのことに
「縁が無い」
と言ってもらえて瞬間的にバババーと気付いたのです。
発言の意図
その発言の裏には
インドという土地に縁があるのではなくて、他の生で色々学んできて今生においてヒンドゥを学ぶことが目的。そのためにたまたま行ったに過ぎない、ということだとか。
それが本当かどうかは正直よくわかりません。
僕にとっては思い込みを剥がしてくれたことがとっても有り難かったのです。
他者にどう映るかのインド
結局、いつからか重たくなっていた「インド」は他者の視線の中のインドだったのです。
しかも勝手に背負い込んでいるのだから、世話がないです。
「これだけインドと関わってきたのだから、何か壮大な意味があるんではないか」
と期待されているんじゃないか。
きっとそんなのを勝手に内側に入れ込んで、勝手に苦しんできたんです。
だから
「もうインドなんて関わらない!」
みたいにしちゃったりもしていました。
うわー、恥ずかしい!!!!
じゃあ、インドは何なの?
では、僕にとって「インド」とは何だったのか。
それは「インド」以前に遡る必要があります。
小学4年生の頃までの僕。
人生は冒険の舞台でした。
武蔵野台の車返し団地。
今より畑や野山が多くありました。
そこいらが、大冒険の舞台でした。
そんな場所で自分達で冒険を創りだしていました。
敢えて危険な崖をわたり、フェンスをよじのぼり、下水に入り込んでました。
僕にとっての「インド」は1つの冒険の舞台、だったのです。
だから、大学1年生の時の初インドは本当にワクワクでした。
思えば危険なこともありました。
自分から求めていったからです。
3回しにかけてましたw
無茶をしたからです。
真の発見
府中インドの会の会場としてもお世話になっている普賢寺には毎月、言葉の紹介があります。先月かな、こんな言葉がありました。
うわー、恥ずかしい!!!!
「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ。」マルセス・プルースト
今回のインドの旅はもしかしたら新しい目で見ることになるのかも知れません。
16日まではリトリートの同行。
その後、一人旅でブッダガヤ近くの村やバラナシ、デリーに行ってきます。
俺のターニングポイント
さて、僕に
「インドに縁が無い」
と言ってくれた方に興味ないですか?
このインタビューの中で言ってくれています。
再度インタビュー
ここからはお知らせです。
インタビューしてくれたはっしーに再度話を聞いてもらいます。
今回のインドがどんな体験になるのか、紐解いてくれます。
3月9日(土)の府中インドの会。
良かったら、一緒にチャイしばきましょ!
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