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「自分がない」こととパワハラの関係
「自分がない人」は、子どもの頃から「いい子」だったケースが多いです。
大人になってからも「いい人」なので、一見、周りからも慕われている場合があります。
「自分がない人」は、おせっかいで、人当たりがよく、気を遣い、上司に取り入ることが上手です。
しかし、その心の中は、空虚感や惨めさや恥、共依存のテーマが潜んでいることが多くあります。
「自分がない人」をかろうじて支えているのは、上司からの評価であったり、周囲の「いい人だね」という評判であったり、やせ我慢に基づく妄想であったりします。
そのため、「自分がない人」の妄想を脅かすような現実が突きつけられることがあると、いきなり憤怒することもままあります。
これが、部下(や「自分がない人」がランクが下と判断している人)に対して向けられるとき、パワハラになります。このとき、「自分がない人」には確実に、解離があります。自己愛の傷つきもあります。
「自分がない人」は、勝手に他者に侵入してきます。なぜなら、自己愛が満たされていないために、自分と他者との境界線が地続きになっており、曖昧だからです。
この侵入が、上司に対して起こるとき、上司は「気の利くいい部下だ」と勘違いすることもあります(早晩、妄想や勘違いはバレてしまいます)。部下に対して起こるとき、部下は不快感でいっぱいになります。
日本社会では、「自分がないこと」を推進するような教育・子育てがなされてきました。
けれど、ここで苦しんでいる現代人は思いの外、多いのです。
時代はポストモダン。人間の意識が変化してきたという現実があります。
にもかかわらず、心が追い付いていない。ポストモダンを生きる心を育てる教育も、家庭環境も、人間関係も、まだこれからです。
いまできることは、これらのことに熟知したカウンセラーと心づくりを進めることかもしれません。
当相談室では、自分の人生を自分が船長となって舵を取り、主体的に生きたいと思うあなたを応援しています。
「いい人」をやめたいあなたも、応援しています。
そこで見える景色は、世界は私の味方であることがわかるものです。