ブラック企業で働いていたから今の自分があるのだが・・・ウェブデザイナー成長日記
独学で初めたデザインの仕事
私自身、元々はDTPデザイナーというか、ほとんどオペレーターみたいな感じで印刷やデザインを含めた広告業界に入った。
オペレーターといったら、デザインがすでに出来上がったものを
コンピュターのデータ用に清書するような仕事だ。
パソコンの技術は職業訓練校に半年行って学んだ。
そこでは特にパソコンの基礎、ExcelとWordの操作とビジネスマナーのみを習ったのみで、特にグラフィックソフトを使ってなんたらってのはやらなかった。
なので、IllustratorやPhotoshopの使い方は独学で覚えた。
それだけのスキルで最初は広告業界に飛び込んだのだ。
とにかく最初はデザインの仕事に就くために必死だった
面接の時、
「残業は当たり前の世界だよ。」と言われ、
「体力には自身があります!」
と言い切っちゃたあたりが、更に担当者の心をグッと掴んだんではないかと思う。今から考えると本当に思うつぼだなぁとw
当時はデザインの仕事がしたくてもう必死だったので、仕方なかったが。
最初の三ヶ月は給料ゼロ
そして、入った広告業界。
最初の三ヶ月は給料なしで、正確には失業給付をもらいながら研修という形で広告データの作成の練習をしていた。
しかし私は短期特例という失業給付のもらい方をしていたので、その頃は本当に給料なしでやってた。
それでも、この業界で働きたい一心で必死で練習をした。
そして三ヶ月が過ぎアルバイト扱いで入社させてもらい、本格的な仕事が始まった。
初めは本当に簡単な仕事ばかりで、例えば当時はMacOS9からOSXへの移行時期だったので、OS9で作られた過去のデータはOSXではフォントがおかしくなっていた。
その膨大な過去のデータをひたすらOSXでフォント置換したりなど、もう本当に雑用の雑用ばっかり。
そして半月も立たないうちに一日に2~3時間残業するようになり、残業代でそこそこ稼げるように。(この仕事おいしいな!)と思ったのだが・・・。
研修期間後すぐに正社員に!
そして、翌月になって経理の方から「年金手帳持ってきて」と言われ、
その月から正社員に昇格!
今考えてみるとバイトで残業代を稼がられるより正社員にしたほうが会社側にとって都合がよかったからって間違いなく思うが、当時は正社員になれて本当に嬉しかったのを憶えている。
正社員になってからの過酷な労働環境
そして、正社員になってからの日々は本当に地獄というか青春を捨てたと、いうか本当に過酷な日々だった。
残業、徹夜は当たり前で、もちろん残業代は僅かしか払われず。それでも沖縄の同年代では貰ってるほうの給料だったが。
その給料もストレス発散の飲み代などにほとんど消えてしまったし、報われない感じは否めなかった。なんか、いま考えても本当によくやってたなぁ~と思う。
ただ、あの苦しさがあったからこそ今の自分があるとも思う。
でも、あの時間でどんだけ胃を悪くしたんだろうと。(2年後、健康診断で慢性胃炎と診断される。)
そうです。そこはブラックでした。
よく考えてみるとブラック会社に勤めてるんだけど、もう限界かもしれない。を自でいく労働環境だった。
会社の上司にも恵まれず、あんなことやこんなこと、今では笑えますが本当に当時は笑えなかった。
まずすごかったのは専務が社員にむかって、
「おまえらは・・・」ってなかんじの言葉を使うこと。
社内での言い争いは日常茶飯事、暴言が毎日飛び交っていた。
あれ?思い描いていたデザインの世界と全くちがう・・・
みたいな。
その会社の2chのスレを見ると今でもお腹が痛くなる。(もう消えたかな・・・)
ターニングポイントになった、人との出会い
ブラック会社に勤めて二年目だっただろうか?突然、新年早々新しく入社してきた人がいた。前職は大手の印刷機器メーカーの営業をやっていたかたで当時、35~6歳だったかな。
入社の際の自己紹介とその人の雰囲気に親近感を持ってすぐに私から話しかけて早く打ち解けたのを憶えている。
その人は営業出身ということもあり、本当に話好きな明るい人だった。
いままでに会社にいなかったような人だったこともあり、当然の如くその人を忌み嫌う人たちもいた。
反対勢力とでもいうのか?その人は元来、裏表のない性格の人のようで思ったことはしっかりという人だったので、それをよしとしない人達からはあからさまに態度で嫌ってるってことを表されていた。
まぁ、自分はそんなの我関せずで、いつも通りみんなとは接していた。
突然、打診された転職の誘い
そんなこんなでその人が入ってきて半年ぐらいたったあたりだったか?
相変わらずブラックな残業体制は続いたままだったのだが。その人が突然、「会社辞めて新しい所で働く気ないか?」みたいな感じで会社の休憩ルームで2人だけのときに誘ってきた。
話を聞いた時は多分表面上は冷静を装っていたと思うだが、内心めちゃめちゃビビってて「条件がよければ。」みたいな感じでいったのを憶えている。
そして、「わかった。」みたいな感じで、都合のいい日に仕事終わったら飲みにでも行こうみたいな感じになった。
転職の条件を聞いた、仕事後の居酒屋
そして、その飲み会。そこにはその人と自分以外に同期で年齢は1つ下のT君も呼ばれていた。
そのT君とは入社当初からずっと同じグループで気も合い仕事終わりにもよく飲みにいったりなど、公私ともに仲良くしていた仲だった。
実際に話を聞くとその人は新しく会社を立ち上げるとのことで、その立ち上げメンバーとして2人を引き抜きたいと率直に話してくれた。
私とT君はその場で答えは出さずに、よく考えて返事すると答えた。
若い二人が迷った末に出した決断
結論から言うと、その話を受けて立ち上げメンバーに加わったのだが、T君と2人で何度も話し合って私自身もすごい心の葛藤があった中での決断だった。
最終的には「失敗してもいいから、自分たちがより成長できる道を選ぼう。」とどこかの自己啓発本に書かれているような言葉だが、それが若い2人が若いなりに真剣に悩んだ末に辿り着いた答えだった。
当時、他の同期や先輩にも「絶対に失敗する。」とことごとく止められたが、いまでも私はその選択にはなんら後悔していない。
やっぱりそういった会社で悶々と毎日働いて、心も身体も削っていく中で日々、自問自答とでもいうのか?繰り返している中で「どっちに転んだって自分の人生。自分で100%選択したなら後悔はないじゃないか?」と導き出した、光明とでもいうような答えだった気がする。
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