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自分の機嫌をとる人は誰か
自分で自分の機嫌をとれと、よく言うけれど、もしかしたら機嫌よく過ごしているのは、誰かに機嫌をとってもらっているからではないか、という話。
元同僚の先生達と久しぶりにごはんをした。
私の他に、転職した方が一人いて、転職先の同僚Aさんとの人間関係に悩んでいるという。
Aさんは保育士ながら、うまくいかないイライラを言葉にし、子どもにあたる方のよう。
わたしが辞める原因になった方Bさんと似ていて、そういう人は案外いるのだな、と思った。
悩んでいる元同僚の方は、天使かと思うくらい優しくて、素直で、子どもたちにも愛される人柄なのだが、そこが、Aさんのイライラを買ってしまっているようだった。
どう接したら良いか、悩んでいる話を聞いて、あの時の自分を思い出した。
あの頃、私は言わなくてはいけない最低限のこと以外、Bさんの機嫌をとることに必死になっていた。職場の空気を悪くしたくない(対人の職種なため、空気の悪さは仕事に大いに影響する職場だった)。
なるべく笑顔で接するようにし、体調を気遣う言葉を言い、指摘は言葉を選んだ。
それでも30分にわたる口論だったり、上司への告げ口だったり、小さなことの指摘だったりがあり、言っていることが変わっても平然としている姿だったりがあり、私自身失敗できないと感じ、疲弊してしまった。
相談は愚痴ばかりになり、嫌味な自分がでてきそうになり、そんな自分が嫌だった。
今、その元同僚の先生を見て、客観的に自分を観れた気がした。
その人は、機嫌をとることを他人に任せていたのだと。
私だけでなく周りの皆が、いらぬところで褒めたり、持ち上げたりして機嫌をとってきた結果が、その人を、そうさせてしまったのかもしれない。
はっきりとものを言える人。
というと一見良いのだが、その時のマイナスの感情を、自分で収められていなかったら、それは、もしかしたら他の人がかぶっているのかもしれない。
私も一度だけ、感情を爆発させたことがあるが、そこで、私の味方になって一緒に怒ってくれる人はいなかった。
自分が怒るほど、その場を収めるか、そっと離れていくか、他の場所で私の機嫌をとろうとする人ばかりだった。その後気づいた。私は私の機嫌をとって代わりに解決してくれる人が出てくるのを期待していたのだと。
でも、それは間違っていた。
感情は、自分のもの。
でもそれを、他人に任せてはいけない。
ましてや子どもに、ぶつけてはいけない。
マイナスの感情をぶつけて、良かったことは、私はほぼない。
マイナスの感情の奥底には、自分にしか処理できない、「別のもの」があるから。
それは、自分を見つめ直して深く掘っていくしかない。
天使のような元同僚の先生が、Aさんの機嫌をとることに、自分事として責任を感じないでほしいな、と、思う。
子ども達に影響を与えることが、あってはならないからこそ、なんとかしようと頑張っているけど、でも、それが上手くいかなくても彼女のせいではない。
ましてやぶつけられる子どものせいでもないし、それはAさん自身の問題だ。
「自分が変わりたいと、思う人でなければ変わらない」と、先輩の先生は言う。
本当にそうだな。と、思う。
「プライドが一番厄介なの」とも言う。
人に自分の機嫌を委ねる人に、振り回されないで、とも思う。
振り回された自分だったからこそ、元同僚に思う。
機嫌を自分で取れる、優しい同僚だからこそ味方はたくさんいる。
逆に、私は私で、気づかないうちに相手に機嫌をとらせてないか、振り返る機会になった。
相手が自然体でいられるように、私の機嫌を慮る必要がない関係になれるように、そんな人になれたら、と思う。
まぁ、家庭内が一番難しいのだけどね。
少しは慮ってくれと夫に思ってイライラしてしまう私はまだまだだなぁ。