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絶望 ~余命1ヶ月だとしたらワーク残り5日~

明けましておめでとうございます。年が明けたが、今回の年末年始はちょっと特殊だった。余命1ヶ月になったら」というもしもワークの真っ只中だったから。

前回、残りも半分になり見えてきた如何に自分の人生がダサかったかを痛感することになったことを書いた。その後のことをまとめていこうと思う。

この記事ももう少し早く書こうと思っていた。でも書けなかった。結論だけ言うと、それは絶望感に打ちのめされていたから。それは余命が残りわずかだったからでは無い。この余命ワークを通じて今までどこか見て見ぬ振りをしていた自分を知ることになったからだった。
 

何だか決めたことができない


余命1ヶ月ワーク、後半になってきて全然決めたことができない。

・ライフヒストリー
・メモ帳の断捨離
・大切な人達へのメッセージ

などを完成させたいと思っていた。でも、何だかできない。集中できないのだ。心が乱れている。本当に大切なことでは無くて、緊急なことや逆に全然今やる必要がないことに時間が使われる。
 

doingばかりになってた


そんな課題を抱えている時、また病院に行く日が来た。12月30日だった。病院は年末年始でお休みだった。それでも救急病棟は開いていて、忙しそうに働く病院関係者も見える。

病院外のベンチに座り、しばし心を落ち着けてみる。やはり心はざわざわしている。とりあえずそれはわかる。

何だかdoingばかりに囚われている。例えば、身近な人に手紙を書くなり、動画を作成するなりする行動が大事なわけではないはず。そうではなくて、ただ普段できなかった、できてない深さから感謝を示したり、愛を表現することをしたかったはず。

でも、何だかその行動に縛られて心がキュウキュウとしてた。
 

「~しなければ」にもなっている


寒くなってきたので場所を近くのカフェに移す。ノートを広げて、思いをバババと書いてみる。そして以前書いたものにも目を向けてみる。

カフェで思いを書き殴る

死に瀕している(という体だから)からこれはやっておきたい。というところからto doリストを作成した。当初はただただやりたい、これはやってから逝きたいという純粋な意欲からだった。その有り様が大事なはずだった。穏やかでワクワクしている感じが。

でも、今は重たくなっている。そうワクワクして「ただただやりたい!」という感覚だったものが「やるべき」「やらなければ」に変わっていた。
 

他者承認

 
何が変わったのか。大勢では無いが、数人の人達にこの余命ワークを伝え始めたのが違いだった。他者が絡んだ途端に何かしら変わった?

「ハッ」となった。というのはこの感覚って何度もあったことだったからだ。僕の人生で何度も何度も繰り返されてきた。始め、ただただ自分の中から出てきた「面白いこと」。それが、いつの間にか「面白いと他の人に納得してもらえること」に変わる。それはすぐに「納得してもらわなければいけないこと」に変わる。

俺を見ろ~ってな感じ

承認欲求ってやつだ。
そこは自覚していた。価値を外側に向けて提供することにやっきになってきたことは知っていた。ここ5,6年、ヨガやコーチング、様々な瞑想を行ってきてそこの部分を徐々に癒やしてきたはずでもあった。

ただ前回書いたように、手帳を整理できないでいたことの裏にあった他人軸だった半生。そこを真っ正面から見たくなかったこと。他人から承認されることを求めることにまだまだ突き動かされているのは間違いない。そこから見ると。。。

そう、この余命ワーク。純粋なワクワクから始まったものが他者に話すことで質が変わっていった。いつの間にか、「余命ワーク」を行うことでこんな風になったぜ、おれ!って他者に言える未来を妄想していた。他者承認に突き動かされていた。

カフェでこんなになった


絶望


まさに絶望だ。この余命ワーク。死と今までよりも深く向き合ってみることが大事なはずだった。それこそ1ヶ月で〈本当に〉この世とお別れするなら、他者からの承認など気にしないのではないか。他の人の期待(しかも本当に期待しているかは相当疑わしい)になど応えてなどいられないだろう、とどこかで思っていたはず。

そのリアリティを深めるために毎週病院に通うまでしていた。にも関わらず、そのワークそのものが承認欲求に駆り立てられてしまう。なんだこいつは?どこまでも着いてくる影のようだ。

上に書いたこと、ヨガやコーチング、各種瞑想ワーク、インドに滞在することでの多くの気付き。それらの気付きは毎回大切な宝物だ。ただ、それらの気付きはいつもその後、承認欲求に取り込まれていた。「こんなこと気付いて俺凄くね?」って。

気付く→取り込まれる。人生はその繰り返しだった。

今回、死すら承認欲求に取り込まれてしまったわけだ。他者からの視線にいつも覆い被されてしまう。いつもいつもだ。大切な気付き、自分にとって大切なもの。それがいっつも他者にとって大切になるかどうかに奪われれる。自分の中で、勝手に。これを絶望と呼ばずになんと呼べば良いのか。そら人生が他人軸になりフラフラするわけだ。僕は僕の生を歩めない。僕は僕の死を死ねない。

本当にそうだ

 

認めるしかない

 
なんでこんなことになったのか。

・承認欲求に駆り立てられてきたから。
・エゴの働きによるもの。
メンタルモデルで言うところの価値無しモデルだから。
・「本当の自分は人に受け入れられない」という無自覚の信念があったら。
・信念が生まれていった過去があるから。
・怖れ・不安に駆り立てれてて来たから。

どれもその通りだと思う。でも、そんなのはわかってきたし、自覚的であろうとしてきたし、そのための瞑想なども取り組んできていた(つもりだった)。

自分の中で生ぬるかったのもあったろう。上記はそれぞれそうだが、僕にしたらもっと端的な言葉にした方が良かった。一言だ。

劣等感

これだ。こいつにずっと操縦されてきた。きっとそのことをどこかしらで分かっていながら、見ないようにしてきた。コロナになってからは「承認欲求が強い」「人に受け入れられないという怖れがあった」とまでは言葉にできた。でも「劣等感」。その言葉は、その言葉だけは使いたくなかった。

他の人に以上に自分に対して認めたくなかった。自分に劣等感があるなんて。

劣等感を見ないようにしてきたんだ。だからこそ、優越感に浸れるように頑張っちゃったところもあった。そのためには何でもやってきた。そして無自覚にだが、最初純粋な意欲から始めても、その後その劣等感に取り込まれてきた。そんな生き方だった。そう認めるしかない。だってそうだから。

帰りにちょっと冒険

 
認めるとちょっと楽になった。今回、決めたことができなかったこと、それだけでなく人生で遭遇する理不尽なことが内側でどんな構造で動いていたのか。紐解けてきた。

変な言い方だが、絶望したことに希望が持てた。僕は絶望したかったのか?すっごいドMなのか?

帰りに知らない町を少し冒険したくなったのでその気持ちのままに歩いてみた。町は、人はやっぱり面白いものだ。

通りにせり出している質屋。40年以上続いているとお婆さまが教えてくれた。


アメリカンでとっても個性的なおうち


たくさんの花壇があるお家。写真をお願いしたら奥様「大した物じゃ無いですが、後勝手に~。」その言いようが粋だった。


そこそこ近所にこんな景色が見れるところが。縁起が良い。


野川。学生時代を過した京都の鴨川にもどこか似ている。

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